海の上のピアニスト 僕が望んだシーン。 以前よりは豪華ではないが,同じような船。前と同じように色んな人が乗っている。 そのホールの片隅,バンドはいないが白髪の紳士が,醒めた目をどこか遠くへ向けながらピアノを弾いている。時々やってくる客のリクエストにアドリブで答える。客はこう言う。 恋をしたんだ。勇気づけてくれ。息子が死んだ。慰めてくれ。人を憎み始めた。止めてくれ。死にたい。生かしてくれ。………。 1900は一人一人に曲を送る。人々はその曲を聞き勇気を受け,慰めを受け,憎しみをやめ,生きることを選ぶ。 ア〜〜,そんなシーンを見たかった。それこそが芸術ではないのか。 1900はニューヨークに上陸しようとし,できなかった理由をこう言う。
あの巨大な街には終わりがない。始まりはあるが終わりがない。 しかしこの船には始まりと終わりがある。一人一人に向けて弾くことができる。 鍵盤の数は88と決まっている。船ではそれを弾くことができる。だがあの街では88の鍵盤が無限に続いている。それを弾くことができるのは神だけだ。 あの街には終わりがない。 それが1900に恐怖を覚えさせた。 彼の弾き方は一人一人に向けたものだった。酒に酔う男は破産しやけになっている。もう老婆とも言っていい女は金で男を繋ぎとめようとする。そんな人々に向けて感じた心をピアノを通し表現する。美しい少女を見て感じた恋心をピアノで伝えようとする。 彼にはピアノを通してしか生きていけない。ピアノのないところでは彼は少女に何もいえない。グッドラック。それが精一杯だ。 人がいる。食べること,眠ること,愛すること,働き認められ金を貰うこと,子供を産み育てること,友達と笑い,怒鳴りあい,また笑う。 そんな事で時間を過ごしやがて老い,死んでいく。 だがそれに満足できない人がいる。何か足りないと感じる人がいる。 それがたぶん芸術家と呼ばれる人だ。 彼らは自分の思いを,人に伝えようとする。人の思いを,感じ取ろうとする。苦しみや悲しみや怒りや切なさや驕りや蔑みや喜びや憎悪,さらにもっともっと深く不可思議な人間の心の奥底を知りたいと思い,知ったと思った事を人に伝えたいと願う。 そしてその人は書き,演奏し,刻み,描き,演じ,写し,歌う。 しかし一人の人間に全ての人間の悲しみや喜びが分かるだろうか。憎しみや怒りや切なさがわかるだろうか。 分かろうとする努力は絶対に必要だ。それがなければ一人に向けても届きはしない。だが分かりはしない。個が全体を理解することなどできはしないのだ。 個は個に向けて。 それが全てだ。 どこにも属すことのなかった1900。船で生まれ船で死んでいった。 であればもっと,夢として描いてほしかった。 一人一人に一人一人が望む調べを与える。聞いた人全てが心浄化され魂を育て上げていく。 そんなピアニストが今も海の上にいる。88の限られた鍵盤で人間に限界はないと今も弾いている。 そんな話にはならなかったのか。 それこそが望むべき最高の現実の姿でないのか。 なぜ,廃船となった船と共に爆破されなくてはならないのだ。 なぜ1900は船を降りられないからといって人生を降りると考えなければならなかったのか。 個が全体を表現することの不可能を十分に知ってしまった今だからこそ,彼は生きて今も海の上のピアニストでなければならなかった。 個が個に向けて発信する。 それこそが芸術だと思う。 2001.1.8 |