たどんとちくわ 市川準 よかった,だがどこがよかったかといえば,映画が終わってからだ。 白黒のストップモーションで,役所孝司や根津甚八,真田宏之の,無邪気な顔が続く. この顔がいい.とてもよかった. 本編でのタクシー運転手,売れない小説家の狂気など陳腐きわまる.実にどうでもいい時間だった. タクシードライバー,役所孝司が目にする流れていく街の光景,街が流れているのか,自分が流れているのか,どちらが流れているのかわからないという光景. 実にありきたりの光景だった.情けなかった. 真田が切りまくる人間の血の赤や青や緑の血しぶき. 監督のそれなりの意図のもとに色がついたのだろう. くだらない. なぜなら映画の時間の中での必然性がなかったからだ. 作者の気持ちの中であったってしょうがない. 映画の限界を言いたいのなら,もっと,論理を映像の中に溶し込まなければならないそれがない.
今,この時代では,この日本では何かあれば,誰だってブチギレル. それが常識だ.そんな事はどこででも起こっている. だからそれを描いてもしょうがない. 運転手が客を殺すのは当たり前だ.客が運転手を殺すのも当たり前だ. 売れない小説家が飲み屋で客を刺し殺すのも当たり前だ. だがそんな狂人がこの映画が終わった時に救われる.最後の笑い顔だ。 であれば物語はそこから始まる. そして始まった所でこの映画は終わる. それが情けないところだ. ここから本当は物語は始まるのだ. たどんやちくわで切れてしまった人間がどう復活するのか。 それが今見たい物語なのだ。 |