「鈴木宗男」研究。そしてお天道様へ。

生徒へのメール。

 

鈴木宗男(すずきむねお)さん。

知ってるよね。

今話題の人だ。

さっき(3月11日、9時。)証人喚問(しょうにんかんもん)が始まった。

 

一体(いったい)何が問題になっているのだろうか。

どんな悪いことを彼はしたのだろう。

考えてみよう。   (^^ゞ

 

「ムネオハウス」「ムネオ号」「ムネムネ会」

聞いたことがあるだろう。

 

「アホの坂田そっくり!」

というのも見たり聞いたりしたと思う。

 

田中真紀子前大臣とのバトルを覚えている人もいるだろう。

 

「恫喝(どうかつ)」という言葉も何回か聞いたはずだ。

 

松山千春(まつやまちはる)まで出てきて、お母さんやお父さんが、「ホ〜。」と言った家もあったかもしれない。

 

鈴木宗男さんはとにかくキャラが立っているというか、話題になりやすいので、テレビ、新聞、週刊誌に取りあげられやすい。

 

「見るからに悪い人。」

だから悪い人。

 

やっぱし政治家は悪い。

やっぱなぁ〜〜。

 

で、いつもと同じように終わってしまっては今回はいけないのだと先生は思っている。

 

ではどういけないのか?

 

ここで、これからはもうあってはならない、1つの政治の仕方が終わるかもしれないのだ。

 

いやもしきちっと終えなかったならば、次の新しい、今の日本に必要な新しい政治が、始まらなくなってしまうかもしれのないのだ。

 

どういうことか。

 

鈴木宗男さんはほかの多くの政治家と違う。

 

1 親が政治家ではない。貧乏(びんぼう)だった。

 

2 働き者だ。

 

3 責任感が強く、約束を守る。

 

なんだ、立派な政治家じゃないか。

となる。

 

そして実際、昔の政治家として考えてみれば、立派な政治家なのだ。

 

どういうことか。

ちょっとさかのぼる。  m(__)m

昭和20年、日本は戦争に負けて、世界から消えた。

そしてアメリカの占領(せんりょう)を受けた。

アメリカに占領されていた期間、独立国としての「日本」という国は、世界にはなかった。

昭和27年、サンフランシスコ講和会議(こうわかいぎ)でサンフランシスコ平和条約を結び、日本は独立を回復した。

しかしその後日本の政治は基本的にアメリカの政治の流れの中にあることになった。

流れが右に曲がっていけば右に、左に曲がっていけば左に曲がっていった。

特に外交は、だいたいはアメリカの外交政策(がいこうせいさく)に従っていくだけだった。

 

ではその中で日本の政治家は何をしていたのか。

 

  政治家とは、そもそも、国の将来を考える人。

  国民の幸せを考える人のことだ。

 

だが国の将来に関しては日本の政治家はほとんど考えてはこなかった。

アメリカの作る流れの中にいればよかったからだ。

であればやることは、国民の幸せだ。

それが日本の政治家の役割となる。

鈴木宗男さんはその国民の為に一生懸命働いた。

ほかの政治家よりもずっとよく働いた。

ただ問題はその働き方だった。

は「国民」の幸せを考えた。

だが彼の「国民」は地元(じもと)、北海道をこえなかった。

それも選挙の票(ひょう)になる地元だ。

選挙区に住む人々が彼の「国民」だった。

なぜか。

彼の親は政治家ではなく、貧乏(びんぼう)だった。

 

実は今の政治家の多くは親が政治家で、親が引退(いんたい)、亡(な)くなった後、そのあとを継(つ)ぐという形を取っている。

彼らは2世議員(にせいぎいん)と呼ばれている。

 

選挙区に住む人は以前お世話になった人の子供だからと票を入れる。

これもおかしな話だが、よくある話だ。

だから金を集めたり票を集めたりで、走り回る必要がない。

 

そしてたいした仕事もしない。

親の築(きず)いた仕組(しく)みを守っていればいいからだ。

 

どんな仕組みか?

 

この仕組みは戦後の日本各地で作られていった仕組みだった。

地元の選挙区に住む人の票を取るためには、地元の産業を活発にし、お金が地元にたくさん入ってくればいい。

そのために日本の政治家は、お金になる仕事を、国から地元に取ってくることを、自分の政治家としての仕事とし

た。

特にお金になる仕事は、道路や橋やトンネルを作る、ダムを建設する、豪華(ごうか)な演劇(えんげき)ホール、音楽ホールを建てる。

そしてそうした仕事は「公共事業(こうきょうじぎょう)」となり、国が必要とされるお金の多くを持ってくれる。

地元はお金を払わなくていい。

地元では道路や橋やトンネルやダムやホールを作るために、大勢の人たちに仕事が回る。

実際に働く人たちばかりではなく、原料、材料を用意する会社、そこで使われる機械を作る会社、規模の大きい、建設関連(かんれん)の仕事には大きなお金が動き、地元はそれによりうるおい、お金が地元に入り、地元の人たちは金持ちになっていき、「幸せ」になる。

 

金による地元だけの幸せだ。

だがそれを地元の人も望んだ。

日本各地の地元の人が望み、足していくと日本全土に広がった。

地元に金を持ってくる政治家を日本人が望んだのだ。

鈴木宗男さんには、そんな仕組みがなかった。

自分で作るしかなかった。

そこで彼は働き者になり、約束を守り、そのために恫喝(どうかつ)もした。

彼は国から大きな仕事を地元に持ってくる事に必死になった。

そうすれば地元は栄(さか)え、自分は地元に必要とされ、選挙に勝つことができる。

そこで彼は地元にお金を持ってくるための仕組みを作ることを考えた。

 

そこで問題が起きた。

 

すでに多くの仕組みはほかの政治家に取られていたのだ。

「族議員(ぞくぎいん)」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

 

追伸

それにしても外務省とは情ない所だ。

鈴木さんの力が落ちてきたとわかったら、秘密文書をどんどん出してくる。

北方領土四島返還不要論発言、鈴木宗男暴行事件など、どんどん出してくる。

本来ならその時その時で問題として外務省自ら出していかなければならないものを、その時は出さず、今になってどうだどうだとばかりに出す。

まったく根性が座っていない。

と先生は思うのだが。

 

「族議員(ぞくぎいん)」

もともと議員は、政治の勉強をするということで、いくつかの勉強会に入らなければならなければならない。

日本の医療(いりょう)に付いての仕事したい人は、医療の勉強会、建設、建築についての仕事をしたい人はその勉強会。

農業や漁業についての仕事をしたい人は、その勉強会。そしてそこで政治家としての専門(せんもん)の知識を学ぶ。

 

やがて、あの人は建設の勉強会に属(ぞく)しているから、建設族、医療の勉強会に属(ぞく)しているから厚生族(こうせいぞく)、農業、漁業の勉強会に属しているからあの人は農水族(のうすいぞく)、と言われてるように郵便事業の勉強会に属しているから、郵政族となった。

 

政治家としての専門性(せんもんせい)を示す言葉だったのだ。

ここまでは別に「族議員」に悪い意味はない。

たとえば、雪国の山奥に村がある。

その村に行くには山を越(こ)えなければならない。

 

急病の患者を隣(となり)の町の病院に運ぶのに、5時間も6時間もかかり、治療(ちりょう)を受けられずに死んでしまった子供もいた。

隣町へ山を越えずに行ける方法はないのかと思う。

 れば急病で死ぬようなこともないと思う。

苦しみながら、死ぬことなどないのにと思う。

 村民(そんみん)たちは直接隣町と通じる道路があればと願う。

心からそれを望む。

どうすればいいのか。

村人たちは考える。

政治家に頼んでみよう。

あの政治家は建設族といって、道路や橋を作ることにかけては色々よく知っているらしい。

そこでその政治家に頼みいく。

「陳情(ちんじょう)」という。

それを受けた政治家は、何とかしなくてはまた悲劇が起きる。

よしっと決意する。

そして実際にその村に行ってみるのだ。

号外  鈴木議員涙の離党。

鈴木議員、ボロボロ泣いた。

悔し涙(くやしなみだ)なのだ。

ホントに、悔しかっただろう。

      鈴木議員の心の中。

 

「ほかの政治家もやっている。

地元の企業・会社から金(賄賂・わいろ)をもらい、役人に金を渡し、その企業・会社に仕事が渡るようにする。

かかる費用は国に出させる。」

「地元の会社はもうかり、地元は発展し、役人も金持ちになれる。みんな良い事だらけだ。

それが日本の政治家の仕事なのだ。」

「俺は必死に動き回って、その政治家の仕事をした。

自民党のために働いた。

働いて、働いた。」

 

「それがこうだ。

自分ひとりが悪者になって、さらし者になって、クビだ。」

 

「誰も助けてくれない。

冗談じゃない。

自分のこれまでは一体なんだったんだ!」

 

「ほかの誰がクソ寒い、北海道や、国後島(くなしりとう)に、足を運んだ?

誰が遠く、暑く、便利の悪いアフリカに足しげく通った?」

「いつも俺一人が大変な思いをして、走り回ったのだ。

それが、こうだ。

俺一人が悪者かよ!」

 

「冗談じゃないよ。冗談じゃないぜ!

畜生!!! ザケンナヨ〜〜〜   (>_<)」

 

これまで必死に働いた鈴木議員の労をしっかりとねぎらって、21世紀の新しい政治家を期待しよう。

 

山奥(やまおく)だ。

冬は雪が降り、10月に入ると山を越えることはできなくなる。村人は思う。

トンネルがあれば……

トンネルがほしい。

トンネルを掘るしかない。

どこに掘ればいい。

どれだけの大きさのトンネルを、どのように掘ればいい。

どんな仕組みのトンネルを掘ればいい。

いくらかかかる。

その工事は誰に頼めばいい。

そうした事は専門の知識がなければ、先へは進めない。

 

建設族(けんせつぞく)のその議員は専門の知識を用い、各企業(かくきぎょう)や役所を走り回り、一番力のある建設会社に話をつけ、役所に村の事情を話し、国から道路建設に必要なお金を出してくれるよう話をつけた。

 

国のお金で、最新の技術を持った建設会社が工事を受け持ち、たった1年でトンネルを掘った。

これまで5時間、6時間とかかっていた隣町までわずか30分で行けるようになった。

村の人たちの生活ははるかに便利に豊かになった。

村人たちはその議員(ぎいん)に心から感謝した。

これは専門の知識を力を持った「族議員」のおかげだ。

「族議員」のおかげでトンネルができ、人々は幸せになった。

 

だが今は違う。

「族議員」は悪者だ。

 

なぜそうなったのか。

 

何が起きたのか。

 

戦争が終わったとき日本は焼け野原(やけのはら)だった。

戦争が終わった直後(ちょくご)の東京の写真。

どこまでも遠くが見える。地平線が見える。

富士山が遠くに見える。

どこからでも見える。

つまり東京でさえ何もなかった。

あった物は全て燃え、なくなってしまった。

建物も、橋も道路も病院も学校も、工場も港も空港もなくなってしまった。

みんななくなってしまった。

戦争が終わって、日本がしなければならなかったことは、昔あって燃えてなくなってしまった物を、もう一度作り上げることだった。

そして戦争が終わって、10年、なくなったものがほぼ戻った。

それから日本は経済力を少しずつ取り戻し、戦争前よりも金持ちになった。

その時、もしこれがあれば、もしこれができるなら、という願いをかなえる時代へと変わっていったのだ。

さっきの隣町への直通道路がそうだ。

あればいいのに、と思っていたものが、どんどん現実に作り上げられていった。

それは新しい道路や橋やダムや港、新しい公民館、公会堂、新しい病院、学校、などだった。

やがてそれら新しい施設(しせつ)はほぼ全部できあがった。

その時あることが起きた。

それが今の日本を狂わせた大元の事件だったのだ。

 

何が起きたのか。

 

道路もできた。

病院もできた。

ダムも、公民館も演劇ホールも音楽堂も、港も飛行場も、橋もできた。

欲しいものがそろったのだ。

みんなが喜んだ。

 

その時こんな事が起きたのだ。

これまで必要だからと、地元の人々の願いから、道路やダムや橋やホールを作っていた建設会社が、道路や橋やダムやホールができあがってしまった時、仕事がなくなってしまったのだ。

これまで仕事がどんどん来ていたのにこなくなった。

社員も、大型機械もたくさんあるのに仕事がこない。

仕事がないから、金が入らない。

金が入らないから、給料が払えない。

社員を首にしていくしかない。

 

会社も傾いてきた。

 

まずい。

 

その時会社は何とかしようと、「族議員」に頼み込んだ。

その時から、「族議員」はこれまでとは違う仕事をするようになったのだ。

 

衣食住(いしょくじゅう)がほぼ満(み)たされた。

るものもある。住む所もある。食べるものもある。

あたらしい道路もできた。病院もある。橋もトンネルもできた。

新しく立派な公民館や図書館、音楽ホールも演劇会館もできた。

政治家のおかげだ。

景気も良くなった。

一番お金が動くの建築産業だからだ。

ところができあがった事で、作る人たち、建設会社や土木関連(どぼくかんれん)の仕事についている人たちは仕事がなくなった。

 

景気(けいき)も悪くなる。

 

そこで作る人たちは政治家に頼んだ。

「仕事を作ってくれ」と。

 

以前は「使う人」が仕事を頼んだ。

その時から「作る人」が頼んだ。

そして自動車の走らない道路、音楽も演劇も行われないホール、誰も利用しない立派な建物が、畑のど真ん中にでんと聳(そび)え立ち始めた。

 

建設会社は儲(もう)かる。

仕事ができたからだ。

 

そしてもうかるのは会社ばかりではない。

                      

                  (-_-メ)(T_T)

会社の社長さんは政治家に仕事を作ってもらいに行くときには、手ぶらではいかない。

もちろん、お金を持っていくのだ。  (>_<)

「仕事ができたらその利益(りえき)の何%を差し上げます。」

政治家は役所(やくしょ)に行く。

 

そして役人にここに道路を作りたい。

ここの住民は困っている。ここに道路が必要だ、と言う。

必要でないことは役人も知っている。

そこに道路を作ってほしいという住民の声など聞いた事かないからだ。

だが政治家が小さな声でそっと言う

「道路を作るという許可(きょか)を出してくれたら、色々とお礼(れい)をいたします、これからずっと……。」

 

役人はそのお礼欲しさに道路を作ることを許可する。

            

政治家と役人と企業(きぎょう)・会社、とがこうして結びついたのだ。

 

そのどこにも「日本の人々、世界の人々の幸せ」という考えはない。

「自分の、自分の家族の、経済的な幸せ」、しか頭にはなかった。

                    (-_-メ

こうして、「企業・会社」と「政治家」と「役人」とが結びついて、国民のお金、税金を自分たちのいいように使い始めた。

 

自民党はその仕組みを推し進めた。

 

企業・会社がもうかるように、仕事を無理やり作り、そのに法律を変えていく。

 のお礼にお金をもらう。

 人はそれに協力することでお金をもらう。

 院やお医者さんがもうかるように働くのが、厚生族。

 路関係者がもうかるように働くのが、道路族。

 

郵便関係者がもうかるよう働くのが、郵政族。

 農業、漁業関係者がもうかるよう働くのが、農水族。

 そして鈴木議員はそのどこにも入れなかったのだ。

多くの議員は親からお金儲けのシステムを受けつぎ自分の縄張りとしていたし、無ければお金で買っていた。 

だが鈴木宗男さんは親が政治家ではなく、家も貧乏だったから、自分でもうかる仕組みを作らなければならなかったのだ。

そこで目をつけたのだが外務省だった。

外務省ではほかの省のように直接お金がもうかることは無いと思われていた。

だから誰も手をつけなかった。

 

だがよく考えてみると、政府開発援助、ODAという形で外国にダムや病院や大きな建物を作るときに、日本で使ったのと同じ手を使うことはできはしないか。

 まりその建築の仕事をその国の会社ではなく、日本の会社で行えば会社はもうかる。その会社からお礼のお金も入ってくる。

 

これだとこれまで日本の政治家が国内で行ってきた仕組みと同じでお金をもうけることができる。

 よし!これでいこう!

鈴木議員はその時やった!と思ったはずだ。

 これでほかの政治家と対等に戦える。

 対等にお金も入ってくる。

 ほかの政治家と同じように政治ができる。

 だから離党の記者会見で彼はあそこまで涙を流したのだ。

自分がやっていることはほかの政治家とどこも変わっていない。

 

ほかの政治家は楽をしてお金を稼いでいる。

自分は苦労して、走り回って、汗水流してやったこさ、手に入れたのだ。

 

外務省などという、これまで誰ももうからないと手をつけなかった所に必死に入り込み、ようやく自分のものとできた。

大変だったのだ。

それが何だ。

みんな楽してやっていて、苦労した自分だけだ日本中から非難されて嘘つき呼ばわりされて、辞めていかなければならない。

 

冗談じゃないぜ

 

く、く、く、クヤジ〜〜〜〜〜!

でも今回の鈴木宗男さんの事件は、彼個人の事件ではなく、日本の政治の仕組みが問われている問題なのだ。

 

もうこんな事やっていたのではだめ。

 政治家は大元に帰って、「日本人と世界の人々の幸せ」を真剣に真面目に考えなければならない。

 

政治家とは、人の役に立つ事をする人、でしょ、やっぱ。

 当たり前の事だけど。

 

自分の地元の利益しか考えられない政治家は日本をもっともっと悪くする。

 日本は今そんなにのんびりしていていい時期にはいない。

 かなりまずいところに来ている。

 政治家にはもっともっと厳しい目を向けなければならない

 

あなたたちの厳しい視線で、ぐっさと汚れた政治家を切ってほしいのだ。

 

そしてもう1つ考えなければならないことがある。

 

実はこれまでずっと書いてきた政治の汚い仕組みをを日本人はほとんどだれもが知っていたということだ。

 「会社」で働いている人とは、実はサラリーマンのことだ。

 会社がもうかることはそこで働いているサラリーマンにも、

 いくらかはもうけがいくということだ。

 お金のための裏取引(うらとりひき)。

 

ばれなければ、いい。

お金が入るんだから、いい。

 

そんな雰囲気が日本中に流れていき、今やその雰囲気は日本中をおおっている。

 おおっている中にいるからそれに気づけない人もいる。

 また、日本中をおおっていることに、もうあきらめている人もいる。

 

だがもともと日本人とは、もっと正しく、きちっとした民族だったはずだ。

 ばれなければいい。

自分だけがよければいい。

 

そんな事はまったく無いとはもちろん言わないけど、それを改めようという気持ちはいつの時代も持っていたはずなのだ。

 

キリスト教社会、イスラム社会、ユダヤ社会に住む人々は、「神様が見ている。嘘をつけば神様に罰せられる」と感じるのだろう。

 日本ではそう言った意味での「神」はいない。

 昔であれば「世間(せけん)」があった。

 悪い事をしたら、世間様(せけんさま)に申し訳(もうしわけ)が立たない。申し訳ない。

 世間に顔向け(かおむけ)ができない。

 恥ずかしくて街を歩けない。

 だが今は村や、町、地域の共同体が崩れ、「世間」が消

 えた。(ちょっと難しいところだけど、要するに転勤や引っ越しで、隣に住んでいる人さえ知らない、知っていても2,3年の付き合いで、よくは知らない。

 住んでいる所の人全部を子供のころから知っていて、何かあったら良いも悪いも色々言われ、言われることで生活のスタイルが変わる、変えざると得ない。そんな力を持ってるものを「世間」と考えればいい。

 

「小学校の時はいっこも勉強せんだったが、べっぴんの嫁さんもろうて、幸せもんじゃ。」

 

と町の通りを歩くとあちこちから言われる。

 そんな所に住んでいれば「世間」はある。

 そんな目を絶えず意識していなければならないし、いいかげんなこともできなくなる。

 悪い事をすれば、そうした世間に顔向けができなくなる。

だか今そうした世間も消えた。あるいは大きく力を無くした。

 じゃあ、ばれなければいいのか。

自分だけよければいいのか。

 

ちょっと突然で、へんてこだが、お天道様だ。

お天道様に恥じない。

 

これはどうだろう。  ^^;

 

神様ではない。

世間様でもない。

お天道様。

お天道様とは太陽の事だ。

太陽を代表とする木や森や鳥や雲や空、川や海などの自然の事だ。

そうした自然に向かって、恥じることは無いか。

そうした自然に向かって、心が痛まないか。

そうした自然に向かって、心が重くないか。

晴れ晴れとした気持ちで自然に向かえること。

日の光を浴びることができること。

 

それこそが正しいことだと思うのだ。

 

日本の自然。

 

国土の7割が森だ。

まわりを海が囲んでいる。

そしてはっきりとした四季がある。

実はこれは珍しい。

国としてとても珍しいのだ。

地図を出してまず島国を探してほしい。

 

イギリス、アイルランド、マダガスカル、スリランカ、台湾、インドネシア、フィリピン、キューバ、ジャマイカ、ドミニカ、などあるが、それらの島の多くは赤道近くで四季がなかったり、あっても日本のように、梅雨の長雨があり、夏に30℃を越える日々が続き、台風が通り過ぎ、冬には雪が降り、春には桜の花がいっせいに咲き、そして散っていくというような現象は見られない。

 

自然の変化がこれほどに細(こま)やかな国は世界のどこにも無いのだ。

 このことは日本人の感じ方や物の考え方に大きな影響を及ぼしている。

たとえば物事を論理的に問い詰めない。

良いも悪いも問い詰めない。

なぜならいつか変わっていくからだ。

 

どんなに夏の暑さが大変で、ひ〜ふ〜言ってぐったりしていても、秋になれば涼しくなる。

どんなに寒い寒いと震えていても、やがては暖かな春がやってくる。

がまんして待っていればいつかはよくなっていくのだ。

 

また枯れた木も、春になればまた新しい葉を出し、夏には茂っていく。

咲き誇る桜もさっと散っていく。

だがまた翌年には花を咲かせる。

 

 

命が生まれ、生き、死んで、またよみがえり、生き、死んでいく。

そんな命の繰り返しを、自然の姿に、学んでいる。

生まれたものは、散っていくのだ。

だがまた生まれ変わって、この世に出てくる。

 

良いも悪いもみんな姿を変えていく。

だから良いものがいつまでも良いのではない。

悪いものがいつもでも悪いのでもない。

絶えず姿を変えていくのだ。

外に現れた姿は重要ではない。

姿は変わっていくからだ。

 

大事なことは生きていること。

命の流れが、真っ直ぐに流れていること。

よどむことなく、うそつくことなく、真っ直ぐに流れていること。

 

その事が何よりも大事なことなのだ。

いや大事なことだったのだ、昔の日本人には。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるエルサレムには、緑がない。

そこにある自然は、ぎらぎらと照りつづける太陽と、広がる荒野、大きな岩と固い土、人間と寄り添おうとはしない厳しい自然だ。

そこで人間は自然からは独立し、自分たちの力だけで生きていかなくてはならない。

そしてそのための支えとして、神を作る。

自分たちが作る社会を守っていく為の神様だ。

そしてそれは人間中心主義の考え方といえる。  

 

それはしょうがないことかもしれない。

日本のように自然は姿を変えない。

厳しいままの姿をずっとしている。

しかも優しく見守ってくれる姿ではない。

海がないから魚や貝をくれることはない。

森がないから、木の実や冷たい水をくれるわけでもない。

豊かな土がないから、米や小麦や多くの野菜をくれるわけでもない。

人は厳しい自然と戦い、征服し、科学を発達させ、人間中心の世界を作っていく。

それがヨーロッパ、アメリカの考え方だ。

 

日本人は自然を敵とはしなかった。

いつも自然の姿の中に自分の心を見た。

自然は心の現れであり、心は自然の表れだった。

人間の心=自然だったのだ。

 

ひさかたの

光のどけき春の日に

しず心なく

花の散るらん

 

美しく咲き誇る桜の花をもっと見ていたいという気持ちと、みにくく残ることなく、さっと散っていく花の潔さへの共感。

 

同時にそれは、人として精一杯生きて、死ぬときがくれば天命と死を受け入れ、騒がず、死んでいく。

だがまた姿を変え来年別の花を咲かすことを、予感している。

日の光は、永遠だからだ。

 

日本人は自然の姿に神様を見た。

 

それをアニミズムといって、西欧の社会は日本を未開部族の考え方と同じで、原始的でおくれた考え方だという。

 

たとえば、大地の神様、河の神様、火の神様、巨大な岩 大きな木、深い湖にも神様が宿っていると日本人は手を 合わせ、さらに家の中にもかまどの神様、井戸の神様を見、きつねや蛇や馬や牛にも神様を見た。

 

だから日本の神様を八百万の神様という。

 

自然の中の全てに神様を見る。

 植物にも動物にも魚にも、神様を見る。

 どういうことだろう。

 

形はどうでもいいのだ。

 その底に流れている命の流れを、拝んでいる。

命の流れに日本人は頭を下げている。

 

そして暖かく人間を見守る自然の中の命の流れの音に、日本人はことさら敏感に反応することだできるのだろう。

 

 昔の日本人であれば。

 

ではいつから日本人は自然の奥の命の流れの音を聞けなくなったのだろう。

 おそらく、きっと、昭和20年、戦争に負け、それまでの日本人の歴史と文化との流れから切り離されたときからだと思う。

 れまでは続いていた。

 

1853年、江戸沖に5隻の黒船がやって来て、ペリーにより無理やりそれまでの歴史と文化、鎖国を破られたときも、幕末、維新に向け、日本は自分たちの力で歴史を切り拓いた。

 

西郷隆盛、勝海舟、徳川慶喜、大久保利通、吉田松陰、福沢諭吉、坂本竜馬、高杉晋作、伊藤博文、まだまだ多くの日本人が古い日本を破壊し、新しい日本を自分たちの考えと責任で建設したのだ。

だが昭和の20年、戦争に負けた時、日本人は何かをなくした。

いや何かではない。

 

正しさへの感覚と、責任感の二つだ。

 

戦争に負けた。

だがその戦争を自分たちの力で反省することはなかった。

 だれが悪かったのか。

 何が行けなかったのか。

 どこでまちがえたなのか。

 どうすればよかったのか。

 そうした事を、「一部の軍人の勝手な行動」という形で結論づけ、あとは復興という、燃えてなくなった物の再現と、それが終われば新しい物の建設に全てのエネルギーを向けた。

 そして新しい物の建設の時から、自然を次々と破壊していくこととなった。

 

道路を作る、高速道路を作る、工場を、ダムを、港を、作る、新しい病院を、役所を、ホールを作る。

 巨大なホテルをショッピングセンターをニュータウンを作る。

 自然はたんなる邪魔ものとなった。

 日本人はその声を聞くことをやめた。

 聞いていてはお金が入ってこなくなるのだ。

 典型的な日本の政治家である鈴木議員の声の大きさは、自然の声を掻き消そうとするためのものだったのだ。

 

何が正しいのか。

 責任を取ると言う事はどういうことなのか。

 日本人はそのことを考えるのをやめた。

 そして毎月の給料が増えていくこと。

 家の中に新しい製品(せいひん)が増えていくこと。

 その事だけが日本人の毎日の関心事(かんしんじ)にな ったのだ。

 そしてそうした日本人の願いをかなえるのが立派な政治家とされた。

 地元(じもと)に仕事を持ってきてくれる政治家。

 自分の給料を上げてくれる政治家。

 日本人はそうした政治家を選んだ。

 

正しく生きていく。

 自分の行いや言葉に責任を持って生きていく。

 その事にこだわる。

 そんな生き方は日本人の中から消えた。

 消えてしまったのだ。

 そういう生き方をしていれば、貧乏でかっこ悪く、世の中から取り残される。

 

日本はそんな仕組みの国になってしまった

 

 

 

                                    つづく