鉄道員(ぽっぽや) いいなと思う。結局は泣けてしまう。 死んだ子が成長し現れ,私幸せだったという。定年間近の駅長は,おまえが死んだ時にも日誌には本日異常無しと書いたんだぞと言う。ぽっぽやだから,しょうがないっしょ,と言う娘の声を聞き,老いた駅長は肩を震わせ,搾り出すように泣く。 映画の中ででも泣けるし,そんな駅長を演じる健さんの演技にも泣ける。やられた。 鉄道にしか興味が持てず,不器用で律儀で口下手で照れ性な男は,しかしだからこそそんな自分を頑なに守る事ででしか自分のこれまでの人生を確かめることができない。 新しいホテルという場で自分を新しく試す勇気など無い。そこで傷つく事よりも過去の鉄道員として築き上げてきたプライドにすがる事を選ぶ。それは臆病でもあり,援助を惜しまぬ他の人々に対しては傲慢でもある。 殉じる。 何かと運命を共にすることだ。 彼は雪深い町を走る機関車と線路に殉じた。 その事を彼がいつ決意したのか,もしかしたら生まれた夜,遠い街の暗いしじまに響く甲高く重くくぐもった汽笛を耳にした時かもしれない。 彼は鉄道と運命を共にすることを密かに決める。 そしてそんな男にだからこそ,雪の女神は微笑む。
少女の頃,小学生,中学生,生きていたならばの年頃で,娘は現れる。 殉じることを知らぬ間に決意した者にのみ与えられる奇跡だ。 娘の作った鍋が長いショットで写され,それが幻想ではなく現実のものであった事を示す。 殉じた者の思いは死者の国へと響き,死者は生者となり舞戻り,殉じた者の悲しみと切なさと悔しさと苛立ちを収め帰っていく。そして,男はぽっぽやに殉じる。 殉じることの決意を秘めた顔,健さんはいつもその顔を演じた。 だが今回は違う。決意は無いのだ。 老いた駅長は殉じる事を決意してはいない。その決意は彼の心の底に眠っている。それが表に出る事はない。だが彼の思いや行いの全てはそれが決める。そして幌舞鉄道の廃線が心の底の殉じる気持ちを動かす。死者が舞い降り,彼は駅のホームで死ぬ。彼の背に次々と舞い降りる雪。娘がそっと優しく背をなでる。 健さんの好々爺とした表情にこそ,殉じる者の決意の強さと悲しさがにじみ出る。 殉じることが不可能なこの世の中だからこそ,なおいっそう感動的である。 やっぱ,広末はいいわ。 2001.1.8 |