パサージュ-84 部屋に神棚がある。 10年前、D2で3500円で買った安物だ。 とはいえ、もともと神棚というものはシンプルなもので、だから有り難味が無いということでもない。真っ白な木が交差し、美しい。 と思っていたが、この4,5年で日に焼けて見た目重たくなり、どこか神聖さに欠けるような気がしている。 軽いということ、重力の支配から逃れていること、宙に浮いている感じがすること、それが神聖さの条件の一つなのかもしれない。 火を灯し、水を置く。 榊を立てる。 だが榊がないのだ。 スーパーでも買えるが、高い。それで家の近くで榊によく似た葉っぱをとって、活けている。 緑が映える。何の葉っぱかは知らないが、いい感じだ。 木は決まっている。 いつもの木から10日に一度、枝を折る。 10日で枯れる。茶色になり、触るとはらりと落ちる。 ところが今、もう、半年を越えるというのに、まだ緑色のままの葉がしっかりと神棚の右側を守っている。 左側に活けた葉は、いつも通り1週間ほどで枯れて落ちた。 ところが右側に生けた葉は、まだ緑のまま残っているのだ。 それも、もう半年を越える。 半年を越えているのだ。 去年の冬だ。冬に枝を折り、器に挿した。それが今も緑色のままなのだ。 水は5分の一に減っている。残りあとわずかだ。 水道の水は色々と問題があるといわれている。発がん性がある、金魚は水道の水では死ぬ、飲むには一度沸騰させなくては体に悪い。 ところが、この葉は、水道の水でもう半年以上生きているのだ。 ありえない。 と思う。 2ヶ月目、3ヶ月目、毎日葉を触っていた。さすっていた。こすっていた。 頬に当てていた。もう枯れてもいいんだよ、そんなに頑張らなくてもいい、もう十分だ、立派だ。たいしたもんだ。オッケー、明日枯れな。 と声に出していっていた。 だが、緑は色あせない。 褪せないのだ。 これは何かの啓示だ。 もしかしたら奇跡かもしれない。このまま1年、5年、10年、水がなくなっても生き続けていくのかもしれない。 生命の神秘と奇跡が実は僕の目の前で起こっているのかもしれない。 僕はそれをしっかりと見ていかなくてはならない。 人類の代表として、そんな使命を負っているのかもしれない。 きっと僕を励ましているのだ。 僕に生きる希望と力とを、身をもって示してくれているのだ。 だから僕は葉を触り、目を閉じ口に入れ、その葉を幾度も舐め、その力を頂こうと 頭を垂れる。大きく息を吸う。 緑が美しい。 触れると見た目より肉厚で柔らかい。 僕はいつもろうそくに火を灯している管の長いライターに火をつける。 カチッと大きな音がし、ぼっと青い炎が伸びる。 その炎を葉に向ける。 1,2秒、3秒、葉は動じない。 だが4秒5、秒でふっと葉がまくれていく。 瞬間、水が小さな小さな滴となって弾け、茎に沿って流れていく。 すぐにオレンジ色の小さな炎が立ち、葉が丸まり、すっと落ちた。 僕はほかの葉にも、細長いライターを次々と向けていく。 葉は、9枚あり、9枚の葉は、同じように水を流し、丸まり、落ちた。 小さく黒く丸まった塊が9つ。 床に転がっている。 僕は足の親指で、一つ一つそっと力を込め潰していった。 親指の先にからからになった葉が刺さった。 9回続けて踏みつけ、10回目、何度も床に親指を擦り付けた。 何度も、何度もだ。 2009.7.18 |