パサージュ-83

 

 

1週間前、ちょうど関東で梅雨が明けた日、近くの花屋がつぶれた。

売れ残ったサボテンが7鉢500円で売り出された。売れなければさっさと鉢ごと処分してしまうのだろうと思い買った。

 

細長いもの、丸いもの、とげとげのもの、歪んだもの、すっと立つもの、地に這うもの、やや枯れかけているもの、それぞれを部屋の隅にまとめて置いた。

 

サボテンだから水は適当で良い。特に面倒は見なくていい、そう思った。

薄い緑が部屋の中にぼっと小さな広がりを作った。

 

自分の部屋に生き物がいるのはこれまでになかったことだ。時々大きなハエが飛び込んできて、ぐるぐる回って入って来た所から出て行くことはあった。

間違えた所に飛び込んでしまい、おっとという感じですぐに部屋から出て行った。

後姿を見送ったことが3,4回ある。

 

サボテンは部屋の隅にじっとしている。

命を救ってやったのだ、と思ってみる。

だが別に鉢ごとガチャと割られどこかの小さな穴に放り込まれたり、体だけ引き抜かれまとめてポリ袋にでも入れられ、ごみとして火の中に投げ込まれたりしたとしても、きっと別にどうということもなくこの世界から消えていったのだろう。

それと同じ気持ちで今彼らは僕の部屋の隅にいるに違いない。

 

別にどっちでもよかったのだ。彼らにしてみれば。

 

 

サボテンの育て方についてネットで調べてみようかと思っていたが、結局めんどくさく3週間ほどが過ぎ、それでも別にどうということもない彼らを見て、とりあえず水はいくらサボテンでもと思い、プラスチックの200CCほどの水が入る綺麗な明るい青色の霧吹きをダイソーで買い、シューシューと吹きかけてやった。小さな鉢の乾いた土が黒くなり薄い緑の体に小さな白い水球が満遍なくついた。

 

これはこれで気持ちのいいものではないかとも思ったが、別に何の反応もないし、それもまた当たり前で、また2,3週間がすぎた。

 

ある朝気付くと7つあるうちの一つが茶色くなって斜めになっていて、触るとぱらっと折れた。

あっけなく死んでいた。

 

いつからそうなっていたのか、まったく覚えがなかった。見ていれば気がつくことなので、この2,3週間まったくサボテンのことは忘れていたのに気付いた。

 

まあ、それ位のことなのだ。

それでも何か悪いことをしたようで、針をぐるりとまわして日の当たる場所を変えてやった。

いつも同じ所ばかりよりは良いのではないかと思った。

 

ある事情で部屋に1月間戻れなかった。

1ヶ月の間サボテンのことは頭に上らなかった。

 

部屋の鍵を開ける時、不意に6つの茶色のサボテンが頭に浮かんだ。

部屋の隅の小さな茶色の広がり。

 

だがサボテンたちは相変わらずこれまでのように当たり前に何気なく、じっと息をひそめるということも、唇をかみしめてということもなく、むわっとした部屋の空気の底にいた。

 

僕を待っていてくれた、ということもちろんなく、自分たちの毎日を淡々と生きている。

 

窓を開ける。

さっと涼しげな空気が流れ込みそれは落ち込んでいた僕の気持ちを少し引き上げてくれ、それは意外で、少しほっとした。

その時白い破片が部屋に突っ込み、ふわりと動きを緩やかにし、天井に向きをひらりと変えた。

 

蝶だった。

一度高度を上げた蝶は、今度はすっと力を抜き、床に向かった。

そして一番とげとげの多いサボテンに着地した。

 

すっと羽を閉じる。

細い足にサボテンのとげとげはどう感じるのだろう。いつもの花びらの感触とは明らかに違うことに戸惑っているのだろうか。

 

だが蝶は飛び立つ気配も見せず、じっと羽を閉じたままサボテンに体を落ち着けた。やがて蝶はサボテンの一枚の花びらのようになり、僕はしばらく見つめていたが、15分、20分と経ってもそのまま蝶は飛び立つこともしないので、僕は窓を閉め、テレビをつけた。テレビは音を出す前に小さくみしっという音を立てた。

蝶の羽がその音に小さく反応した、と思って蝶を見たが、別にそんなこともなかった。

僕ははコンビニで買った弁当を開いた。

 

 

テレビを見ながら辛いたれの穴子弁当を食べている間何回か蝶に目を向けたが、蝶もサボテンもそれがもう元からあった自然な形であったかのように、じっと動かない。

 

蝶の静かな呼吸が聞こえそうな気がし、床にごろりと横になり蝶のすぐそばに寄り耳を近づけてみたが、何も聞こえず、蝶は一枚の白い花になったことに何の違和感も覚えていないようだった。

 

 

そうしてもう1週間が経つ。

窓はいつも開けてある。

仕事に出ている間も窓は開けてある。

 

 

だが蝶はサボテンの花のままだった。

蝶はサボテンから栄養をとっているのだろうか。

とっているからまだ生きているのだろう。

だがそのうち死んでしまうだろう。

だがその前にきっと窓から自分の場所へと帰っていくのだろう。

今はただきっと気まぐれを楽しんでいるのだ。

 

いやそれともある日茶色くなって床に干からびて落ちるのかもしれない。

それは蝶としてはきっと珍しい一生になるのだろう、きっと。

 

夜時々花の咲いたサボテンを見る。

その時ぐっと僕の体を震わすものがある。

強い怒りのような黒く尖ったものだ。

 

そんな時僕はじっと花の咲いたサボテンを息をひそめて見つめる。

そしてそのうち息をするのを忘れている自分に気付くのだ。

 

真夜中ゆっくりと僕は深呼吸をする。

ゆっくりとだ。

 

                                   2009.7.14