パサージュ−80

最近良く音が通り過ぎるのだ。

最初は携帯のミュージックプレイヤーで音楽を聴いている時、ある筈のない音が右の耳から左の耳へとサッと通りすぎていった。

何か一音ずつ呟く感じの音だった。いっさいっさ……、そんな感じの男の声のようだった。

 

次は普通にテレビを見ている時、小さなしかし確かな発音で、青い花があればねぇ。ないものは……、あとは声が通り過ぎてしまっていてわからなかった。

 

建物の外で誰かが誰かに話しかけている声で、それがたまたま風に乗って部屋に入ってきただけだと思っていた。実際窓は開けていたし、外の声はよく聞こえる。

 

だがそれからランニングで外を走っている時、3時間走のラスト30分でかなり追い込んでいる時だったが、周りに誰もいない林の中で諦めたような感じで、3番目だけでももっと大きくね、それでいいでしょそれで、という声がサッと右から左へと、通り過ぎて行った。

 

 

昨日は、新聞受けから新聞を取り、それに目を通しながら階段を登っているときに、新聞紙の中から子供の声でもっと白かったよ。もっと小さくて、ほんとに…という声が聞こえ、そしてぼくの後ろに消えていった。

 

 

もちろん神様の声でもないし、だいたいそこには何のメッセージもない。

どこか別次元での日常生活が一瞬ここに落ちてきてさっと消えていく、そんな感じなのだ。

 

なんだかな〜〜と思う。

世間にはチャネリングとかいって高次元の意識体と通信できる人もいるのだが、こっちは一方的でしかも何の意味もないありきたりの言葉しか届いてこないのだ。

 

 

毎日会う人とも時折会うどこかの人ともどちらも周波数の合わないまま時を過ごし時を終えていく。

こんな人生ももちろんあるのだろうが、やっぱ、はずれ、って感じのぼくの人生だ。

 

またかすめていった。

右だったっけ。たしかあの木のあの枝が……

 

何でこんな声しか聞こえないのだろう。

笑ってしまう。ほんとに笑ってしまう。

 

でもぼくは耳をすましているのだ。

毎日会う人の声にも、突然会うかもしれない人の声にも。

誰もぼくのいうことは聞いてくれないけど、でも、耳は澄ましていなくてはならないのだ。

 

そう思う。

                   

2007.12.18