パサージュ−65

日曜日がありがたい.

この日曜日が待ち遠しかった.1日ゆっくりできるのが本当にありがたい.

 

日曜日は休む事にしている.

同僚には日曜の方が顧客の滞在率がいいから日曜にこそ出るという奴がいるのだが、冗談じゃない、日曜日ぐらいはゆっくりしたい.誰だってそうだろう.

確かにそいつは売上はトップだ.大したもんだと思う.ぼくにはできない.

 

日曜日だ.

今週は月曜から風邪気味で体がだるく、今日が待ち遠しかった.ゆっくり1日、寝たかった.

だから布団の中でごそごそしている.トイレに行って、明るくなった外をチラッと見て、また布団の中に入る.う〜んと体を伸ばして、がくっとちからを抜いてまたそのままの姿勢で目を瞑る.

極楽だ.

うとうとし始めたらそのまま寝てもいいのだ.それが日曜日だ.

ありがたい日曜日だ.

 

とは言いながら、さすがに腹がへってきた.気持ちのいい空腹だ.

11時半.ぼくは昼食を作るために布団を出た.

まだ陽気は暖かく、起きたままのパジャマでうろうろしてても寒くはない.

昼食といっても昨日の残りの野菜スープを温め、3個100円のカレーパンを2個食べるだけ.粗食なのだ.

野菜スープは、キャベツと長ねぎと大根と小松菜とサツマイモとカボチャを切って鍋にコンソメと放り込んだもの.生協で毎週野菜ボックスを配達してもらっている.だから野菜はいつも旬のものを食べている.

さらに先週、通販でミキサーとミルとお茶挽き機能があって4000円というのがあり、さっそく買い、煮干を砕きふりかけにし、トマトジュース、りんごジュース、バナナジュースを飲み、明日からはたまねぎジュース、ナスジュース、きゅうりジュース、大根ジュースに挑戦する予定だ.

健康にはいいはずだ.

酒に良いというウコンを買って粉にして飲んでもいる.

2リットル入り、2本で1400円という酒を週に4本飲んでいるので、ウコンをミルで砕いてお湯で溶かして飲んでいる.完璧だ.

 

 

昼食後、外に出る.

近くの公園に出かけた.

小さな公園だ.

滑り台と鉄棒とブランコと砂場があるだけの公園だ.

ベンチは色あせ、草も生い茂り、砂場に砂はない.

ぼくのアパートからは近い.

このベンチまで部屋を出て3分とかからない.2階の部屋からもこのベンチは見える.

日は照っているが、もう暑くはない.今年の夏は短く、いきなり秋がやってきた.

部屋を出るときに1枚上にはおって出た.

 

固くわずかに開いた黄色い3,4本の花の周りを一匹の蝶が飛んでいる。

砂場の奥の花壇の中だ.

飛び方に元気がない.

羽が薄い.

ばたばたと飛んでいる。

高くなったり低くなったり、飛び方が一貫していない.

 

季節をまちがえた蝶.

日に日に涼しくなり、弱くなっていく日の中を飛んでいる.

きっと春であればむせ返るような蜜の匂いや、色鮮やかな赤や黄色の花の中、勢いよく吐き出る酸素や水蒸気の中を飛ぶことができたのだろう.

その時ならきっとこの蝶もうっとりと、時に狂わんばかりに沸き立つ命のざわめきのまま、羽をはためかせ、上昇や下降を繰り返していたのだろう.空の青さと太陽のまぶしさも感じたに違いない.

だが今は違う.

時折吹く風には、やがてはナイフのように尖る木枯らしを予感させる冷たさが一瞬混じる.

 

だがその隣りの別の花にも同じように傾きながら飛ぶ蝶がいることに気がついた.

2匹とも羽の端はギザギザになっている.

バランスを欠いた飛行で、羽をあちこちにぶつけ、痛めてしまったのだろう.

ふっと目の前を白いものが通り過ぎた.

それも蝶だった.

蝶はそのまま一度空に向かおうとして、急に高度を下げ、ベンチの横の植え込みの緑の葉の上に止まった.風が吹き、蝶はその横風を受けて、倒れそうになるのをこらえ飛びたった.だがすぐその隣りの植え込みの緑の葉の上に、降りる.どこか疲れきっているような感じがした.

砂場の奥を見ると蝶は5匹に増えていた.

どれも羽は薄く、羽の振りは左右対称ではなく、ジグザクに飛んでいる。

だんだんと増えていく蝶の数にぼくはどこかこの近くに彼らの棲家があり、そこから少しずつ出てきているのではないかと思った.

普通はそんな事はないのだろう.だがこの季節に生まれた蝶は、きっと同じ所で生まれたに違いない.生まれることのできた場所なのだから、暖かい所なのだろう.敵もいないのだろう.だからそこから出て、夜はそこへと戻っていく.きっと彼らの棲家がこの近くあるのだ.ぼくはベンチを立って周りを見渡してみた.

それらしいものはない.蜂の巣のような蝶の巣があるのだろうか.

そんなものが果たしてあるのか.それともこうもりのようにどこかの洞窟で逆さになってズラリとぶら下がっているのだろうか.有り得ない.

小さな木の祠にそれぞれ息をひそめ分かれてこもっているのだろうか.

 

見ると砂場の奥の蝶の数は3,40匹に増えている.

ベンチの横の植え込みの緑の葉にも20匹近くの蝶が羽を休めている.

これは普通ではない.

春にだって、こうは集まらない.

ぼくはしばらく彼らを見ていた.

じっとして動かない.

何分かが過ぎた.

蝶の数は増えない.

これで全てなのか.

 

 

砂場の奥で一斉に蝶たちが飛びたった.

青い空を背景にした蝶たちの飛行はえらくざわざわとした不規則なもので、地面に引き摺り下ろされるのを嫌がって、めちゃくちゃに羽を振り回しているように見えた.

青い空の一部が小さくバラバラに崩され、形を次々に変える.

すぐさま植え込みの蝶たちがその集団を追うように、飛び立つ.

あとから飛び立った蝶たちが先行した蝶たちに追いつこうといっそう羽を動かす.

空の中を溺れているようだ.

 

 

ようやく一つになった蝶の集団はしかし瞬間羽の動きが止まり、すーとそのまま落下し、緑の葉の上にほとんど同時に着地した.

そして動きを止めた.

どの蝶も動かない.

じっとしている.

 

横風が吹いた.

,6匹の蝶がそのまま横になり葉からころがり、地面に落ちた.

風でさらに土の上を滑っていく.風が止むと蝶はひっくり返ったまま動かない.

 

 

風が吹いた.

また5,6匹の蝶が葉から落ちた.

そして同じように土の上を転がされ、そのままの姿勢で動かなくなった.

 

風が吹いた.

また5,6匹の蝶が葉から落ちた.

 

ぼくは部屋に戻った.

部屋に戻り残っている水と一番大きな皿を持って公園に戻った.

そして蝶たちが止まる植え込みの下に皿を置き水を入れた.

 

30cmほどの丸い水の鏡に青い空が映る.

 

バタバタと羽を振り回し1匹の蝶が降りてきた.

皿のふちの周りを小刻みに上下し、やっとふちに止まった.そして体を水に傾けた.

蝶が水を飲んでいる.

しばらくして2匹、3匹、4匹と、蝶が皿のふちに止まり体を傾ける.

皿のふちにぐるりと蝶が止まる.

同じように羽をたたみ、息を止め水を飲んでいる.見ているぼくは体が微かに縮んでいくような感じがする.

蝶たちは水を飲み続けている.

 

 

同時にふわりと白い冠が皿から垂直にその形を変えず、上昇した.

そしてぼくの視線の高さにまでなったとき、いっせいに一度だけ羽をはためかせた.

思いがけない速さですーと空へと舞い上がっていく.

ぼくはその姿を見ながら、体が土の中に引きずり込まれて行くのを感じる.

顔を上げると空に白の冠が吸い込まれていく.

やがて小さな輪になり、消えた.

 

 

ぼくは眠くなる.

この1週間の疲れを体が思い出したようだ.寝なければ.

寒くなってきた.

転がっている蝶の汚れた紙切れのような死体を踏まぬよう、ぼくは部屋に戻る.

 

2003.10.24