パサージュ−59 ビルを出ると外は霧だった。 霧が体にまとわりつく。歩いている体に霧が体をすり寄せてくる。 霧の匂いがする。 湿った乾いた匂いだ。 白い犬がぼくの前をとっとっとっとと歩いていく。 顔を上げて歩いていく。 耳が立っている。耳が立っているのはよくないと僕は思っていたが、きっと犬の種類によって違うのだろう。この犬の種類ではいいことなのに違いない。実際そのことで彼は実に凛としたいい感じを周囲に振りまいている。それに彼の足取りはどこに行くのかを知っている自信に満ちた足取りだ。 霧の夜というものはじっと霧を味合いながら歩くものだ。 僕はそう思っていたので、その犬のいかにも霧を何とも思わない歩き振りは、何かいっそすがすがしく、その目的地を定めた意志的な歩きが嬉しくもあった。だからその犬についていくことにした。 犬は僕が後からついて行くことを知っているようだ。とっとっとっとと速く行き過ぎた時、少し首を左に向け、きっと左の目の端っこにぼくを確かめて、ついてきてるなと思いながら、先を急いだ。 何を急いでいるのだろう、とぼくは思ったが、それよりも大体この犬が僕をどこかに連れて行こうとしていると僕が思っているという事が、実はおかしい事なのだと思おうとした。 霧の夜の白い犬。 たまたまなのだ。 その犬にどうして僕がついていかなくてはならないのか。 何かの徴なのか。 僕に何かが何かを知らせてようとでもしているのか。 ありえない。 そう思うことは自分の弱さの証明でしかない。 だが犬はぼくの前から消えようとはしない。 だからぼくは犬のあとをついていく。 駅だ。 だが白犬は駅の改札には見向きもせず、そのまま駅の階段を下りた。 駅を中心としてニュータウンと農家とが分かれている。 白犬は幹線道路を歩いていく。 道の両側はすぐに広々とした畑になり、所々にある農家の黒いシルエットのほかには何もなくなっていく。 白犬の足取りは軽い。 何か笑ってしまうほどにその犬の足取りは軽いのだ。 地球の重力から解放され、その事に実はひそかな喜びを覚え、だがそれを公にするとまずいので、じっと自分の心の奥底で耐えながら味わってでもいるような、そんな秘密めいた軽さを感じてしまうのだ。それも相手は犬だ。 僕はどこに連れて行かれるのだろう。 だがしかし、僕はどこにも連れていかれない事も知っている。 ずっとただついていくだけなのだ。 とっとっとっとっとと、ついていくだけなのだ。 とっとっとっとっとと、ついていく事が楽しいと、僕はそう思い真っ暗な闇の中を目を凝らしてふさふさと揺れる白い毛をじっと見つめるのだ。 2003.9.29 |