パサージュ−53

 

「午前11時、虹の森公園で待っています。」                 

 

二つ折りにされた薄い緑の便箋を開くと、そう書かれていた。

マンションのポストに新聞やDMと一緒に入っていたのだ。

 

青いインクで細い文字。

しかししっかりとした文字で便箋の中央に縦に1行書かれている。

名前は無い。

しかし押し付けがましさは無く、自然に書かれそのままポストに入れられたとい感じだ。

 

ぼくは何回もその手紙を見直した。

虹の森公園はジョギングコースの途中にあり、午前中走っているぼくには、簡単に行けるコースだ。

 

ぼくは行くことにした。

 

11時前に着いた。

汗が流れる。

ニュータウンの大通りの角にある。

周囲にはマンションが並び、隣にはテストコートが5面並んでいる。

公園の中央は円形に仕切られ、真ん中には高さ10メートルほどのトーテムポールが3体並び、ベンチがぐるりとそれを囲んでいる。

ここで待っているということだろう。

ぼくはそう思った。

だが誰もいない。

この時間はいつも誰もいない。

それは分かっていた。

 

きっとその周囲のマンションのどこかからここを見ているに違いない。

ぼくはそう思っていた。

だから今もきっとどこかからここを見下ろしているのだ。

ぼくは見られている。

 

ぼくはあからさまに顔を上げ、周囲のマンションを見渡した。

 

15階建て、10階建てのマンションがこの公園を見下ろしている。

きっとこの中のどこかに手紙の主がいるのだ。

 

10分ほどいて帰った。

風だけが気持ちよかった。

 

 

「11時に虹の森公園で待っています。」

 

翌朝新聞と一緒に昨日と同じ便箋が昨日と同じ文面でポストに入れられていた。

10時半、帰宅時に夕刊を取り出した時には無かった。

という事はそれから今朝の8時までの間に入れたことになる。

 

夜だ。

わざわざ夜に入れるのなら、この近く、このマンションの住人に違いない。

そしてこの手紙に惹かれて公園に行くのを陰で見て笑っている、そんな鬱屈した男か女なのだろう。

 

だがぼくは昨日と同様、虹の森公園に行くことにした。

 

 

梅雨明け宣言は一昨日あったばかりだが、天気はいきなり夏真っ盛りという感じで世界が白く輝いていた。

 

公園には昨日と同じで誰もいない。

出掛けに周囲を見た。

公園に向かっていそいそと出かけるぼくを誰かが見ている、そう思って周囲に気を配ったが、いつもと何も変わってはいなかった。

公園の石のベンチは熱く、もともと座る気など無かったが、それでも座ってみることにした。

すぐに帰ってはいけないような気がした。

じっと動かずここにいなければならないような気がした。

風が舞った。

涼しい風が頬を撫でた。

 

まだセミは鳴いていない。

僕はそんな事を思いながら30分ほど、熱い石のベンチに座っていた。

 

 

 

ぼくはその日の夜、マンションの集合ポストの裏にじっと息を潜めていた。

ポストに手紙が入れられたらすぐに表に飛び出すつもりでいた。

 

何人かの帰って来るマンションの住人と出会った。

その度にポストを開け、新聞を取り出してはまた入れた。

1時を過ぎてからは誰とも会わなかった。

朝の4時までいた。

眠くなり部屋に戻った。

しかし気になりいつも通り無理して起きた。

 

朝8時。

ポストには同じ便箋に同じ文面があった。

 

つまりぼくがいなくなるのを見計らって手紙を入れたのだ。

確実にこのマンションの住人が犯人だ。

しかし何のために。

彼、彼女にしたって、眠いだろうに。

だがこのご時世だ、つまらぬ事にエネルギーを使うバカもいる。

 

ぼくはまた公園に行った。

やはり誰もいなかった。

風だけは心地よかった。

 

 

帰ってからポストの裏の床に座った。

今日は朝までいるつもりでいた。

きっと今日も手紙は入れられる。

 

だがつかまえてどうしよう。

別に何か被害があるわけでもない。

のこのこと公園に出向く男。

くだらぬ手紙を眠い中出し続ける男か女。

 

むしろお互い照れてしまって、それ以上何もする事が無いことに笑ってしまって、良い友だちにでもなれるかもしれない。

ぼくはタバコを吹かしながら、壁の模様をじっと見つめていた。

 

カシャ。

ポストの蓋が動いた。

 

ぼくは自動ドアを勢いよく踏み外に飛び出た。

誰もいない。

 

ポストにはいつもの便箋が入っている。

 

誰もいない。

朝の風がさっと頬を撫でた。

知らず涙が溢れてきた。

 

 

夜が明けていく。

光り始めた空に風が消えていく。

涙が溢れてきた。

 

 

ぼくたちはこんな風にしか出会えなかったのだ。

 

2002.7.23