パサージュ−48 こんな事で死ぬんだ. 僕はしばらく分からなかった.僕が死んだということが. 僕は自分の潰された体を見下ろしていた. いつも通り夜,ジョギングをしていた.自動車に轢かれた. 車を運転していた女は疲れていたのかウトウトしていた. ほんのわずかカーブでハンドルを回さなかっただけで,僕が轢かれた.即死だった. きれいに頭部を潰された. 何の痛みもなかった.あっという間だった. 死んだのだ. まだ生きるだろうと思っていた. 結婚もするだろうと思っていた.愛してる,と心から目を見つめ誰かに命賭けで言う時があると思っていた. 大勢の前で賞賛の何かを受けるだろうと思っていた. 感動に鳥肌たち,涙する時があるだろうとも思っていた. 僕の体は見事に潰れていた. 真っ赤な血がきれいだ. でもそれだけだ. 自分の血があんなに真っ赤だとは思わなかった. でもそれだけだ. 僕はもう死んでいる. 僕は体を動かした.体というのもヘンだ.何もない. ただある広がりを感じる.それは小さな広がりだ.それが意思とともに移動する. 少しずつ思い出す. 遠くからやって来た. 自分の魂を浄化する.それが宇宙を浄化する. 今回もそうだった. 帰ろう. 早く帰ろう. 僕は体を持つことが苦手だ. いつもこうやって帰る. いつも途中で帰る. 何もできずに帰る.そしてまた降りてくる. 繰り返しだ. 同じことを繰り返す. でもこれが最後だ. そうだこれが最後だった. 僕は思い出した. これで意思が消える. それはそれでいい. それがぼくの役割だったのだろう. ただ消え去る最後の意思は力を持てる.もっともそれぞれの魂の力によって力は違う. 暑い日だ. ビルが並び熱気が重く澱んでいる.白いビルが眩しい. 一人の少年がうつむき歩いている.もう3時間だ. 友だちに馬鹿にされた.根性ねぇ,と年下の子に言われ,ドンとつかれ,道路にころがった.遠くから同級生に見られた.笑っていた.明日学校で言われる.また一日言われ続ける. ぼくはダメ,みんなのお荷物,じゃましてゴメン. 少年の口癖だ. 暑い日だ. さっきサンダルが脱げた.かまわず歩いている.足の裏が熱い.がまんできない.全然道路の熱さに慣れない.イライラする.くだらない.くだらない.何もかもくだらない.いつもどこでもいつまでもどこまでもくだらない.くだらないのだ.息ができない. みんなクズ.何も考えてない.子供じみた悪口.でもぼくだって子供だ.でも,少しはましな子供. 死ぬ.誰にも知られずに死んでやる. いつかテレビで見た.遠い国で若い兵士が死んだ.秘密の任務で死んだ.だから誰もその兵士のことを知らない.兵士が誰なのかわからない.ぼくも誰にも知られずに死ぬ.このままどこまでも歩いて行く.ぼくだとわかるものは何も持っていない.遠くまで,今までに行った事もない遠い所まで行く. 青い蝶だ.ユリウスという.オーストラリアにいるらしい. その蝶を見ると勇気が湧く,強くなれる力が湧くという. でもここは日本だ. 馬鹿馬鹿しい. 暑い.熱い. 少年の前に大きな宅配のトラックが後ろの扉を開けていた. 少年は歩いていたその調子のまま中へ入った. 積み重なった荷物の後ろに少年は体を入れた。 大きな音が続き,扉が閉まった. 思ったよりも静かだ.エンジンの音は小さい. 眠くなった. 疲れた. このままどこかへ行ってしまおう. ウトウトする. 体を荷物に寄せた. 頬をダンボールに寄せた.冷たい.ひんやりとホッとする. 薄く目を開ける. ぼんやりと青く交差する線が見えた. 蝶のようだ,と思う. 眠い. 僕は最後の意思を集めた. すっと広がりが縮まり,厚くなる. これが最後だ. これで最後だ. 少年はウトウトする. ユリウスを見たらもっと強くなれる. 青い蝶を見たら. 青い,蝶を 少年の夢の彼方に小さな青い羽ばたきが生まれる. 少しずつ,少しずつ,大きくなる.
2001.8.16 |