パサージュ−46

 

夏の太陽にトカゲは体を銀色に輝やかせ,乾いたアスファルトを素早く横切った.

学校へ行く途中の少年が,きれいだ,と思った.

 

少年は学校は1学期で行くのはやめようと決めている.

いじめられるのはいい.

ただその理由やレベルが低すぎるのだ.

学校は世の中のくだらなさや醜さを学ぶのならいい場所だが,そんな事だけで行かなければならない場所だとしたら,何て悲しい場所だ.

 

 

午後の授業で朝見たトカゲを描こうとした

その輝きにだいぶ近づけそうだった.

嬉しかった.

もう少し全体を明るくしたかった.

絵の具を落とした.

拾って画用紙を見た時,画用紙は水浸しになっていた.

 

 

少年は溜息をつき,窓の外の動く黒い点を追った.

黒いアゲハが向きを変えた.

 

隣の教室でノートの隅に8匹目の猫を描いていた少女がその黒い羽を追った.

追っているうちに息苦しくなった.

少女は早退した.

 

いつもと違う時間帯.

駅から降りた歩道橋から少女はいつもと違う光景を眺めた.

歩道橋から見える公園の森に鴉がかたまっている.

同時に3羽の鴉がゆっくりと羽を2回膨らませた.

 

思い出した.

少女は思う.

 

鴉の後姿を見た.家出した冬の朝.息が白い.

 

ゆっくりと黒い羽がふくらむ.

私は遠く離れゆっくりと前へと回った.

 

鴉は猫を食べていた.

 

寒い朝だった.

息が白い.

私は家に帰った.

 

少女は息苦しくなる前に体をくるりと回し階段に向かった.

少女の真っ赤なシャツがクルリと回り風に膨らんだ.

 

 

得意先に向かう途中の道.あの歩道橋を過ぎた後右折する.

何度も曲がった道だ.

 

今日は最終の確認をするだけだ.細かい所を詰めてそれで終わる.

 

1年かかった.

今回が初めての仕事だった.

えらく性格的に癖のある相手だった.というか子供じみた男だった.自分の意見が何らかの形で通らないと話が進まないのだ.最初はこちらも意見を通そうとしたが,やめた.とりあえず立ててやればいいのだ.仕事の内容は全く分かっていない.引いて立ててやれば進む.馬鹿な男だ.

 

今日は早く帰る.

今日は妻と話す.娘の進路だ.

娘は部活で吹奏楽をやっている.フルートをやってるらしい.フルートなんて俺は吹いたことも持ったこともない.

勉強が全然ダメらしい.

英語が20点,数学が15点.

信じられない.俺の子だろう.いくらなんでもそんな馬鹿ではないはずだ.妻だって,英文科だ.

 

確かに朝は俺と一緒に出る.6時だ.朝練らしい.帰りも8時だ.

家に帰ったら食事もせず塾にも行かず,そのまま寝てしまうらしい.

何でも吹奏楽では伝統校で,実際10年連続日本一らしい.

たいしたものだ.娘も1年,2年と日本一だ.今年も目指している.

しかし英語で20,数学で15っていうのは何だ.

入試では推薦入学というのがあるらしい.

吹奏楽学部でテストをせず取ってくれるらしい.

それはそれでいい.娘も好きな事をまた高校でできるのならこんないい事は無いだろう.

しかし英語で20点,数学15点はまずいだろう.それが問題なのだ.妻とそんな事を話すつもりだ.

あの歩道橋だ.次を右折.

 

真っ赤な赤が跳ねた.

 

 

小さな赤.

跳ねる赤.

 

 

よく針を刺した.高校の時だ.夜中,自分の部屋.

腕に針を刺す.ぷっと直径5mmほど血が膨れ上がる.

それを何ヶ所も刺す.

小さな赤がぷっと膨れ上がる.

腕中が小さな赤にうめられる.

腕を振る.赤い線がさっと流れる.

赤い線が幾つも幾つも交差する.

細い血が流れる.紅い血が流れる.

やがて腕は赤い幕になる.

 

 

 

目の前で小さな赤が膨れ上がった.

 

信号だ.赤.

赤が続いた.

 

前のでかいトラックのブレーキランプだ.

ぶつかる.

ハンドルを右に切った.

対向車のまたでかいトラックが大きく迫ってくる.

 

 

何の感覚も無い.

首を回す.首は回る.

割れたバックミラーに俺の顔がある.

顔には真っ赤な幕が下りている.

娘は推薦で入ればいい.

数学も,英語も

 

 

                                                                                           2001.8.12