パサージュ−44

 

目が醒めたら11時だった.部屋が明るい.

飛び起きた.

でもまぁいっかと思い,また布団にもぐりこんだ.

 

「いっちゃん,ゴメン.お昼作るから午後から学校行って.先生に電話しとくから.

 

また寝入ろうとした時ドアが勢いよく開き,ママが言った.

 

しょうがなく起きた.

昨日は3時まで3人で話した.

離婚の話だ.

離婚は決まった.

パパが浮気をしたのだ.意外だった.大阪に単身赴任で3年が経つけど,浮気なんかするとは思ってなかった。ママだってそうだったのだろう。浮気がわかった時ママはすぐに別れると僕に言った。

あなたは心配しないで,ママがいるから.

そう言った.

 

ぼくは起きる事にした.

下から料理を作りながら携帯で会社に電話してる声が聞こえる.こんな時でもママはサラダと特製の野菜ジュースを欠かさない.電話で怒っている.それ位自分で決めなさい.僕にもよく言うセリフだ.でもいつも決めるのはママだ.

 

パパはもう会社に行った.

昨日寝る前にパパは僕に何か言おうと部屋に入ろうとしたが,ママに階下から呼ばれ,黙って苦笑いのような笑いを大げさにし,手を振って背を向けた.それが最後だ.

このまま大阪に帰る.そこには別の人がパパを待っている.

ママはパパを待っていたことがない.いつも先に寝てた.きっとそれが原因だと僕は思う.僕を待っている人っているのだろうか.

 

水曜日のお昼にママとご飯を食べるのは初めてだが,いつも通りの感じがした.

 

「いっちゃん,しっかりするのよ.自分の事は自分で決めるの.でも時々はママのこと助けてね.

  ママだって辛い事もあるのよ.

 

テレビを見ながらママが何気なく言った.

ちょっと意外だった.

ママも少しはパパの事が好きだったのか.

だったらもっと待ってあげたらよかったのに.

 

ママの横顔を見ようとして,ママと目が合うのがいやで,野菜ジュースに手を伸ばした.バナナとトマトと人参,明日葉,アロエ,シナモン,蜂蜜が入っている.かなり微妙だ.

 

ママが一瞬僕を見たような気がした.何も言わないのはよくないと思ったけど,タイミングを逸した.まずいな,と思う.

いつも僕はタイミングを逃す.

それをいつも後悔しているけど,誰もそうは思ってくれない.

クールな奴だと思われている.

 

 

「一緒に行こう.早く食べて.準備できてるの?」

 

ママが言った.

 

「できてる.

 

僕がこたえた。

 

学校まで10分だ.携帯が鳴った.

ママはゴメンと目で僕に合図した.ママは携帯で話しながら玄関を出る.すぐにエンジンの音が聞こえた.

 

 

ぼくは少し遅れていく事にした。

ぼくの席は後ろのドアに一番近かったから,そっと入ればそのまま席につける.そういえば遅刻は今学期初めてだ.いやもともと僕は学校は休みも遅刻も早退もない.6年間,連続試合出場だ.今日でそれが無くなった.少し残念な気がする.学校は行くだけでも大変なのだ.

 

1時に出た.

玄関を出た瞬間熱い空気に押された。

太陽の光に目が眩んだ.

真っ白な世界.

でも暑いのは好きだ.それに今日は風があったから良かった.風がなければさすがにうんざりする.

 

 

 

遠くで雷が鳴った.

低い音だ.背骨に響く.

音が低く這っている.

 

学校の向こうが暗くなった.

ざーと音が広がりこちらに向かって来る.

夕立だ.

僕は近くのマンションの玄関を目指した.

雨の方が早い.

大粒の雨が体に当たる.痛い.えらく大きな雨粒だ.

同じ様に3,4人の男女が玄関を目指した.同じ様に大粒の雨に濡れている.

ほんの5分ほどで夕立は去った。

 

みんな玄関を出た.もう太陽の光が体をかっと射してくる。

通りを擦れ違う人が僕を見る.

白い煙が回りに立っている.

何だろう.

 

僕は周囲を見回した.

別に何もない.

僕に向かって歩いてくる人たちが立ち止まった.

僕を見ている.

目を見開いている.

口が開いている.

 

焦げ臭い.熱い.煙が立っている.

 

僕は煙にむせた.嫌な臭いだ.胸を突く.吐気がする.

痛い.足が痛い.腕が痛い。首が痛い.背中が痛い.頭が痛い.

どうしたんだ?何なんだ.どうした?

 

僕は立ち止まった.

煙が立っている.僕の体からだ.僕の体から煙が立っている.

ズボンに穴が開いている.袖に穴が開いている.幾つも開いている.そこから煙が立っている.服が焦げ,煙が立っている.

痛い.熱い.服ではない。肉だ,肉が焦げている.

痛い.熱い.苦しい。

気管が焦げている.心臓が焦げている.

体の中に熱く燃える石が入り込み,食い込んで行き,肉や骨を燃やしていく。

 

何だ?熱い,焦げる,燃える.

僕の体が燃え出して行く.

指先がポット燃え上がった.

5本の指の先に小さな炎が立った.

炎は両腕に移り,僕は両手を目の前にかざした.

僕の手だ.どう見ても僕の手だ.

僕の手が燃え上がっている.

両足が熱い.

両足に火がついた.

下から炎が燃え上がる.

 

なに?なに?なに?

 

死ぬの,僕死ぬの?焼け死ぬの?

死ぬの?なんでこんなに苦しいの?

熱い,熱い,あついあついあつい,

 

学校遅れるよ.パパ,ママ,どして,どして,まだなんにもしてないよ,ぼくまだしにたくないよ,

 

いやだ!

 

 

やだ

 

 

 

 

 

                                                                                 2001.8.5