パサージュ−43

 

「公園の池,ヘンなの。」

 

小学3年の息子が言った。1週間前の事だ.

公園は歩いて10分ほどの所にある。

この公園が気に入って,マンションを買った。マンションの5階からもこの公園は見える。

息子に言われた時にベランダから池を見たが,別に変わった様子はなかった。

池はひょうたん型でかなり大きい。ひと回り1キロを超える。

息子もベランダからはそうだね,としか言わなかったが,今日になってまた息子が言った。

 

「ヘンだよ。やっぱし」

 

そこで私は公園に行くことにした。

もっともいつも日曜日は公園のトリムコースを走っていたから,苦にはならない。

息子は今日は野球で朝から練習だ。小学3年だが,ユニホームを着ている。金がかかるチームだ。

 

公園の手前半分が野球場になってる。

息子は3年なのでまだ試合には出られない。

捜してみたが見当たらない。

この陽射しに倒れて木陰で寝てるのかと見回したがいない。

救急車で運ばれたかと思ったが,ピーポーピーポを聞いた覚えもない。おやっと立ち止まってよく見ると,サードベースの後ろでアンダーシャツで立っている。塁審をしているのだ。

できるのだろうか。

第一ルール分かってるのかあいつ。

 

私は心配したが,たかだか子供の野球だ。いいだろう。間違った判定でいじめられてもしょうがない.いい経験だ.

しかし息子も偉い。平気な顔して立っている。けっこう図々しい。これは女房に似たのだ。

 

私は息子に手を振った。気がつかないと思って振ったのだが息子は軽く手を挙げ私に応えた.たいした奴だ.

 

野球場を抜け池に近づく.

顔の前を青黒い4枚羽のとんぼが掠めた.

池に向かって飛んで行く.

 

急に息が重くなった.

夏の野原の草いきれの感じだ.

だが空気がはっきりと変わった.

重く厚く,体が押し返されそうになった.

私はなぜか意地になって体を押し込んだ。しばらく重い空気が体にまといつく.

青臭く粘つく臭い.

私は咳き込みそうになるのを堪えた.どうせすぐに慣れる.公園の池に近づいているだけだ.別にどうと言うことはない.

 

青黒い4枚羽のトンボが群れだした.小さなトンボなのだ.だが私の上下左右を群れているトンボの数は増え,その青い部分が太陽に光ると黒が目立ち重たげだ.

 

ポチャンと音が聞こえた.

魚が跳ねた.

波紋が広がっている.

 

私より先に体が止まった.

水面から緑が浮き上がっている.

小さな緑の葉だ.

息子の手のひら程の緑の葉がびっしりと葉を広げ,さらに  その葉を下から別の葉が支え,その下を別の葉が支え,水面から50センチ葉が重なり合って濃密な空間を築き上げている。

今も水面下から緑の葉が茂り,上の葉を押し上げようとしている。

いや実際今も押し上げている.

池の緑は上昇している.じりじりと浮き上がっている.

 

私は周囲を見ようとした.野球場を見ようとした.息子を見ようとした.

 

小さな緑の群れ.

私は池に向かった.

遠くで打球の音が聞こえた.

私はダッシュした.

セカンドからサードに向けて走る.

息子はこのクロスプレーを裁けるか?

 

私は池に飛び込んだ.

小さな緑の葉が私の体を包み込み水底へと引き込んでいく。

                                                                                                                                                   2001.8.1