パサージュ−40

 

祖父が明日この森で何かが起きると2年前,ぼくに言った。

祖父は3日前突然死んだ。

葬式がすんでぼくは森へ出かけた。

 

 

満月だった。いつもより大きな満月だ。

ぼくは森に入った。森のどこに行けばいいのか分からなかった。

鳥が騒いだ。その方へ歩いた。

 

 

この森の中央には池があり,池の中心に小さな何も生えていない浮島があった。

満月の明かりに直径30mほどのほぼ円形の島が浮かび上がっている。

1本の木があった。島の幅と同じ高さが月明かりに伸びている。幹の輪郭が月の光を浴びて小刻みに揺れている。

 

枝が広がっている。

最初その枝を透かして星が見えているのだと思った。

だがそれは枝になる木の実だった。そしてその数は星よりも多く,滲みながらきらきらと輝いている。

その光が次第に強くなり,暗い森の中,島は中空に浮かび始める。

びっしりとした輝き。しかし眩しくはない。

薄く硬い金属が触れ合う音。

その音も大きくなったり小さくなったりしている。

呼吸と鼓動。

 

 

それは死者の魂だ。

そして戻れずにここでいつか戻る日を待っていた。

今日その戻る日がやってきた。そのことを死者の魂たちは喜んでいる。

だがその為にはその魂たちを空へと飛び立たせなければならない。

 

 

ぼくはそれだけの事が分かった。

頭の中にその事が浮かび,理解した。

 

 

ぼくは池に入った。思ったよりも深く,ぼくは首を出し平泳ぎでゆっくりと島を目指した。

少しずつ死者たちの魂の光の中に入って行く。

鈴の音が降ってくる。

輝きは透明で,1つの魂の向こうにもう1つの魂が見え,またその向こうに幾つもの魂の輝きが見えた。

光の魂たちは重なり合い,どこまでも続き合う。

光はひんやりと冷たかったが心が落ち着いた。

 

 

死にきれない心たち。

 

ぼくは島に立った。

幹の真下で見上げると,光たちはそっとぼくを冷たく暖めてくれる。

涙が流れてきた。

心の中の凍結していた何かが融け,流れ出してきた。

ぼくは顔を上げたまま,しばらく泣いた。

 

 

背筋を伸ばした。

手を二度打った。

音が響いた。

 

 

ぐっと明るさが増し,体が重くなり,次に体が上方に引き上げられた。

飛ぶのだ。

一瞬ぼくは思ったが,光だけが塊となって左右に揺れた後,ふっと木の枝を離れ始めた。

 

ゆっくりと死者たちの魂は塊となって空を昇り始める。

 

 

じいちゃんの頷く顔が見えた。

 

ぼくは滴る光の垂れ下がる部分に飛びついた。

 

もう1度飛びついた。

もう1度飛びついた。

光の中を手が横切った。手応えはなかった。

 

ゆっくりとゆっくりと死者たちの光の塊は高度を上げていく。

 

 

その大きさが満月と同じになった時,ぼくは池に入った。

泳ぐたびに大きな満月ともうすっかり小さくなった死者の光の魂が,ゆらゆらと目の前の水面に揺れている。

 

                                                                                                                                                                    2001.7.25