パサージュ−36

 

空から声が降りてくる。

その場所に行くと空から声が聞こえてきて,救われる。既に多くの人がその声を聞き涙を流しながら帰ってきたらしい。

1人で聞く時もあるし,何十人,何百人が同時に聞く時もあるという。空を見上げ待つ人もあれば,跪き頭を下げる人もいる。叫びながら走り続ける人もいる。

 

しかしその場所は一定していない。おおよその場所はわかる。山の向こうの広々とした低い草の草原のどこかだ。もっともその草原は一度入るとその向こうの大河にたどり着くのに10日かかる。死とは紙一重だ。そして救いはその中のどこかでだ。

 

その時太陽はさえぎられ,その場所に激しく雨が降り,風が空から吹き降ろし,声が降りる。

その後に水溜りや小さな湖ができ,声を聞いた人はそこで水を汲み戻ってくる。

 

だがその草原で声を聞くことも無く迷い,餓えや乾き,あるいは気が狂い死んでいった人も数多くいる。

 

 

 

 

暑い。

目の前の世界は白く光っている。

5日が経っている。草の乾いたにおいに苛々する。

 

救いの声が聞きたいのではない。そんなものはどうでもいい。

人捜しだ。

救いの声に惹かれてこの草原に入り帰ってこない人を捜す,それが商売になる。

 

いた。

うつ伏せで顔がわからない。

肩を持ち体を起こす。ぐにゃりと体が裏返る。まだ息はある。

若い男。細長い顔に高い鼻,薄い唇に広い額。

 

ぼくは母親の書いた絵を男の横に置く。絵には鼻の左横に大きなほくろがある。目を閉じたままの男には無い。いやそれ以前に似ていない。こいつではない。16人目。

ぼくは男をそのままにし辺りを見回した。

見回したところで何があるわけではない。何もない。太陽と青い空と茶色の草,灰色の大地。

 

どちらに行こうか。

当ては無い。

とりあえず歩こう。じっとしていては金にならない。

 

遠くに両手を空に広げボロボロになった着物をなびかせ,全速力で大きな円を描き走っている男が見える。ずっとグルグルと回っているのだ。よくいるタイプだ。

すぐにくたばる。

 

昨日は大地にひれ伏したまま死んだ女たちの群れを見た。30人近くいた。もったいない話だ。

枯れた木を背にきちんと正座したまま死んでいる男もいた。

 

そんなに救いがほしいのか。

不思議な話だ。

 

早めに捜さないとこっちの体力が持たない。

たいがいはぶっ倒れているのでおぶって帰るのはかなり辛いのだ。

 

暑い。

目の前は白く光っている。

今回は帰ろう。

ついてなかったという事だ。

 

 

 

突然暗くなった。心地良く冷たい大粒の雨が降ってくる。

空から風が吹く。

地面に体が押し付けられ,膝が折れる。

 

 

頭上から声が聞こえた。

聞いたことの無い言葉だ。遠い国の言葉。

3回ほど間隔を置き言葉が続いた。

 

 

明るくなりまた白く輝く世界に戻った。

 

さっきの顔の長い男が涙を流し空に両手を差し伸べ笑っている。

そして両手で自分の体を抱きしめ激しく泣き始めた。

 

きっと救われたのだろう。

 

 

日暮れまで5時間。

今日はこれで終わりだ。

                                                    

                                                                                                         2001.7.15