パサージュ− 35 小さな駅だった。 朝の光にホームの柵のペンキは剥げ,とまっていた鴉が大きく羽を広げる。 眠そうな5人の男女がこの車両に乗り込んできた。 切符を見ながらぼくの前後に分かれて座る。 柵の鴉の目が赤くぼくを見ている。 列車は田園の中を進んで行く。 農道をトラクターを載せた小型トラックがゆっくりと走っている。 あぜ道を大きな白い帽子の老婆が歩いている。犬を連れた男に立ち止まり頭を下げた。白い点が遠くへ消えて行く。 ドアが開き売り子が入ってきた。 飲み物や弁当,サンドウッチ,新聞,週刊誌がワゴンに入っている。 ぼくはコーヒ−を勧められ,買うことにした。続けてサンドウィッチや弁当を勧められたが断り,すると次に新聞と週刊誌を勧められた。 にこやかな笑顔。ぼくもにこやかに断る。 空はすっかり青く,遠くを鴉が並行して飛んでいる。 切符の行き先の文字を読む事はできない。 それは見る度にハングルのようにも,アラビア文字のようにもロシア文字のようにも見え,ぼくは駅につくたびに切符とホームの駅名を見比べた。 いつもどこか違っていた。 列車はトンネルを出たり入ったりしている。 トンネルから出るたびに周りの山が深くなっている。 長いトンネルを抜けた時,突然遠くに巨大な山が見えた。頂上は渦巻く雲に隠れていて見えない。大きく線路がカーブし,先頭車両がその山の方へと向かうのが見える。あの山を抜けるのだ。 ゆっくりと列車が止まった。 山のふもとの小さな駅。 ぼくは切符を見た。 違う。 何人かが降り今度はぞろぞろと20人近くが車両に入ってきた。 子供も老人も男も女もいる。 みんな大きな荷物を持っている。家族連れが多い。 ぼくの隣の席を除き,全ての席が埋まる。車両がにぎやかになった。みんなあの山の向こうに行くのだ。 窓が赤く滲み始める。夕焼けに向かって鴉が帰っていく。 柵の上にいた鴉だ。 山の懐に入った為山の姿はもうわからない。 トンネルに入った。 なが〜いなが〜いトンネル。 後ろから女の子のつぶやく声が聞こえ,そお,なが〜いなが〜いトンネル,と母親らしき声が続いた。 それを最後に明かりが消え,声が消える。 ぼくは切符を見た。 暗闇にまた違う文字が浮かび上がった。 列車の振動に合わせその文字はゆらゆらと揺れ,ぼくは隣の誰もいない席に手を置いた。 この列車はどこにも着かない。 乗客は乗り、降りていく。 ぼくは切符を見る。ぼくの降りる駅はない。 どこにも着かない列車の中で、ぼくは背筋を伸ばす。 2001.7.15 |