パサージュ−34 ここはいつも夜だ。 頭上を海の底の暗い青がどこまでも広がっている。星は決して同じ輪郭を見せず、線香花火のように赤や黄色や青や緑の光を撒き散らしている。そしてその光はすぐに周りの暗い青の空に吸い込まれていく。 僕は階段を作っている。 もう何万階、何十万階、以前は記録もしていたが、やめた。 縦50センチ、横1メートル、高さ30センチの階段を作っていくのだ。 1つの階段を作るのに半日かかる。 しっかりと作らないと危険なのだ。いい加減な気持ちで作ると崩れる。崩れればどこまでも落ちていく。落ち続けていく。ひたすら落ち続けるのだ。そう習った。 考えるだけでぞっとする。 めまいがする。 だから丁寧にしっかりと気持ちを込めて作る。 1段作ると1段登れる。 1段積むと50センチの移動がある。 もうずいぶんと前進している。 しかし直進しているかどうかは分からない。微妙に曲がり、螺旋を描いているか、それとも右に左に蛇行しているのか、それはわからない。きちっと積み上げているから直進しているはずだが、それを確認する方法がないのだ。周りには何も無い。暗く青い空と、そして、見下ろしても、同じ暗い青い空だ。 僕の階段は薄く輝く緑だ。見下ろすと細い緑の糸が風にゆれている。やがて暗く青い空に溶けていく。 どこに行き着くのか分からない。 1段積むとそこに次の段の材料がふっと現れる。 昔そのままにしたことがあった。 最上段に座りじっと星を見てた。 美しかった。 何回か泣いた。 階段に横になり眠りつづけた。 ここには音がなかった。 星に向かって大声を出した。 星はいつもどおりに光り続けた。 横になり眠った。 泣きながら眠った。 また階段を作り始めた。 1段作り、1段登り、また1段作り、また1段登る。 ほんのたまに、同じように階段を作る人と出会う。 それはうれしいことだ。 遠くに細長い線が見える。それがこちらに近づいてくるか、離れていくかは1日待たなければならない。互いに積み上げてみなければ進む方向はわからないのだ。うまく方向が合えば少しずつ互いの輪郭も分かり、やがて表情も声も分かる。 大声でお互いの自己紹介から始め、色々と話そうと焦るのだが、話す事がないことにお互い気がつく。互いにこの何もない暗く青い空と階段作りしか知らないのだから。だから2回目からは話さない。互いの階段作りを見ることにする。 しかしそれだけでも、嬉しいものだ。ほんとに嬉しいものだ。 一番近づいた時。 その時彼は、ぼくよりもずいぶん年上のようだったが、ぼくの上30メートルほどを右から左へ登っていった。僕は階段から見上げ、彼は階段からぼくを見下ろした。 すれ違ったあとはただ1日1日は離れていくだけだ。 彼の階段は薄い青だった。青い糸が揺れていた。目が覚めてまだその糸が見えていた時はうれしかった。でもきっと見えていたと思っていた1週間ほどは,既に見えてはいなかったのだ。 僕は階段を作る。 丁寧に心をこめてしっかりと作る。 星の輝きを見つめ、丁寧にしっかりとできるだけまっすぐに積み上げていく。 他の星よりも少し大きな黄色い星が現れた。遠くを左から右へと少しずつ移動していく。 時々こういう事が起きるのだ。 きっと何十年、何百年に1度起きる現象なのだろう。 それによって何かが起きることもあるし起きない事もある。僕は階段を作るだけだ。 正面に薄い赤い線が見えた。 ぼくの目の位置だ。 真正面だ。 翌日その線は太くしかも昨日と同じように正面にあった。 ぼくは方向を定めた。 その薄い赤の線に定めた。 3日後、僕は階段に立ち正面を見つめた。 同じように2,300メートル先の階段に少女が立っていた。 こちらを見ていた。 僕たちは階段を積み上げた。 同じペースで、しっかりと方向を合わせて積み上げた。 少しずつ距離が縮まってきた。このままでいけば二つの階段は出会える。 互いの顔が見えた。 50mもない。 だがそこから方向と高さがずれてきた。 まっすぐに、まっすぐに、積み上げてきたはずなのに。なぜずれる? 交差する日。 ぼくは少女の15メートル上にいた。 それが最短の距離。 縦50センチ、横1メートルの階段は小さい。 ぼくは深呼吸をした。 方向を間違えなければ、階段の中央に、階段の伸びていく方向に飛び降りれば、転がっても階段にしがみいてさえいれば、いつかは止まる。階段から外れなければいいのだ。 勢いをつけてはだめだ。 そっと降りるのだ。 飛ぶんじゃない。 そっと、そっと、降りるのだ。難しいことじゃない。 二人で階段を積み上げていくのだ。どこまでも積み上げていくのだ。それはきっと素敵なことだ。 どこまでもどこまでも積み上げていくのだ。二人でしっかりと丁寧にまっすぐに積み上げていくのだ。 僕は階段から両足を離した。 右足に力が入った。左足が後になった。方向がずれた。 方向がずれた。 階段にしがみつくのだ。 手を伸ばせ! 届かなかったら, 永遠に落ちつづける。永遠に落ちつづける。音のない、暗く青い海の空を。 手を伸ばせ! 少女の必死の顔。 ぼくのために? 細く柔らかい手が伸びる。精いっぱい伸びる。細い指、ピンクの爪。ぼくも手を伸ばす。 遠い。 出会えない。 遠いのだ。 視界の端で黄色い星が光った。 ぐっと光が増した。 その光がぼくの体を押した。その光がぼくの体を押した。 ぼくの体を黄色い光が押している。 |