パサージュ−23

 

昼間忙しく走りそびれ,夕食後しばらくして外に出た.

走らないと気持ちが悪い.10時を過ぎている.

途中小学校の前を通った。いつもは通り過ぎていた.でも今日は既に暗く,回り道が億劫だったので,校庭を横切る事にした.

 

たまたま駅から校庭を横切る女の人がいて,僕は一定の距離を置いて一緒に校庭に入った.

校庭は明るく,鉄棒と朝礼台がくっきりと浮かび上がっている.

 

若い女の人はヘッドホンで音楽を聞いていてさっさと校庭を突き抜けた.50mもない.

朝礼台の後ろに広がる花壇の小さな花々が,照明の灯りの端のぼ〜としたうす暗がりの中から,少しずつ闇の中へと溶け消えていく.

 

夜咲く小さな花.その花が闇の中へと消えていく.闇の中の花はどんな色をしているのだろう.

 

僕はほんの少しその先を見たくて朝礼台の後ろへ回った.

花壇が思ったより細長く広がりその先に渡り廊下があった.

廊下の先の戸が開いていた.細長い廊下が見え,白いクラス名を書いた板が宙に浮かんでいる。

ぼくは硬く冷たい廊下に入っていった.

 

その日は雨上がりだったので,僕のシューズは少し雨を含んでいて,歩くたびにわずかに廊下に足跡を残しそうに思えた.

教室の向こうの街灯の明かりが教室内を照らしている.太い筆跡の習字が白く黒く浮かび上がっている.

2階への階段を上った.

手すりは冷たく,すべすべと心地良かった.

2階はさっきよりも遠くまで伸び暗く,一番奥は見えなかった.

 

3年1組.いすに座った少女が彫刻刀を机に何度も突き立てていた。3年2組。机の下にうずくまる少年がいた。目を大きく見開いている。目が赤い.

僕は走り始めた。

3年3組。後ろの壁に頭を何回も打ち続けている男の子がいた。ぼくを見て笑いながらまた続ける。

 

僕は階段を上った。降りるべきだと思ったが,上っていった。

 

6年5組。教室では4人の女の子がカッターナイフを持って自分の手首の切り合いをしていた。

たくさん切れた子が大きな声で笑った。そして腕を振り血を払った。赤く飛ぶ細い血の糸が幾つも交差する。

6年7組。誰もいない教室だったが,息苦しい生温かい重い空気が廊下に漏れ出てくる。そこには確かに大勢の子供たちがいた。もがくようにこちらに向かってくる感じに僕は廊下を駈け上った。

 

 

屋上だ。

屋上には小さな池があった。空には月も星もなかったが水は光を反射して明るかった。いや,よく見ると池には大きな鯉がいた。そしてその鯉が明るく光を放っていた。僕はホッとした。屋上はその光をもとに少しずつ視界が広がっていく。この灯りがゆっくりと広がっていく。

 

屋上へのドアの横に工事用に使われた古い杭が何本かまとめて置かれていた。尖った先端には乾いた土がついている。

 

僕はその中の2mほどの杭を持つと,池へと向かった。

鯉は大きかった。赤く柔らかな光を次々と周りへ広げている。

僕は両手に杭を持つと池の中に入り,一度鯉に先端を合わせ,引き,腰を落とし,息を止め,刺した。

思っていたよりも遥かに鯉は跳ね,刺し貫いた後も一向に動きが止む事はなく,僕は両腕に力を込め,腰をさらに落とし,腹に力を入れ,黒い小さな目をしっかりと見つめた。体の輝きはまだ残っていた。

10分ほどそのままでいた。鯉は前後左右に体を反り,何度も水を飛ばした。少しずつ明かりは弱まっていった。僕はずぶ濡れになった。

やがてその動きは弱まり,断続的になり,僕の手の重みは逆に増していった。

 

僕はゆっくりと杭を持ち上げた。

かたく杭に刺された鯉はゆっくり2度3度と体を曲げた。もう輝きはぼんやりとした滲んだものでしかなく,かろうじて暗い闇にその輪郭を示すばかりだった。

 

あと2,3分で消える。

僕は高々と鯉を夜空に差し出した。

杭を伝って鯉の血が指先にかかる。

血は暖かく,屋上は暗く体は冷え始めた。

僕はさらに両腕に力を入れ,鯉を高々と夜空に突き立てた。