パサージュ−18

 

頂上にとても小さな池がある。

きれいな円を描き直径は3メートルもない。朝夕の風に水面を揺らすほか,魚ないず,春は桜の薄いピンク色に,夏はおおいかぶさる緑色に,秋は穏やかな青に,冬は降り続く雪の白に色を染め,静かに透明な水をたたえている。

 

長い髪を後ろに結びボロボロになった獣の皮を体に巻きつけた男が茂みの間から姿を見せた。池を見つけた男は荒い息のまま膝をつき空を仰いだ。大きく息を吐くと池をじっと見つめる。池はきらきらと太陽の光を照り返している。

 

男は立ち上がり5,6歩走り池に飛びつき,水面に顔を映した。

叫び声が上がる。

男は顔を左右に激しく何度も振った。

 

池に身を投げた。

深い波紋が長く続いた。

鳥が低く池の上を飛び,鳥の薄い緑色のさえずりが水面に映った。

 

 

 

 

空が黒く白く閃光が走る。

大雨が降る。

池は雨の中に消えてしまう。

雨が上がった。

池がひょっこり姿をあらわす。

風に揺れた。

 

 

息も切らさず刀を差した初老の男が登ってきた。小さく息を吐き頂上を見回す。尖った顎に白い髭がまばらにかたく生えている。

池をじっと見つめる。桜の花びらがその重みでふっと落ちた。水面に陽光の透ける花びらの裏側が映り,大きくなり,一つになる。小さな波紋が広がり,風に押し戻され,消える。

男はゆっくりと池に近づいた。あと一歩,二歩という所で足を止めると草鞋を脱ぎ,差していた刀を抜き,座った。体の横に刀を置く。真っ直ぐに池の向こうに視線を向けた。向かいの木から鳥が鳴きながら,男の頭上を飛び去って行く。

 

男は両の拳を膝の先に出し,体を池のすぐ近くにまで引き寄せていく。

視線はまだ池の向こうの木のままだ。男の体は真っ直ぐに細く地面と垂直に立ち動かない。

青い鳥がまた戻ってくる。

木の枝に止まるとくるりとこちらを向いた。緑の目に小さく男が映っている。

 

 

 

男は体を倒し首を伸ばした。

池を覗き込む。

斜めの体が動かない。

体が戻った。

鳥が鳴いた。

 

男は立ち上がると地面を軽く蹴った。爪先から男の体が池に真っ直ぐに突き刺さる。小さな音がしたかもしれない。

 

 

 

 

小さな波紋が広がる。

 

鳥が飛んだ。

 

 

細長い羽の青が池に溶け込んでいく。