パサージュ−16

 

ピ――ピ――ピ――。

 

携帯も電子手帳もポケベルも持っていないぼくは、最初えらく戸惑い、満員電車の中、顔を真っ赤にしてしまった。確かに音はぼくから発していたし、周りの誰もがぼくを見ていた。音は大きくはなく、時計のアラームよりも小さかったが、音の高さが高く耳にしっかりと響き、聞き逃すことのなぜかできない音だった。5回か6回鳴ると音は消えた。

 音は1週間に1度、2,3ヶ月に1度、時には1年ほど聞かないこともあり、既に5年程が過ぎている。

最近やっと、その音がした後,病気や事故にあっているのに気づいた。かぜや食中毒、交通事故、野球で左腕にひびが入る怪我をした時も、ピーピーと前の日に鳴った。

それからは生命力が低下した時の警告音としてぼくはこの音を聞くようになり、音が鳴った後はできるだけ注意深く1日を送るようにしていた。とはいえ、鳴った以上は必ず何かが起こり、何も起こらない事がない以上は気をつけてもしょうがないのではないか、とも思うようにもなり、今に至っている。

 

 1年ほど入院していた。

女友達とドライブをしていて、トラックと正面衝突した。相手は居眠りをしてぼくも注意が足りなかった。ぼくの冗談に笑う彼女の笑顔が素敵で、前を見ていなかった。気が付いたらベッドにいて彼女は死んでいた。

 その前日も音は鳴り、しかもピーピー、と短くなった。気を付けた。ドライブはやめにしようとも思ったが、彼女が砂浜を歩きたいと言い、海に向かっていた。最後の記憶は彼女の笑い顔だった。やっと互いにリラックスし始めた時で、無防備な笑い顔に胸がきゅっとなった。今もはっきり思い出せる。そんな事は今までになかった。

左足を切断し義足を付けている。まだ慣れていない。

 

 仕事を見つけなくてはならなかった。

会社はリストラの真っ最中で簡単に首を切られた。資格もなく若くもなく足も無く情熱もなく、家族も友人もなく、足の痛みだけがいつまでもなくなりそうになかった。

木枯らし1号が吹いたと昨日の夕刊にあった。木枯らしに1号、2号があるのかと不思議に思ったが、確かに寒かった。

わずかだが退職金があったのがせめてもの救いだった。

しかし20年勤めてこれだ。ずいぶんと働いたと思う。身を削って働いたと思うが、いなくてもいいので切られたのだろう。やられた、という感じだ。

 

 信号が青になった。

道路の両側から何の打ち合わせもなく、初対面の大勢の人間が短い時間の中ですれ違い反対側の道に行き着くというのは、以前なら何ということもない当たり前のことだったが、今となってはかなり高度な技術を要することのように思える。結構誰も義足の男には注意を払ってはくれないのだ。

 

 ピーピーピーピーピー。

かなりな断続音に僕は足を止めてしまった。

僕ではなく今すれちがった若い女だ。

他人の音を聞くのは初めてだった。しかも音は切迫していた。僕はあとを追いかけようとし向きを変えふらつき、幾つもの舌打ちを聞いた。

足早に女は横断歩道を渡り、小走りに道を走り、信号の無い大通りを横切ろうとした。女の正面に大きなビルが建ち、入り口があった。行き交う車の合間を縫い、女は軽快に駈けた。道路の真中で一度止まり、長い髪と肩のバックが揺れ、左手で顔にかかる髪をかきあげまた走り出そうとした時,がくっと前のめりになり女がバランスを失った。ヒールが折れたのだ。

両手で宙をかきながら,女は避けられずはずだった車の列の中に突っ込む。その中の1台のライト付近に彼女の頭と肩と胴が当たり,低い角度で女は宙に飛び出た。目が大きく見開かれたまま反対車線に落ち,その頭の上をバスが走った。バギっという音が聞こえたような気がした。

 

 

 

音は聞こえる。

音は警告音らしく,その音の長短や大きさで生命力の強弱を表す。

僕の音はやや短くなっているがそれはそれで年だからだろう。

あれ以後,他人の短い緊急音も何度も聞いた。

みんな死んだのだろう。

他人の音がやけに聞こえる。街中を同じ調子と大きさでピ―音が覆う。年々短く大きくなっている。

みんな死ぬのだ。

 

 

ぼくは街を歩きつづける。

義足にはすっかり慣れたのだ。