パサージュ-89 家には大小合わせて9つの時計が置かれている。 その時計が気が付くと止まったり動いたりを繰り返している。 いつも見ているリビングの時計が止まっているのであとで電池交換しようと思っていてみてみると、動いている。 次は台所で、これは電池交換だなと思っているとまた動いている。風呂場でも玄関でも寝室でも同じように止まっては動いている。5,6分の時も2,3時間止まっているときもある。 しかし大体どれも正しい時刻を示している。 蛍光灯もよく切れる。寿命だなと思っていると、また点く。 めんどくさいのでそのままにしておくと消えて1時間後にぱっと点いたり、2,3分後に点いたりする。1日そのまま点いていることもある。 テレビもだ。テレビは最近だ。 いきなりバチッと音を立てて消える。えっと思って画面を見ていると、やや小さな音を立て、再び明るく画面がゆっくり広がっていく。ためしに消えたまま外出したら帰った時には点いていた。 テレビはもう9年が経っているテレビデオでしかもビデオは壊れていて録画はできない。 エアコンが一番点いたり消えたりが激しい。10分、20分と点いていて消え、5分後1時間後にまた点く。洗濯機も止まって10分でまた動き出して、結局脱水まで行くのだが、スイッチを入れていつ終わるかは始めてみなければ分からない。 心配なのは冷蔵庫だ。 これも点いたり消えたりしている。開けてみると真っ暗になっている。 だからできるだけ野菜や魚や豆腐や卵も、短期間で使い切るようにしている。 だがふと気が付いて耳を澄ましてみるとモーターの音が鳴っていて、開けてみると中は明るく、氷が解けているということは無い。 そこでまずは管理人に聞いてみることにした。 電気系統にこの部屋だけが故障ということが無いのか、他の住人から同じような苦情が来ていないか、聞いてみた。 無いという。 それに大体時計は全部電池だ。 近くの電気屋に聞いてみた。マンションの近くの電気屋だ。主人と店員が二人、コンピュータ教室を2階でやっていて、主人が教えている。コンピュータやネットの設置、出張工事もやっている。値段は量販店のほうが安いが、新製品の説明が店のコーナーで丁寧にされていて、色々と聞けるのがいい。今日の4時に来てくれる。 4時ちょうど、店の主人が来た。 40歳前後で痩せていて背が高く、手が長い。 すっと立つ姿が重力を感じさせず、浮かんでいるような感じがする。 部屋の状況を時計、蛍光灯、テレビ、冷蔵庫、エアコン、冷蔵庫と場所を移動しながら説明した。 「最近よくあるんですよ。電気が詰ってるんです。」 「詰ってる?」 「はい、電気系統に故障は無いのですが、流れている電気が途中で止まってしまうんです。邪魔なものが入ったり、カーブを曲がれ切れず溜まっていったりして、最後は詰ってしまう。」 主人はリビングの上のエアコンを見つめながら言った。 「カーブを曲がるって」 「電気もまっすぐには流れません。この部屋の中にも色々なものが飛び交い流れています。」 そういうと部屋の中をぐるりと見回した。 「他のものとぶつからないよう避けながら流れるんですけど、うまくいかず詰ってしまう。たどりつけない。電気が消える。でも周り回ってたどりついて、また点く。」 言っていることは分からなくも無いが、それは流れているものが例えば川のような場合や交通渋滞の車のようなものの場合だ。 電気が蛇行してよどみを作ったり、渋滞の中で動いたり止まったりするようなこと はイメージできない。 「色んなものが飛び交っています。太陽の光や月の光もそうです。星の光も弱いですが絶えずやってきてます。人の心の思いも同じです。木や鳥や小さな虫もです。石や砂や岩もそうです。特に最近は空からのものが多く強くなっています。」 主人はそう言うと窓の外を見た。 窓の外には隣の棟が立っていて、窓の上のわずか隙間にしか空は見えない。 そんな話は電波系のトンデモ本の類でしかないと思っていたが、電気屋の主人に落ち着いて静かに話されると、変にリアリティがある。 「最近他にもこんなケースはあったのですか?」 僕は聞いてみた。 「ええ、このマンションではお宅様を含めて12件目です。今年に入ってからです。駅の向こうにある緑の大きなマンションありますよね、名前忘れましたけど、あそこでも17件見てきました。知り合いも東京で電気屋やってるんですけど、同じ事が起こっています。一度正式に調べてみると面白いんですがね。」 主人はそう言って立ち上がった。 エアコンの前に立つと右手を伸ばし、手のひらを広げ、5秒ほどじっとしていた。 そして、時計、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、蛍光灯の順に同じ事を繰り返した。 「じゃ、私はこれで。」 主人は玄関に向かった。 「直したのですか?」 「はい。通りを良くしただけですが。これで問題ありません。」 「あの、おいくらですか?」 僕は尋ねてみた。部品代でもないし、何か作業があったというほどでもないし、だいたい直ったのかどうなのかも分からない。だが直っているのなら、それなりのお金は払わなければならないだろう。 「結構です。何か部品を使ったわけでもなく、手間をかけたという事でもないですから。出張費ということでしょうが、すぐそこですし。まあ、何かご入用のときはぜひうちでお願いいたします。」 そう言うと軽く会釈をし、にこっと笑いドアを開けて階段を下りていった。 笑い顔が人懐っこいのに少し驚いた。 直ったのかどうかまだ分からない。彼が帰ってから2時間ほど経つが、確かに消えてはいない。どれも正常に動いている。 きっとこのまま消えることなく動き続けるのだろう。 色々なものがここには飛び交っているのだ。 ぶつかったり、避けあったり、混雑していて本来の動きができないでいるのだ。人の思いもだといった。 外は明るい。 隣の棟の前の木々の葉の緑が、日に輝き風に揺れている。 その風がカーテンを揺らしている。 そして僕の頬を撫でる。 詰っているのだ。 詰りを取るのだ。 彼がしたように手を伸ばしじっと5秒間、待つのだ。 僕は彼の後姿を思い浮かべた。ふっと浮き上がるように右手を上げた。 細い指が伸び、体が竹のようにまっすぐに伸びた。それを彼は続けた。同じように続けた。何事も無いように当たり前のように続けた。 そして人懐っこい笑いを浮かべ帰っていった。 僕は右手を上げて伸ばしてみた。 体を竹のようにまっすぐに、中空にし、息を吐いた。 2010.6.3 |