日本の取るべき道.4

 

その前にタリバンだ.

 

オサマ・ビンラディン氏を受け入れ,かくまう,タリバン.

 

タリバンを考える事で見えてくるものもあるはずだ.

 

 

タリバンとは何だ?     (゜゜)

 

タリバンは今アフガニスタンを支配(しはい)している。

みんなもテレビで見たかもしれない。

 

 

 

女性差別(じょせいさべつ),公開処刑(こうかいしょけい),麻薬栽培(まやくさいばい)。

 

 

女性は外出する時は,ブルカ(全身を包むベール)をつけなければならない。

 

医療分野以外(いりょうぶんやいがい   かんごふさん くすりをつくる人 いがい)は女性は仕事についてはいけない。

 

お化粧(けしょう)してはいけない。

 

ハイヒールを履(は)いてもいけない。

 

 

 

週に1度はみんなの見ている前で,死刑を行う。

 

 

 

自分たちは使う事を禁止(きんし)しているが,ケシの花を栽培(さいばい)し,麻薬(まやく)・ヘロインを作り大量(たいりょう)に売っている。

 

 

世界に出回(でまわ)っているヘロインの50%近くをタリバンが占(し)めていると言われている。

 

そして銃(じゅう)を振り上げ(ふりあげ)アメリカを非難(ひなん)する。

 

 

 

今のところタリバンにいいイメージは無い。

新聞やテレビでの印象は悪い。

タリバンって悪者?

 

彼らはイスラム原理主義者と呼ばれている。

 

○イスラム原理主義,

 

イスラム教の教えコーランだけを信じる。

 

アメリカやイギリス,フランス,ドイツ,などのヨーロッバの,キリスト教的・科学的なものの見方・考え方・生活の仕方はやめる。

 

そしてイスラムの教えとイスラム社会を世界に広げていく。

 

これがイスラム原理主義だ。

 

 

ではもともとのイスラム教とはどんな宗教なのだろうか。

 

 

 

7世紀始め(聖徳太子   しょうとくたいし   と同じ時代だ),アラビア半島のメッカという場所でムハンマドという人が教えを立てた。

 

仏教,キリスト教と並んで世界3大宗教の1つ。

 

イスラム教の聖典(せいてん)はコーランという。

 

ムハンマドが,たった一人の天地創造神(てんちそうぞうしん)・アッラーから預(あず)けられた言葉(預言 よげん)をまとめたものだ。

 

イスラムという言葉が「アッラーの神さまに,すべておまかせします」という意味だ。

 

 

●1日5回メッカに向かいお祈りをする。

 

日の出前,正午(しょうご 12時。),日没前(ひがしずむまえ),日没後(ひがしずんだあと),寝る前の5回だ。

 

●豚肉(ぶたにく)は食べない。

 

●お酒は飲まない。

 

●断食(だんじき)の月(ラマダン)がある。

 

●女性は家族以外の人に肌を見せてはいけない。

 

●メッカへの巡礼(じゅんれい  おまいり)をする。

 

●お金持ち,持っている人,は貧しい人,持っていない人にあげなければならない。

寄付(きふ)をする。

 

●聖戦(ジハード)を行う。

聖戦とはイスラム教を汚(けが)したり,イスラム教徒を攻撃(こうげき)するものに対して,命をかけて戦うこと。

 

 

断食(だんじき)は1ヶ月間行う。

日の出から日没(にちぼつ)まで,飲んだり食べたりできない。

 

しかし,日が沈(しず)んだら飲んでも食べてもいいそうだ。

だから逆に断食の月は夜はパーティーみたいに盛(も)り上がるらしい。

 

またイスラムの人のあいさつは,

 

「あなたに平安(平和)が訪(おとず)れますように。」

 

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よく「コーランか,剣か」

 

という言葉を引いて,

 

「コーランを信じるか,それとも戦うか」

 

と戦争好きの宗教のようにいわれるが,そうではなく,税(ぜい)を払(はら)う事でその国や部族(ぶぞく)の宗教を認(みと)める,寛容(かんよう  あいてをゆるすこと)な宗教といえる。

 

世界に11億人以上もの信者がいる。

 

 

ではタリバンとは何だろう。

 

と考える前に,アフガニスタンとはどんな国なのかを考えないと,タリバンもわからない。

 

アフガニスタンという国もややこしい。

 

アフガニスタンという国は,ヨーロッパとアジアを結(むす)ぶ所にある。

 

ヨーロッパ,(イギリスやフランス,など)がアジアを征服(せいふく)に行こうとする時,この場所は通り道となり,必要(ひつよう)な場所となる。

 

またアジアからヨーロッパに向かう時も通り道となる。

 

チンギスガンも攻め込んできた。

 

1747年にアフガニスタンという国ができる。

 

19世紀。

 

ロシアが南へ支配(しはい)を広めようとする。

イギリスはアフガニスタンの隣(となり)のインドを支配していたので,ロシアが出てくるのが気に入らなかった。

 

イギリスはロシアを阻止(そし  とめる)するため,アフガニスタンをさきに奪(うば)おうとする。

 

3回イギリスはアフガニスタンを攻めた。

アフガニスタンは3回とも撃退(げきたい  やっつけること)した。

イスラムの聖戦(せいせん)・ジハードだった。

 

 

20世紀。

またソ連(ロシア)が南に侵略(しんりゃく)を始めた。

今度はイギリスに変わってアメリカがソ連に対抗(たいこう)する。

 

ソ連とアメリカは今度は一気(いっき)に攻めず,ソ連はアフガニスタンの北を,アメリカは南を援助(えんじょ  たすけること)する。

 

発電所(はつでんしょ)を作ったり,かんがい設備(せつび)を作ったりする。

 

アフガニスタンは大きく二つに分かれた。

 

その後,クーデター,暗殺(あんさつ),部族間(ぶぞくかん)の争(あらそ)いが目まぐるしく続く。

 

そうした戦いの裏(うら)には,それぞれソ連とアメリカがいた。

 

ソ連もアメリカもアフガニスタンがほしかったのだ。

アフガニスタンというアジア・ヨーロッパの通り道。

 

そして石油,天然(てんねん)ガス。

 

1978年,ついにソ連は正体をあらわす。

 

ソ連はアフガニスタンに攻め込み,自分達に都合(つごう)のいい政権を無理やり作り,自分たちの国にしようとした。

 

アフガニスタンはアメリカ,アラブの国々の助けを受け戦う。

 

およそ10年間,アフガニスタンはソ連と戦った。

 

アフガニスタンは山や岩場(いわば)が多く,一気に大勢の兵隊がせめて込んで来ても,山に入り込めば逃げきれる。

戦車やミサイルは十分な力を発揮(はっき)しない。

 

またアフガニスタンは昼と夜との温度差が50℃近くもあり,それに慣(な)れていないソ連兵は,十分に戦えなかった。

 

さらにアフガニスタンの人々は非常に目が良く1km先のソ連兵を見つけることができた。

 

アフガニスタンの人は,逃げては現(あらわ)れ,現れては消えて,ソ連と戦った。

 

この時,現在タリバンの最高指導者(さいこうしどうしゃ)オマル師と,いっしょに戦い,資金援助(しきんえんじょ  お金がなくてこまっているのをたすけること  )をしたのがオサマ・ビンラディン氏だった。

 

オマル師がオサマ・ビンラディン氏をかくまうのはそんな縁(えん)があるからだ。

 

(さらにアメリカもこの時はオサマ・ビンラディン氏を助けているのだ。武器弾薬を渡している。)

 

 

 

アフガニスタンはソ連をやっつけた。

だがそのあと国内は乱れた。

ソ連をやっつけたグループ同士が戦いを始めたのだ。

 

アフガニスタンにはなかなか平和が訪れなかった。

 

このときタリバンが生まれた。

 

ではタリバンとは?

                                                                                     つづく