日本はどうする。−11 ●むかつくあいつの中にも神がいる. 山も海も人も木も花もクジラも,大きな神さまの中に生まれ,育ち,今もその中にいる. 髪(かみ)の毛も目の色も言葉もちがう人間同士も,同じ神さまの中にいる. 習慣(しゅうかん)がちがう.言葉がちがう. 伝統(でんとう)がちがう,住んでいる場所がちがう. 気候(きこう)がちがう. 食べているものがちがう. 歴史(れきし)がちがう. だが同じ神さまの中に人間はいるのだ. おたがいの心を掘(ほ)っていけば,同じ神さまにつながっていくのだ. わけのわからない相手も,むかつく相手も,その心の中には,同じ大きな神さまがいる. それをさがす努力が大切だ. 「くもり」を取る. 「ゆがみ」をなおす. 「よごれ」を落とす. 「自分だけよければ」を捨てる. 相手がいかりに引きずられ,えらそうにし,自分勝手にしている時にこそ,その相手の中にいる神さまを見てあげなくてはならない。 相手が「自分だけよければ」という思いに引きずられている時にこそ,相手の心の奥の神様を見つけ出してあげなければならない。 いっしょになって怒りだしてしまえば,両方の心の中の神さまが消えていく. 「くもり」の中に消えていく. 「ゆがみ」の中に消えていく. 「よごれ」の中に消えていく. 「自分だけよければ」の中に消えていく. 相手が狂ったからといって,自分までが狂ってしまえば,すべてが終わる. 終わってしまうのだ. 不公平(ふこうへい)で貧(まず)しい暮(く)らしを押しつけられたから,飛行機を乗っ取り,突っ込む. テロを受けたから空爆をする. どちらもまちがった考えかただ. どちらもくもり,ゆがみ,よごれている. どちらもまちがっている. 同じ大きな神さまの中に生きていることを感じる事が必要だ. そのことが21世紀には大事な事になる. 先生はそう思うのだが, ●同じ1つの大きな神さまの中にいる. 神さまの中に,人間や山や川や海がいる. だから日本人は山の神,川の神,海の神を拝(おが)んできた. 太陽も神さまだ. だから1月1日には,わざわざ富士山に登って太陽に手を合わせる. 初日の出を拝(おが)む. 森にも神さまがいる. だから日本人は木を切る時には,そこで木にお供え物(おそなえもの)をし,木を切ることを森の神さまにお願いし,許(ゆる)しを得(え)てから木を切る. 切った後には,新しく木を植(う)える. 奪(うば)うだけではないのだ. 奪ったら返す. そうしてきた. 自然の中に神さまを見てきたのだ. 自然は人間を邪魔(じゃま)するものではない. 人間が戦う相手でなない. いっしょに生きていく,大事な仲間なのだ. 同じ神さまの中にいる,仲間なのだ. 人間は生きていくために牛やブタを食べる. その時にも感謝(かんしゃ)の心を忘れてはいけない. 命をいただきます. 「いただきます」 と手を合わせてから食べる. 牛もブタも鳥も魚も,同じ大きな神さまの中に人間といっしょに生きている. どっちが偉(えら)いとかいう話ではないのだ. 同じなのだ. 同じ大きな神さまの中に生きている,同じ命なのだ. そのことを考える事が環境問題(かんきょうもんだい)を考えるときに役立つ. できるだけ,海を汚(よご)さない.木を切らない.森を奪わない. 動物をできるだけ,食べない. 日本人は長い間,牛やブタや鳥を食べなかった. 植物を主に食べてきた. お米や野菜. 日本人は山に手を合わせ,太陽に手を合わせ,動物を食べずに生きてきた. そんな生き方はこれからの人類の生き方の手本になるかもしれない. これからの人類の生き方の参考になるかもしれないのだ. 日本人は神さまがちがうからといって戦う事ことをしなかった. お互いの良い所をうまく取り入れてきた. 日本人の宗教(しゅうきょう)に対する考え方の特徴(とくりょう)としてよく言われることがある. 結婚式はキリスト教の協会. 子供が生まれたら,お宮参り(おみやまいり)に神社(じんじゃ)に行く. 七五三にも神社に行く. 神道(しんとう むかしからの日本の宗教)だ. 家族や友だち同士で盛り上がるクリスマスはイエスキリストの誕生日だ. お彼岸(おひがん)ではお寺にお墓参り(おはかまいり),夏祭りでは盆踊り(ぼんおどり),これは仏教(ぶっきょう)だ. 1月1日.元旦.(がんたん) 3月3日.ひな祭り. 5月5日.端午の節句.(たんごのせっく) 7月7日.七夕.(たなばた) 9月9日.菊の節句.(きくのせっく) これはむかし中国人が奇数(きすう)を大事な数,幸せを呼ぶ数,と考えたところからくるらしい. そして死んだらお坊さんにお経(きょう)を読んでもらう. バレンタインデーやハロウィンはキリスト教. 節分(せつぶん)の豆まきは中国からきたものだ. 日本の毎日の暮らしは,キリスト教も仏教も神道(しんとう)も中国の風習(ふうしゅう)も,ごちゃまぜだ. そしてぼくたちが毎日話している日本語. パン,カステラ,フラスコ,ボタン,カッパ,カナリア,カボチャ,テンプラ,タバコはポルトガル語.
ランドセル,コンパス,レンズ,ガラス,ゴム,ブリキ,スポイド,アルコールはオランダ語. ガーゼ,ワクチン,チフス,ワッペンはドイツ語. アトリエ,デッサン,レストラン,オムレツ,メートルはフランス語. ソプラノ,テノール,バレリーナ,オペラ,テンポはイタリア語. 英語からの言葉は数え切れない. ぼくたちが話す日本語の中にも多くの外国語が入っている. 食べ物もそうだ. カレーライスはインド+日本. 牛どんは,西洋+日本. アンパンも日本+西洋. みんな鎖国を解いたあとの明治時代に生まれ今も続いている. あたりまえに今も続いている. ちょっとすごい. すき焼きもなべも,好きな野菜と肉と何でもいれて,みんなでつつく. ごちゃまぜのうまさ. ごちゃまぜのおいしさ. ぼくたち日本人は,外国の宗教も文化も知らぬうちに取り入れている. 文化や宗教がちがうからといって,拒否(きょひ)したりはしていないのだ. ちがうからといって,どちらが正しいか,どちらが良い,悪いかを問(と)わない. どちらを取(と)るのかを考えない. 切り捨(す)てない. 両方の良い所を取り入れる. そしてじっくり1つにしていく. そんな日本人の生き方がこれからの人間の生き方の手本になりはしないか. ぼくたちの何気(なにげ)ない毎日の生活の中に,21世紀の人類の未来(みらい)へのヒントがありはしないか. 日本人のごちゃまぜの,いいかげんさの中にこそ,違うものをいっしょに生かしていく知恵(ちえ)がありはしないか. ぼくたち日本人はもっと日本人と日本を,考え直してみる必要がある. 日本の良い所を世界に発信する事を考えてもいいと思う. もちろん今の日本とぼくたち今の日本人はまだまだ,「よごれ」と,「くもり」「にごり」とがある. それを綺麗にぬぐい,磨くことがまず必要だ. そのとき世界の平和が見えてくる. そしてその可能性を誰よりも持っているのが,みんなだ. 小学生,中学生なのだ. 先生はそう思っている. ちがうから,ちがう自分を正しいと主張(しゅちょう)する. そして正しい自分を譲(ゆず)らない. 相手をまちがっていると切り捨てる. 俺は正しい,正しいと言いつづける. まちがっている.ぎゃくだ. ちがうから,尊敬(そんけい)し,認(みと)め,互(たが)いに取り入れ合う. ちがうものが新しい自分を気付かせてくれる. 成長に役立つ. 新しい発見に導く. 人間を大きくし,優しくする. そして,お互い引く所は引く. そうは考えられないだろうか. たしかに引くのはむずかしい. 自分の考えや感じ方を,通すのは楽だ. それに対して,自分を正しいと思う込む人間は,鈍感(どんかん)で,相手を思いやる心もない. 想像力(そうぞうりょく)もなく,図々(ずうずう)しく,いいかげんで,適当(てきとう)だ. しかしだからこそそんな人間は強く,勝ちつづける. いつまでも勝ちつづける. 引く人間はいつも損(そん)ばかりする. 正直者(しょうじきもの)は,馬鹿(ばか)ばかり見る. いい事など何一つない. 心優(こころやさ)しい人間が最初に死ぬ. よく考え,よく感じるものが,最初に壊れる. よく思い,よく信じるものが,最初に消える. だがこれからは違う. これまでがそうだからこうなった. 海が死んだ. 森が死んだ. 親が子を殺した. 子が親を殺した. 子が子を殺した. 平和をもとめて戦争が起きた. だから変えよう. 弱く,黙っているものが正しいのだと. 人を思いやる心は通じるのだと. 信じた心は通じ,戻ってくるのだと. 憎しみより愛が強いのだと. 愛は,あるのだと. 正直者は馬鹿を見ないのだと. よく感じ,心優しいものが生きのびるのだと. 敏感で,デリケートで,ナイーブな者が,正しいのだと. 弱さゆえにうずくまっている人は,その事で,生きていく意味と価値がある. もう一度立ち上がっていい. もう一度始めていい. もう一度自分を信じていい. もう一度語りかけていい. 時代は変わっていく. 時代は変わらなければならない。 時代を変えなければならない。 強いものから弱いものへ. 声の大きな者から小さな者へ. まちがったものから正しい者へ. 時代を変えるのは,政治家ではなく,普通のあたり前の人たちなのだ. 自分を磨(みが)こう. 自分の中の神さまに気づこう. 相手の中の神さまを見つけよう. 木や花や虫や汚れた醜いものの中にも神さまをさがそう. まちがっている自分に気付き,もう一度始めよう. その事が今ぼくたちに必要なのだと思う. そのことを考えさせるために,大勢の人がビルに突っ込んだのだ. 「20世紀は戦争の世紀」. 歴史にはもう,そう記されている. 「21世紀は平和の世紀」 そう22世紀の人々が書き記すようにもう一度スタートを切ることが必要なのだと思う. この新しい世紀を作っていくのは君たちだ. |