日本語教師への道2010.10 自己存在の月1日 10月17日 いよいよだ。 日曜日、検定。 まあ、やった。毎日勉強した。 だが聴解には自信がない。CDから流れる学習者の間違った発音の識別。 す と じゅ はどこか違う? 瞬時に 無声歯茎摩擦音 と 有声歯茎硬口蓋摩擦音 と区別する。 それを書き込む。 問題はCDから淡々と流れ続ける。止まることはない。 3万だして日本語教育能力検定試験パワーアップDVDも買い、聞いた。 殆どは勉強したことで初めて聞く内容はない。 そこそこ勉強はしてきているのだ。 去年とは違う。質も量も違う。 だから後はインプットしたものをしっかりとアウトプットすれば問題はないはずなのだ。多分。 もっとも問題は易しくなっているから、8割以上を確実にとることが必要だから、かなりタフな戦いになる。 頼むよ。 これでまた落ちたら、俺もう降りるよ。全部投げちゃうよ。もう疲れたもん。 ありえない目にあって、ボロボロだぜ。 これでまた落ちて、それが試練? いい加減にしてくれよな。神様か何か知らないけど。 自己存在の月13日 10月30日 無理だな。 去年が80%が合格ライン。であれば今回は完璧無理。 T 100の74 U 40の24 V 80の57 20の15 計 240の170 70.8%(最低ライン) 無理だろう。 だがどうにもアルクの解答に納得できないところがある。 @ 「快不快を感じる対人距離」のことを プロクセミクスと答えている。 プロクセミクス、つまり近接空間学のことだが、おかしいだろう。 距離のことを学で答えるのはおかしい。 パーソナルスペースではないのか。 Aそれからピーネマンの教授可能性仮説。 学習者の第二言語の発達に合った言語形式を教えることが大切である。 ではないのか。 「言語形式」がおかしいのか。 だが指導には順番がある。ABCをACBにはできない。 教授法仮説の大本の内容だろう。 正解は ◎教室での第二言語習得では、自然習得されにくい文法も習得可能になる。 とある。 違うだろう。あくまでもピーネマンが言ったのは、「言語形式によって、認知の制約の受け方に違いがある」 そしてそこで問題になっているのは「発達段階を飛ばして形式指導をしても効果はない」 ということだと思うのだが。 B生成文法理論について 正解は 言語能力は生得的であるという立場を取り、第二言語習得においても同様の生得的能力が関与するかどうかについて、盛んに研究が行われている。 とあるが、であればパラメーターという概念が全く無用になる。 普遍文法と個別文法という区別もなくなる。 それよりももうひとつの選択肢 言語能力は生得的であるという立場を取り、世界中の言語に同じように設定されているパラメーターの第二言語習得においての役割が、研究の中心的テーマになっている。 の方が、研究の可能性としては高いと思うのだ。どうなのだろう。 この3つに納得できない。 もしこの3つが間違いで、作文でもう少し点があれば、であっても、まあ、2%上がるだけだ。 たいした変化はい。 まず合格ラインが知りたい。 いろいろとネットで見たが、別にスレが立っているわけではない。 まあこういう時にこそ学校の先生に聞いてみるのだ。 それと合格してようがしてまいが、問題で全くお手上げのものが、5,6問あった。 複合助詞。 形容詞の名詞的用法。 取り立て助詞の性質。 短期記憶の親近性効果と初頭効果。 移民政策。 もう一度勉強をし直す。 そしてこの検定試験のすべてが理解でき、人にも教えられるようにする。 それが検定を受けた理由だ。 大体去年は検定を受けても問題の再考も検証も復習もしなかった。 それでは進歩はない。 だから、もう一度問題の見直しと、4冊の参考書、 新合格水準 日本語教育能力検定試験用語集 新はじめての日本語教育 日本教育能力検定試験完全ガイド 初級日本語文法ハンドブック をしっかりと読み直す。 そして「ブラッシュアップコース」受講を考える。 少なくとも今のままでは教壇には立てない。 理論も検定に合格できないのではしょうがないし、実技はもっと自信がない。 それに媒介語がほしい。 英語と韓国語と中国語。 英語は2級。 韓国語、中国はまず4級。 英検は11月14日が2次試験。面接だ。 話すのはまるで自信がない。 だから無料の会話塾。 キリスト教会がやっているボランティア。これを利用しないてはないのだ。 韓国語だって無料塾があるし一度はいった。よかった。 だからまたいけばいい。 行って恥をかくのがいやなのだ。それだけ。 そんな悠長なことを言っている時ではない。 無職の56歳だぜ。 もっと必死にならなければ。 半年で英語、韓国語、中国語の基礎をマスターする。 恥をかくもかかないもないはずだ。 そんなところにはもはやいない。 世をはかなんで自殺したって世間は納得するような状況にいるのだ。 なりふりかまわずやってみないことには運も回ってこない。 いや回ってこようがこまいが、やるしかないのだ。 そしてそういう状況は実は望んでいたことだ。 選択の余地がない。 あれかこれかを考える状況にはない。 楽なのだ。 何も考えなくてもいい。 やるしかない。 これは実は願っていたことなのだ。 |