「君ならできる。」  小出義雄

 

「監督というのは諦めちゃいかん。」

私はつくづくと教えられたものだ。監督は選手よりも粘りがなくてはならない。

 

私は監督には胃袋が5つなくてはいけないと思っている。

心の中にある不安,心配,不満,憤り,自己嫌悪そんなもの全てを飲み込んで,何度も反芻しながら5つの胃袋で消化してしまわなくてはならない。粘りの1語に尽きる。

 

せっかく転んで怪我をした。せっかく食中毒を起こした。「せっかく」と思うところから別の見方が生まれてくる。

 

「火事場の馬鹿力」と言われるように,人間はいざとなると思いがけない大きな力を発揮する。逆に言えば人間には誰でも「火事場の馬鹿力」を潜在的に持っているのだ。ではどうすればそれを出せるか。

選手が「自分から進んでやっているんだ」と思えるような,自発的で積極的な形をとらせる事。それが必要だと思う。

 

「ほかの人と比較するんじゃないよ。比較しちゃ絶対ダメだよ。いつでも,自分が今よりも強くなる事だけを考えなさい。」

 

自主性というと,すぐに個人を尊重すると捉えがちだ。しかし勝負の世界で個人を尊重するとはその人が持っている能力を尊重する事だ。すなわち,自分の力だけでは引き出せないでいる可能性を,何とかして引き出してあげることである。それを行うのが監督だ。

 

私は監督の一番の仕事は選手の心を開かせる事だと思っている。

選手は多かれ少なかれ,「自分は本当に強くなれるんだろうか」と不安に思っているものだ。

そんな選手を,「何だか本当に強くなれそうな気がする,よし,頑張るぞ!」という気にさせるのである。

 

人生はちょっとしたきっかけで変わるものなのだ。夢と希望を与えるようにすれば,誰でも自分の人生を前向きに考えるようになる。そんな「生きる力」を教えるのが教育だと思う。

 

さすがだと思う。

そのまま毎日の教室で使える言葉。心しておくべき言葉。

                                     2001.1.27