海辺のカフカ(6)   星野青年について

 

●「海辺のカフカ」の中で星野青年は唯一普通の人だ。

小学校の時集団昏睡したわけでもなく、15歳の時の記憶を永遠にするため生霊になったわけでも、性同一障害でもない.

中日ドラゴンズの好きな元不良で自衛隊上がりのトラックの運ちゃんだ.

その彼が変貌を遂げていく.

それはとても自然で納得ができどこか羨ましく思える.この物語の素直に喜びと勇気を感じられる部分だ.人生の方向が変わるのだ.

 

だがそんな時は多くの人には訪れない。人生はいつもそのままだ.つまらない人生はいつまでたってもつまらない.人は変わらない.そのままだ.それが普通だ.だが星野チャンの人生は変わる.ナカタさんを引き継ぐのだ.

 

●ナカタさんを引き継ぐ.

それは簡単な事ではない.

ナカタさんを引き継ぐとは自分を空っぽにする事だ.

過去の経験や記憶や感情や思い、未来への逃避、それらを断固拒否しそれらから自由になるという事だ.

 

今という時間に完全に没入するという事.

それがナカタさんを引き継ぐという事だ.

 

目の前の状況を感受する.

目の前にいる人の呼吸を感じ取る.

心の揺らめきを感じ取る.

目の中の感情を感じ取る.

場の雰囲気を感受する.

 

そこに過去も未来も流入させない.今を今として今を今感じる.

それがナカタさんだ.

 

●人生の責任を回避せず正面から受け止める.  (48章)

これがナカタさんから資格を受け継いだ星野さんのこれからだ.

人生の責任を受け止めるとはしつこいが今に100%没入するという事だ.

 

 

「俺は自分がすごく変わっちまったみたいな気がするんだ.いろんな景色の見え方がずいぶん違ってきたみたいだ.どうしてそんな事になったかというとだね、それは俺っちがずっとナカタさんのそばにいたからなんだ。そしてナカタさんの目を通してものを見るようになったからなんだな。もちろん何から何までナカタさんの目を通してみていたわけじゃねえよ.でもさ、なんていうのかごく自然に俺っちはおじさんの目を通していろんなものを見ていたんだね。」

 

変わる為に必要な事はやはりナカタさんと同様の真っ正直な感性を持っていることが必要になるのだろう.

誰もがナカタさんを感応する事はできない.同様の素質がなければならない.だがそれが今、これから、多くの人に必要になっていくと思う。

 

これまでの多くの知識と感性と理論と思想と哲学が行き詰まっているのだ.全てをニュートラルにする必要がある.空っぽにする必要がある.

そこでナカタさんを感受する能力.星野さんの力.それが大切になる.

 

星野さんの力.

それは何か.

 

「それは俺っちがずっとナカタさんのそばにいたからなんだ。」

 

ナカタさんのそばにいる力.

これだと思う.

会社に届けも出さず休み、訳の分からない「入り口の石」などというものを「まるでインディージョーンズだ」と言いながらも一緒になって探す.

『カーネル・サンダ−ズ』を素直に認める.

それも力だ.本来ならあり得ない現実を認める力.それが必要なのだと思うのだ.

●そしてナカタさんといっしょにいる力.

素直に無私で無垢の存在を感受する力.

それを自分の体に通す力.

それが星野ちゃんの力だ.

 

これから星野青年は猫と話しながら生きていく.何を猫たちから学ぶのだろう.

今回のスマトラ沖大地震、海岸近くの動物園の動物、海岸沿いに住む動物たちの死体が一体も発見されていないという。

自然の微妙な息遣いを感じ取る事ができたからの事だろう.

彼らは言葉をもたなかった代わりに他の生物と無意識のレベルで通じ合ったいる。それが海であり花であり気であってもだ。

 

今後星の青年はそうした自然界と通じ合いながら生きていく.

しかも彼は言葉をそのままもっている.彼はだからナカタさんよりも一歩先に進んだ存在なのだ.

今後彼がどんな人生を送っていくのか.

彼は超能力者なのだ.

彼の続編が見たい.ナカタさんの最後は必然だったとはいえ、呆気なかっただけそうした気持ちがとても強いのだ.

 

2005.1.5.