海辺のカフカ(2) ナカタさんについて

 

●第6章でナカタさんが登場する。

いきなり猫との会話だ。

 

ナカタさんの律儀で正直で誠実で正しく無垢な姿は,あまりにも感動的だ。だが彼にその自覚はない。彼には記憶がないのだ。さらに感情も心もない。だからナカタさんには現在しかない。

 

●最初の登場シーンでナカタさんは猫から影が普通の人の半分ぐらいしかないことを指摘される。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が思い出される。

ラスト,「僕」は「影」だけを「世界の終わり」から脱出させ自分は森に残る。

 

ナカタさんは「壁」から脱出した「影」なのだ。

「影」とは記憶であり心であり自我である。

「世界の終わり」ではその影をはがし,人は心や記憶から解放され平穏で静かな世界を手に入れることができる。嘘も駆け引きも詐欺も戦争も無い。だがその世界は何の喜びも悲しみも怒りもない止まった世界だ。

 

「僕」はその事を知り,またその世界が自分の作った世界であることを知り,自分の責任としてこの世界に記憶と心を取り戻すことを決意し森に入る。

 

「壁」を抜け出た「影」はどうなるのか。生きていけるのか。

『海辺のカフカ』は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を,この部分で引き継いでいる。

 

●ナカタさんは「影」を失った人間として描かれる。心も記憶もない。感情もない。性欲もない。あるのは現在だけだ。

だがだからこそ目の前の現象に正しく対応することができる。過去の思いや見栄や恨みやねたみ,生きていく計算や駆け引きから自由な分だけ,正しい選択を行うことができる。

中野区から高松まで一円のお金を使うこともなく来てしまう。どこででも人の善意を喚起してしまうのだ。我々の病んだ心より空っぽな心のほうが正しく善意に満ちているのだろう。

 

●ナカタさんは他の子供達と一緒に集団昏睡に陥り,どこかの別の世界をじっと端から端まで目撃した。他の子供たちが意識を取り戻しその世界を忘れた中,ナカタさんだけがその世界を自分の中に残し代わりに自分の中の記憶を全て無くした。昏睡の中ナカタさんを含めた子供たちが行った世界が「壁」の中の「世界の終わり」であると解釈することは間違っていないだろう。

 

この「世界の終わり」が「死」を表しているのかどうかは良くわからない。ナカタさんが「頭のスイッチを切り,存在を一種の「通電状態」にした」時に見る光景が異様なものであるからだ。  (10章)

 

『ほどなく意識の周辺の縁を,蝶と同じようにフラフラをさまよい始めた。縁の向こう側には暗い深淵が広がっていた。ときおり縁からはみ出して,その目もくらむ深淵の上を飛んだ。しかしナカタさんはそこにある暗さや深さを恐れなかった。どうして恐れなくてはならないのだろう。その底の見えない無明の世界は,その重い沈黙と混沌は,昔からの懐かしい友だちであり,今では彼自身の一部でもあった。ナカタさんにはそれが良くわかっていた。そこには全てがある。しかし部分はない。部分がないから何かと何かを入れ替える必要もない。むずかしいことは考えず,すべての中に見を浸せばそれでいいのだ。それはナカタさんにとって何にも増してありがたいことだった。』

 

これもまたナカタさんの行った世界なのだ。

目もくらむ深淵と無明の世界。その重い沈黙と混沌。

ドロドロと永遠に蠢き続けるエネルギーの集合体。

そこには「世界の終わり」にある静謐さは感じられない。対極にあるものだ。無,死,ではない世界なのだ。

この二つをどう関連付けるのか。

 

●ナカタさんが「世界の終わり」と同様の世界に行ったことは確かだ。後に佐伯さんが入り口の石を開け,時間を止め15歳の記憶をそこに永久に封印した場所が『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「森」と同様の,大島さんの別荘の裏に広がる「森」なのだ。そしてその存在はナカタさんも知っている。

 

では子供の頃ナカタさんが行った世界とはどちらなのだろう。混沌の世界か静謐の世界か。

 

おそらく「森」で記憶をなくし生きていく人々のその記憶がその森の裏側で混沌を作り蠢いていると考えるのが,僕には精一杯の所だ。

 

●もしも仮に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』での「一角獣」たちが人々の記憶を吸い取り,死に,焼かれ,磨かれた頭蓋骨となり,それを「夢読み」に読まれ,大気中に放出したとして、その人々の記憶や思いがそこで消えてなくなるのだろうか。

 

怒りでも恨みでも,喜びでも悲しみでも,そのエネルギーは消えてなくなるのだろうか。

無くならないと思う。

 

恨みつらみばかりでなく,ささやかな喜び,ほんの小さな喜び,馬鹿馬鹿しいほどのちゃちな喜び,しかし,であればこそそれだけそうした喜びは人への恨みつらみ,憎しみ怒りと同様,あるいはそれ以上にいつまでも残り続けるのではないか

そうした思いのエネルギーは永久に残る。

きっと地球の裏側に張り付いて地球とともに回っているのだろう。

静謐の森と混沌の深淵。

それは同じ成り立ちの表と裏なのだと思う。

 

●ナカタさんと子供たちはそうした混沌と静謐の二つの世界を目の前にし,じっと目を開け,目の前に繰り広げられる二つの世界を目撃したのだろう。

そして中田少年だけが,その二つの世界を持ち帰った。

その理由は彼が昏睡状態に入る直前,引率の先生の月経の血にまみれたタオルを手にし,そのために先生から激しい暴力を受けたことによるのだろう。

性と暴力。

人間を揺るがす不可避の要素。

それが中田少年の心の奥底へのドアのカギを開け,その二つの世界との通路を作ってしまった。

彼は混沌と記憶や感情の喪失を持ち帰る。

彼の混沌のエネルギーは『ジョニ-・ウォーカー』殺害の際浮上する。

 

●次にナカタさんが何故猫と話せるのかを考えてみたいと思う。

                                  2004.12.27