イスラエルとパレスチナ

 

テレビに映し出された3つのシーン。

 

2階の窓から放り投げられる兵士。   
群がる群衆。
窓枠なのか、それを振り上げ幾度も幾度も兵士に振り下ろす若い男。
つり上がる目、振り上げられる拳、大きく開かれた口。

横たわる親子。
怯える子供。
命乞いをする父親。
呆気なく死ぬ子供。
狂う父親。

ヘリコプター。
照準に民間人。
発射されるミサイル。

イスラエルとパレスチナ。
中東問題。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教。エルサレム。流浪の民。シオニズム。インティファーダ、ホロコースト、中東戦争、フリーメーソン、ジハード、パレスチナ難民……
複雑な歴史、悲惨な過去がそれぞれにある。
親を、子を、兄弟を、妻を夫を殺される。その悲しみを他人が分かり合えることはない。
まして他国、他民族に武力で侵略されたことのない日本、敗戦後55年、平和ボケ民族といわれる日本人。
しかし平和ボケの日本人だから、複雑に入り組んだ国の複雑な事情に、一言も口を挟めないという事はないはずだ。
あえて言っていいと思う。
神が違う、民族が違うと言って殺しあう民族を見て、愚かさと醜さにあなた方を軽蔑する気持ちを抑えることができないと。
もちろん、人を軽蔑する気持ちも愚かで醜い。だからそれを抑え、どこかで理解し、その憎しみを分かち合い、そのことでその憎しみを消し去りたい。またそうする必要があり、そうしなければならないとは思う。

だが、窓から放り投げ、殴り殺す。命乞いをする親子を撃ち殺す、民間人へヘリからミサイルを撃つ。
そんな人々の持つ憎しみを分かち合いたいとはどうしても思えない。
そうした行いは、愚かで恥ずべき事と、はっきり言う必要があると思う。
だが恐らくは、そのような愚かな行為、恥ずべき行為は今に始まったことではなく、また日本人も同様の事をしたと、反論されることだろう。
だが、だからと言って口を閉ざしていれば、憎しみと殺意は人間の本能で当たり前のこととなり、暴力はまた認められ、強いもの勝ちの地獄へと戻ってしまう。
ボケてしまうほどの平和を経験できた日本人だからこそ、さらには多神教の伝統のある日本人だからこそ、宗教と民族がらみの紛争、戦争には異議を唱える資格があるのだと思う。

                                       2000.10.18

 

               戻る