飯島愛。
プラトニック・セックス。 ある一組の親子がいて,親子ともに世間の中で真面目に生きていく事が,一番大切だと考える。 そこでの教育の方針は,学校や常識に従い,世間に恥ずかしくないように,みっともなくないようにとなり,大切な事は一生懸命やる事,その時自分が苦しんでいる事,その苦しみが自分のしている事の正当性を証明しているのだと考える。 母は父親の望む良い子,高偏差値の子供を育てる事に必死になり,父親は正しい父親,愛情を殺し社会の良識と正しさを厳しく子供に実感させる事が父親の務めだと考えひたすら実行する。 今時,正しい世間も常識もない。 飯島の両親は奇妙に世間から遊離している。 親の心にねじれを感じる。 こんな乱れ汚れた適当でいい加減な世の中,しかもどうしようもなく崩れていく世の中。そんな世の中を無力感と共に生きてきた親が,自分の子供を異常なまでに正しく,潔癖に育てようとする事により,自分の心の空虚と無力感を補おうとする。 そう感じられる。 二人に自分たちの生き方のスタイルはない。自分自身で見つけ出したスタイルは無い。 あるのは一昔前の世間の常識と,硬直しワンパターン化した物の考え方と感じ方だ。 それにすがる。二人の言葉や行いに二人の姿はない。
子供に,「みっともない。恥ずかしい。」「みんなあなたのため。」としか言わない親。 偉人伝シリーズを無理やり読ませ,「一房の葡萄」を子供に写させる親。 言う事を聞かないとなぐる。力でねじ伏せる。 そして子供は生き方の指針のない事に戸惑い,何を判断の基準としていいかわからず,ひたすらみんなの目を意識し,そこに映る自分へのイメージを演じる事で自分を守る。 しかも子供が望む事は絶対的な力を持つ親からの承認の言葉だ。 誉めてほしい。 飯島愛は今の子供たちの一般的なあり方を,一足早く経験した。 そして彼女の人一倍の生真面目さと,良いにつけ悪いにつけ子供の頃両親から植え付けられた世間の中で正しく生きるという強迫観念が,大人になった今本を書かせ,混乱の中に生きた自分を突き放して見ることをさせた。 内容の率直さは清々しい。 潔いという言葉が何よりふさわしい。 AV出の女がお茶の間でにこやかに笑って,支持もされる。 でもあたしって,AVよ。おちんちんしゃぶってたのよ。知ってるくせに。ほんとは軽蔑してるくせに。 真面目に育った子はそう過剰に反応する。それが露悪的なまでの告白になる。しかし元々の彼女の生真面目さと,受けた教育,つまり世間の常識の中の大事な部分と言われている,「人様に恥じない生き方。」 それが彼女を後押しする。私はこうして何もかくさずに話し自分を罰する。でも私はそれを恥じてはいない。私は全力で生きてきた。ほかにしようはなかった。これが私。 これしかなかったと,過去を良いも悪いもドンと目の前に投げ出せる強さ。 それが今の我々にはない。 ああもできた,こうもできた。ただそうはしなかった。 そんな結果,どうでもいい今がある。 だから彼女の言葉は清々しく,生き方の指針ともなるのだ。 2001.3.22 |