亀田×内藤

もともと大毅に世界戦を戦う実力は無かった。というかだれもその実力は分からなかった。

実際試合数は少ないし、相手は外人ばかりで、しかもテレビ放映も無く(あったっけ)、どれほどの実力なのかはほとんどの人にとっては未知数だったはずだ。

 

ただテレビへの露出、それも話題作りの大言壮語、傍若無人、言い放題し放題のパーフォーマンスで彼がだれであるのかの認識だけはあった。

 

 

テレビ局はスポーツであれば一発を狙う。

特にボクシング、オリンピック、世界選手権、ワールドカップ。

試合数の少ない大会では一発を狙う。

そこで話題づくりを目一杯行う。因縁だの、家族の不幸だの、悲しい夢だの。

 

そしてテレビは見てしまえば、視聴率は上がる。上がれば勝った、と考える。

後のことなど考えない。

時が経てば視聴者も前回のことは忘れて、またチャンネルを合わせると考えているのだ。

視聴者をはなからなめている。

 

特に亀田一家は彼らの特性として、世間を見返したいという深い怨念がある。

それがどこから出てくるのかは分からないが(おそらくは父親の母親に対するものだろうが)人に自分たちの力を見せ付ける、そのために人に見られることを必要とするというところからテレビ局の思わくとうまく合い、その結果ああした派手なカッコづけが番組としても成立し、試合への期待をあおり上げてしまう。(実際きっとあったのだ。TBSが亀田一家にガンガン言ってください。言えば言うほど視聴率は取れますから。いいようにうちで番組は作りますから。って。)

 

それはそれでいい。

その結果の試合が面白ければいいのだ。

特にボクシングは試合の面白さの割に地味でつまらないスポーツと思われ、世間の目を引くことは今はほとんど無い。

プロレスなどと比べてはるかに危険度の高い格闘技であるにもかかわらずにだ。

 

そんないらだちがボクシング界にもあるのだろう。

実力も無いのに、とは思いながらもボクシングへ多くの目を向けさせたいと思ったのだろう。しょうがねぇ、俺も乗るか。

そんな感じだったのだろう。

 

 

 

となれば一番貧乏くじを引いたのは、大毅自身だったはずだ。冗談じゃない、俺が世界戦なんてまだ早い、まずいぜそれ。

そんな思いを振り払おうと切腹だの何のと言い出したのだ。

最終ラウンドの苛立ちは、客寄せパンダにしかならなかった自分とテレビ局や父親への復讐であったのかもしれない。

 

そしてはなから勝てないというきちっとした認識があったからこそ細かな反則技を駆使したのだろう。

それでもどうにもならないことから、世界中のだれもが分かる反則技をやけのやんぱちでやってしまったのだ。

 

しかし普通10戦やそこらの経験しかない18の若造にタイトルマッチはやらせないだろう。

 

 

 

大毅にはここで折れないでほしい。ここで切れないでほしい。

 

ガードを固めてひたすら突っ込んでいく姿は、悲しいほど愚直で美しかった。

相手をかつぎ上げるなどという馬鹿馬鹿しいほどの反則技でしか自分の本心を表現できなかった弱さは胸に突き刺さった。

茫然とした、全てが終わったというような、脱力した、もういいよ、という悲しげな顔をぼくは忘れない。

 

ここから這い上がってほしい。

まずは日本タイトルだ。そして東洋。そしてさらに世界。

 

そうなってこその偉大なるチャンピョンだ。

不世出の偉大なる世界チャンピョン。

その第一歩を今大毅は踏み出した。

 

ストーリーとしては最高の出だしだ。一番おいしい所を大毅はもっていける。

神様はきちっと大毅に一番おいしいとこを用意してくれた。

 

ここからなのだ。

ここから大毅に注目したい。

 

                                 2007.10.14