ハリーとダレンとゲド。

 

ヴォルデモートの持つ杖とゲドの持つ杖が同じイチイの木の杖だということは単なる偶然だろうか。

 

今から30年前に「ゲド戦記」でル=グウィンは、善と悪は対立するものではなく、支え合い、ひとつになりさらに大きな均衡を生み出す元になるものだといった。

それ以後少年少女ファンタジー小説は、もはや単なる善と悪とが闘い善が勝つなどという単純な物語は語れなくなった。

だからハリー・ポッターやダレン・シャンには今期待しているのだ。

 

ハリ―は全7巻、ダレンは20巻。

これからの展開の余地が残されている。

 

ハリーがヴォルでモートに勝つなどということはあってはならない。

それはこれまでのファンタジー小説の進化を裏切る事になる。だが心配はしていない。

なぜなら、布石が幾つも打たれていると思われるからだ。

先のイチイの杖もそうだが、ハリーがパーセルマウスであること、ハリーもヴォルデモートも孤児であり辛い少年時代を送るという共通の過去を持っている事、ヴォルデモートが混血である事、ヴァルデモートの肉体再生の儀式でハリーの血がヴォルデモートの体内に入った事、ホグワーツ校にそもそもヴォルデモートが出たスリザリンがあり、さらにダームストラングという闇の魔術を教える学校がある事、それにどうやら純血の闇の魔法使い、マルフォイという最後は共通の敵となる(かもしれない)存在が用意されている事。それらを考えると、善と悪との単なる闘いには終わらないと思われるのだ。

ダレン・シャンもそうだ。

人間との融和を図るヴァンパイアと孤高を望むヴァンパイニーズとの闘い。だがこれは小さな闘いだ。ダレンはこれには関われない。ダレンが関わるのは吸血鬼と人間との闘いだ。なぜならダレンは半ヴァイパイア。人間でもあり吸血鬼でもあるからだ。

今後ダレンが人間に戻るなどという事があってはならない。

 

人間と吸血鬼との共生。

それがテーマ−だ。なんと雄大なテーマだろう。

そしてまだ全20巻であれば、半分もいっていない。そこが期待できる所なのだ。

ともに「ゲド戦記」を越える作品になることを期待したいと思うのだ。

 

次号が楽しみだ。

                                    2002.12.23