バトル・ロワイアル

新人賞でもめたそうだ

「非常に不愉快。」「いやな感じ。」 内容が反社会的ということらしい。

 

中学生達が殺し合うという設定が反社会的ということなのならば,それは確かに反社会的だが,もともと芸術は反社会的であり,それは問題はない。殺しあうのが中学生という事が問題なのだろう。

だがここはしっかり認識してほしい。

小学生も中学生もここ15年ほど,毎日心の戦争をしている。真っ赤な心の血を流している。そして時に本当に肉体の血を流し,首をつり,飛び降り,薬を飲む。

 

それを単に具体化したのがこのバトル・ロワイアルだ。

 

相手を信じられるか。互いに信頼し合えるか。

 

これがこの本のテーマだ。

 

そして子供たちはそれをテーマに学校での毎日を生きている。その結果,殆んどの場合彼らは一日一日不愉快な重く澱んだ気持ちを心の中に溜め腐らせていく。

 

信じ合えるか。

信じ合えない。

 

これが彼らの殆んどの結論。

 

それはそうだ。我々だってそう思っている。

だいたいが自分の心を覗いて見ればいかにいい加減で,汚く,裏切りに満ちているかはわかる。

そして今の子供たちは自覚できているできていないにかかわらず,じぶんの弱さともろさを引き摺っている。決して前向きにプラス思考に歩いて行こうとはしない。自分でさえ信じられないときに他人を信じるという気持ちにはなれない。自分を持て余している時に人を信じ人について考えることはできないのだ。

 

彼らは他人を信じる前にまず自分を全く信じていない。いや信じることができない。その苛立ちの中で彼らは生きている。それがストレスを生む。

辛い話だ。

 

自滅物語であるバトル・ロワイアルに彼らが親しみを覚える理由もそこにある。

この物語は今の子供たちの心の風景を適確に表現しているのだ。

 

ただ気になる点はある。

例えばこんな場面。

 

真面目一方のクラス委員長がパニックを起こし,主人公に銃を向ける。それを別の生徒が助ける。ショットガンで腕を撃つ。腕が吹っ飛ぶ。

 

「委員長は,地面に落ちた自分の腕へ向かって走っていた。左手で自分の右手から銃をもぎ取った。バトンリレーだ,まるで。一人二役,グレイト。秋也はまたまた,できの悪いホラームービーを見ているような気分になった。あるいはできの悪いホラー小説。

ちくしょう,本当にできが悪い。」

 

 

パニックを起こす生徒にこんなことをさせる必要は無いだろう。とも思う。

特に問題は「グレイト」の部分だろう。

だがここに僕は作者の,この時代に生きる人間の病んだ姿を自分自身で表そうとする意志を感じ取りたい。

こんな残酷で馬鹿馬鹿しく下品な光景が,シリアスな場面でもつい浮かんでしまうのだ。

純粋にものを感じることが僕らにはできない。いつも茶化してしまう。まともに見ない。

それはそれが自分をガードする一つの方法であるからだ。

悲しみや,怒りでも喜びでさえ,生の感情に無防備にさらされ引き込まれることを恐れる。

ただでさえ不安定な気持ちがその感情でひっくり返されてしまう。

またその感情に支配されることにより,自分が当事者になってしまうことへの恐れ。

絶えず傍観者でいたいのだ我々は。

 

 

 

 

 

作者の書き様は,そんな我々の心の在り様を書き方そのもので表している。と同時に中学生の殺し合いというこれまでに無い設定に引きずり込まれたくないという作者の気持ちの現れでもあると思う。

 

他の部分にも茶化しの言葉が幾つも入る。それが新人賞ではいやな感じとうつったのだろう。

だがそれは作品が書けてしまった後,カットすればすんだ話だ。それをそのまま乗せたことに作者の意志を感じる。我々はいつどんな場面でも悪意に満ちている。作者はそれを言いたかったのだろう。

 

また殺人ゲームの担任,坂持金発の口調。

 「じゃ,説明しま―す。みんなにここに来てもらったのはほかでもありませ―ん。

 今日は,皆さんにちょっと,殺し合いをしてもらいま―す。」

 

しかしこうした軽薄な口調こそ,この40年ほどこの国のマスコミで流れ続けてきたものだ。テレビで,新聞で,週刊誌で,大切な事はいつも嘘っぽい口調で話され,嘘はいかにも本当のように話され続けて来た。

 

その結果大切な事はいつも嘘にしか感じられず,しかもそれは本当に大切な事だった。

本当は嘘,嘘は本当。それも嘘。そしてみんながそれを知っている。

そんな虚実入り混じる所にテレビを代表とするマスコミ社会は成り立っている。

それを金発先生の口調は表している。最も大切な事はこの国では嘘のように話される。

そのとおりだと思う。

だから金発先生のこの口調は,適確な選択だと思う。

 

 

だがいい場面ももちろんある。

頭もよく運動もでき,しかも心優しくはあるが,女の子を好きになったことのない生徒が,頭が悪く運動もできないしかし好きな子のいる生徒に聞く。

 

「金井のどこが良かった?」

    中略

「うまくいえないけどすごくきれいだったよ。」

「眠そうにしてて,席に座って頬杖ついているとき,きれいだったよ。」

 「教室のベランダの花に水をやってて,うれしそうに葉っぱにさわってる時も,きれいだったよ。」

 「運動会で,リレーでバトンを落として,後で泣いてた時,きれいだったよ。」

 「休み時間に中川ユウカの話とか聞いてさ,おなか抱えて笑ってる時,すごくきれいだったよ。」

 

とても良いと思う。

 

また自分の好きな子を助けられなかったことを悔いる生徒に向かい,女子が言う。

 

 「もし私が慶子さんだったらこう言う。

  どうか生きて。喋って。考えて,行動して。時々音楽を聞いたり,絵を見たりして,感動して。よく笑って,たまには涙も流して。もし,素敵な女の子を見つけたら,その子を口説いて。その子と愛を交わして。」

 詩のようだった。まるきり。

 

 

これもいい。

他にも心優しく死んでいく子供達が,印象深く描かれている。逆に人を殺すとはどんな事かを知るのも悪くないということで「ゲームにやる気で参加する」子もいる。

 

 

 

子供達に薦めている。

映画を次に見たい。

どう絵になっているのか。

興味深い。

 

                               2001.1.20