A.I
えっと,これって,あの,駄作?愚作?勘弁してよ作? 参ったよな.なんか日本中でほめちぎってなかった? スカスカ,だるだる,繰り返し,説明.退屈.長すぎる. こうだ. この映画のテーマは感情を持ったロボットと人間とは共存できるか. これに尽きる. そしてこのテーマが始まるのは,母親がデイビットを捨てようと決心する所から始まる.そしてこの映画ではそこで終わる.母親が泣きまくるにしろ捨ててしまうからだ. テーマそこで捨てられる. ここから映画は第2部に入る.問題に直面しないままにだ.考えようとしない姿勢は非難されていい.というかいい加減だ. ジャンクショーでのデイビッドの扱い. ここで人間たちはロボットを差別する.ロボットとの共存を認めない. しかしその時人間たちはデイビットだけは助ける. その時の人間の言葉, 「まだ子供じゃないか」 これはショーを主催する悪玉の 「外見に騙されるな」が正しい. ロボットなのだ.子供も可愛いもない.それはどうとでもなる.なった後のロボットと共存ができるかが問われなければならない.それが無いのだ.人間の愚かさを表現しようとしたのか.曖昧なのだ. デイビットがプールで兄さんと共にプールに落ちる. この時にこそテーマが広がらなければならなかった. デイビッドは太っちょに脅されその恐怖から兄さんにしがみつきプールに落ちた.ここも曖昧なのだ. デイビッドはここでは母親の愛を独占するため,兄さんへの嫉妬から兄さんを殺そうとした.そうしなけれならない. 父親は適確に言っている. 「愛を知っているのなら,憎しみも知っているはずだ.」 そしてそんなロボットと一緒に暮らせるのか. それがテーマであったはずだ. それが広がらない. 中途半端で終わる. 愛? デイビットは愛を知っているのか. いない. ただインプットされただけだ. 話としては,ロボットでありながら,しかし人間との長い付き合いの中から,機械的な反応とは別の何かが発生してしまう.それが新種のロボットの発展の中で引き継がれる. 50年,100年,200年の中でそれが引き継がれ,発展する.それがやがて数値に還元できない何ものかとなる. それが愛,だ.愛かもしれない. 考えても見ろ.人間においてでさえ愛は神秘だ. 愛の存在は不可思議だ. それを簡単に機械に持たせていいのか. 持たせた愛は嘘だ. その愛は真実なのに,その存在は偽り. その存在は真実なのに,その愛は偽り. これが正しい. デイビッドの2000年に渡る愛は妄執でしかない. 自らの中から生まれたものではないからだ. インプットされただけなのだ. オスメントの愛らしさに騙されてはならない. さらにお話の進み具合だ. 廃墟の海底都市で,単なる人形の残骸に祈るシーンで終わっていればいいものを,進化したロボットなどを出して,デイビッドの妄執を実現させる. 繰り返そう. デイビッドの愛は真実の愛ではない. 彼の中で生まれ育った愛ではないのだ. 人間にインプットされた彼とは無縁の愛なのだ. 2000年後クローンとして再生された母親と共に永遠に目を閉じたとしてもだ. 退屈な映像.繰り返される説明. 未来都市の情けなさ. 唯一目をみはらされたのは,自分の欠けた体を探し再生させる旧型ロボットたちの悲しい群れ. ここは良かった. 悲しく,切なく.ロボットと人間との唯一の接点が表されていた. ここを広げての映画なのだよ!! ああ、時間と金の無駄. 今テレビでジェラッシクパークを見ている. これだろやっぱ.彼は.見事だよ.
2001.8.17 |