マラソン日記 2009.5

 

スペクトルの月23日

5月24日。

 

今後の予定。

5月31日。 幕張で60km走。

7月20日。 武蔵小杉で8時間耐久走。

 

6月はお台場10キロ、抽選はずれ。

8月はレースなし。ここは例年通り日テレの24時間マラソンとともに100キロを走る。

 

 

ただ体重が抑えられない。食ってストレス解消、食って食って、攻撃性を薄めている。そんな感じ。

食うことで破壊を避ける。自滅へ向かう。まだ自滅のほうがいいだろう。

 

 

なかなか`4分30秒が走れない。5分前後が精一杯だ。これはまずい。

目指すはサブ3なのだから、平気で10キロ走では`4分30分を切って走らなければならない。

まだまだ足りないのだ。

 

『ヤッソ800』

 

`3分45秒で、800メートルのインターバルを10本。

 

 

現在250km。5月24日で250km。

ぎりぎり。

 

月間300kmは当たり前に。

まだまだ足りない。

大丈夫大丈夫。月、300kmくらい、大丈夫。

 

 

5月31日

 

 海浜幕張60km。「飛翔」ウルトラマラソン。

 

疲れた。

さすがに60kmは長い。今も腕や足、日に直接当たった所はポッポポッポと熱い、そして黒く焼けている。

 

6時間6分。

6時間を切りたかった。40kmまでは`5分から5分30秒。40km過ぎたら6分でいこうと考えていた。

 自然とペースが落ちていくのではなく、意識的に切り替えていこうと思っていた。

 

最後の1周、3,4kmは`4分台をキープできた。

全体にコントロールできたレースだった。

 

周回コースを18周しての60km。

暑い中の60キロで何周走ったかを確認するのは至難の技。そこで18本の輪ゴムを左手から右手に移していくことで周回数を確認することにしていた。

 

結局周回数の確認は、ゴールラインに掲げられたランナーたちの名前の書かれた紙に、3周目、5周目、8周目、10周目、あとは11,12,13,14と最終周までシールを貼りながら確認していくようになっていた。

そして最終周になったら申告し、襷をかけてもらい、最後はゴール時に写真を撮ってもらう。

 

いちいち止まってシールを貼るのは時間の無駄ではある。1回2分かかったとしても30分以上は事務作業にとられてしまう。

とはいえこの時期の60km。別に記録を狙う時期ではない。シールを貼るときにストレッチ、給水、給食をしていくのが一番の流れなので、これがこれでベストの方法だと思った。

 

周回コース。

周りをぐるり見回すとどのコースにもランナーがいる。それも辛そうに苦しそうに走っている。暑い日差しの中ふらふらしながら走っている。

 

それはそれでいい。

みんな好きなんだ。走ることが。そんな人たちがふらふらしながらぐるぐる同じコースを回っている。これはこれでいい。

少し連帯感感じる。

 

綺麗な人がいた。

辛そうに走っている。声をかけて一緒に走って、完走の手伝いをして、それで知り合いになって、などと考えながら走る。追い抜いてしまう。声などかけられるはずもなく、もう1周して今度はとも思うが、また追い抜いてしまう。

 

妄想にも時間をかけた。

 

 

腰を痛めての1年ぶりのレースだ。;

今のところどこもおかしくはない。大丈夫。やれる。

 

走ることしかないのだ。

ほかに何もない。

走ることがなければ、鬱に落ちる。

苛立ちと不安と悲しみと殺意とに取り巻かれる。そして食われ、食われ、食いつかされる。

 

だから走る。走るのだ。

それしかない。

そんな悲しい毎日なのだ。

 

 

にしても誰も応援してくれない。誰も何も言ってくれない。

ただ一人で走るだけ。

 

そりゃそうだ。

誰かを応援したことはない。

誰かの走っている辛さを思ったこともない。

 

 

だから誰も何も言ってはくれない。当たり前。

いいのだ。

 

一人で走り、一人で終わる。これまでもずっとそうだったしこれからもそう。

別にどうという事はないのだ。

それ、しっかりと確認しとかないとね。

 

 

70歳での日本一。これを目指すしかないのだ。