マラソン日記 2006.1.1−31 黄色い宇宙の種の年律動の月23日 1月5日 1月4日. 昨日は恒例の湯島天神参り. 10時40分千葉駅発. 14号線を船橋、東京に向けひた走る.標識には東京まで35キロと出る. 淡々と走る. 昨日はやめようかとも思った. 晴れたら走ろうと思っていて曇っていた.わがままな二人のために走るというのも気が乗らなかった.とはいえ、可愛い二人のためだ、それに二人とも兄貴の時は合格鉛筆に学業お守り、合格達磨を買った.自分たちにはないのかと突っ込まれても困る.ということで出たのだが、よかった. 走り始めてほっとする. やはりこれは恒例の行事. 二人のために走るのだ. ちょうど1時間. 信号待ちでコリ−を見つける.子供のコリーだ. 最近はみな、コリーもお座敷犬になって、小型で、その分頭も悪くなっていてつまらない.目に深みが無いのだ.これはどの犬も同じで、犬としての知性がなくなっている. 要するにペットに成り下がってしまっているのだ. 人間がただ可愛がるための生き物として、作り変えてしまった. ただこの犬は純粋コリーで、真ん丸の深々とした目をしている. コリーで丸い目はよくないのだ.正統のコリーではない. だが昔飼っていた犬も真ん丸の目をしていた. 嬉しかったので、じっと視線を送っていると、ちらちらこちらを気にしてくれる.中年のおじさんが気付いてくれて、いいですよ、噛みません、人間大好きな犬ですから、と言ってくれた. と途端に、ぺろぺろと顔をなめに来た. いきなりくるっとひっくり返っておなかを見せる.嬉しかったが、もう少し毅然としてもほしかった. ダメ、ダメ、誰にでもおなか見せちゃダメ、しっかりしなさい. と叱ったが、もうフーフーいってどうしようもない. しかしまぁ嬉しかった. 戌年の正月にコリーに会えてそれに飼っていた犬とよく似た顔をしていた. 名前を聞くとココアという. 1時間の給水では黒豆ココアを飲んだ. もう何回も走っているのだが、道がわからない.ただ、蔵前橋という名前が記憶にあったので、それを頼りに走る. 湯島天神まではおそらく40Km. 蔵前通りを蔵前橋にむけて走る. ところがこれが長いのだ. どこまで行っても蔵前通りで本郷、蔵前橋の表示が続く. 1時間半は続くのだ. これはつらい.いつ次の表示がでるのか. けっこうと飛ばして走った. 信号がやたらとありそのたびに止まるのだが、`4分15秒以内では走った. 2時15分、本郷、蔵前橋が本郷、湯島に変わる. オ〜〜〜という感じ. だがきっと去年もその前もそうだったのだ.忘れている. 情けない.だが新鮮な驚きを毎年経験できるのだから良しとする. 隅田川を渡る. ここからがややこしい. とりあえず御徒町駅、山手線を探す.あとは山手線について行けばいいのだ. 2時42分湯島天神着. ちょうど4時間. 信号や自動販売機での給水、を考えれば、こんなものか. 大きく迷うことは無かった. 横綱交番を過ぎて、蔵前4丁目で、御徒町を目指して、蔵前通りから離れたのがよかった. だがその先が辛かった. 予定ではお守りを買って、すぐにコンビニでタオルを購入上野公園で体を拭いて、すっきりしたかったのがだが、まずお守りを買うのに30分かかった.(込んでいるのだ無茶苦茶、去年も一昨年もこんなことはなかった.寒い.汗だらけなのだ.その場で体を動かそうとするが、なんせ人でぎっしりで動かせない.冷えてくる.ここで風はひきたくない.) 急いで、コンビニでタオルを買い、そしてさらにワンカップを2本買う. そして上野公園にいきまずは一気飲み. 暖を取るには酒が一番だ. それに大体まだ何も食べていない. あさ8時に納豆、とろろ入りのうどんを食っただけだ. 40`走り、今2時45分.腹には何も入っていない.途中パンでもと思ったが、ストイックに着いてから、お参りしてからと我慢した. 酒ならカロリーも一気に補える. それとチョコレートをぼりぼり食った. かなり落ち着いた. だが問題が起きた. 去年はどうしたのだろう. 今回は何も持ってこなかった.手ぶらで走った. 一番下にトレーナーを着て走り、その上にウインドブレーカー、その上にさらにトレーナを来て、ウインドブレーカー. 走り終えたら一番下のトレーナーを脱ぎ、ウインドブレーカーの上のトレーナーを一番下に着る.これでオーケーと思っていたのだが、そのトレーナーもビチョビチョなのだ. とてもではないが着れない. そういえば去年はデイバックを背負って走った. それがいやで今年は手ぶらを選んだのだが. それに中に着込んだウインドブレーカーも濡れている. とにかく公園の隅で上半身裸になりタオルで汗を拭く. こういうのって恥ずかしい. すぐそばにはホームレスのテントが並んでいる. ホームレスの人が体拭いているとみんな見ているのだろうなと思いながら体を拭く.それもいいかと思う. タオルを買ったコンビニで大きめの袋に入れてくれといったのがよかった. 濡れたトレーナーを入れるためだったのだが、それが2着、さらにウインドブレーカーも入れなければならなくなったのだ. 結局一番上に着ていたウインドブレーカーだけが無傷. 素肌にそれ一枚で帰らざるをえなくなる.寒い. そこで急遽コンビニに走りワンカップをまた2本. ぐいっといく. 要するに酒が好きなだけなのだが、緊急事態なのだ.しょうがない. だがおかげで、体は温まってきた. 公園では骨董市をやっていて、それで小さな犬の置物を二つ買った. 可愛い奴だ.きっと気にいってはもらえないと思うが、こういう時には買うものなのだ. 御徒町の駅で月見そばを食った. 唐辛子をガンガンに入れて食った.腹の中の酒が熱燗になって、全身ぽかぽかとなってきた. 病気平癒のお守りも名前入りで二つ買った. まぁ今日はこれで、よかったとしよう. 黄色い宇宙の種の年律動の月26日 まずい. 体重が60Kmを越えた. せっかくベストの58.5sに達したというのに、正月食いすぎ、飲みすぎた. まずい. これからはこれまで通り、夜はさんまの缶詰、山芋、豆腐、これでお終いにする. 今月は館山がある. あと3週間.3週間で1.5sは難しいことではない. しかも 9月、309Km. 10月、300Km. 11月、300Km. 12月、322km!!! なのだ. 4ヵ月続けて300kmを越えたことはたぶんこれまでにない. しかも12月は休もうと思っていての300km越えなのだ. それだけ根性が入っていたというか、追いつめられていて、走らざるを得なかったというか、とにかく、322km、だったのだ. それをここで体重オーバーとなっては元も子もない. ここは冷静にコントロール、58.5sに戻す. ただ一度食うことを覚えた胃袋は我がままなんだよな. 黄色い宇宙の種の年律動の月3日 1月12日 3月荒川マラソンの申込書がなかなか送られてこない、どうしたのだろうと思っていた.締め切りが近づいている.このままじゃ定員オーバーでもれてしまう.ということでネットで申し込もうと思った. ところがそこで日にちを確認したら3月の19日.一週間後の26日が佐倉なのだ.そこで思い出した.連続は無理だから佐倉を選んだのだ.荒川は遠いし参加料が4500円で高すぎる. それで申し込まなかったのだ. ところがここにきて全コースフラットの荒川が気になりだした. 佐倉のラスト佐倉駅から1キロの登り坂、ゴールを左に見ながらゴールから遠ざかりさらに奥まで走ってから戻るというコース設定、さらにさらに競技場に入る前の急坂. どう考えても記録狙いでは荒川に負ける. 全コースサイクリングロードという単調さはあるが、1kmごとの標識、坂の無さを考えれば、サブ3狙いにはこちらの方がいい. ということでもう金は無いのだが、4500円を払うことにした. ただ気になったのはこんなに遅く申し込むとスタート地点が後ろになりはしないかということ.ただ荒川はスタートでかなり厳しく、目標タイムで並ぶ場所を区切っていた.ネットでの申込みで目標タイムの申請があれば申し込もうと思った. あった. 目標タイムは2時間45分30秒とした. かなり早めにした.これだと50歳台だと優勝タイムになる. まぁしかし、1分でも立ち止まっていたくは無い. 2年前荒川で3時間2分. これが今のところ最高タイムなのだ. 1分、2分が大事なレース. これで申し込んだ. さらに2月レースが無いので、3月5日、ガス橋でのハーフを申し込んだ. ここで足に活を入れておく. 佐倉はアクシデントで荒川を走れなかった時の予備. 万全だ. 実に万全だ. 現在1月12日、走行距離120km. 月間300kmペースが9月から続いている. 体重も59kmを割った. 夜の豆腐、山芋、さんまの缶詰. これを徹底させている. 飽きるとジャガイモ、人参、玉ねぎ、にらのスープ. 酒の量は増えている. 黄色い宇宙の種の年律動の月15日. 1月24日. 日曜日に3時間、あるいは30kmを走りたかった. それが大雪.筋トレに変更. 距離を足に感じさせたかった. 今日火曜日にと思って7時に起きたが、まだ雪が残っていて、もし転んだらと思うと怖くなり、10kmジョッグで止めた. だがあまり気にすることはないと思う. 9月から4ヵ月、連続して300kmを走っているのだ.むしろここは休んだ方がいい.足は距離を覚えている.覚えているはずだ. それと新しい靴を買った. 色々と考えたが、2足とも穴があいていて、底は磨り減って斜めになっているのだ. 富士山でボロボロになった靴をまだ履いている.金がないのだ. だがいくらなんでもこれではまずいと思った.足を悪くする. サブ3も狙えない. それで買った. ホントは2足買いたかった.年なのだから底は厚いやつ. いや、年だからといって、サブ3、自己ベストを目指すのだから底は薄いやつ.どっちにする.どっちがいい. 結局厚いのを買った.薄いので途中膝が壊れては元も子もないのだ. ところが買う際、お年玉くじを引かされ、それで1万円が当たったのだ. こんなことは生まれて51年、一度もなかった.初めての経験だった. それで薄いやつも買った. レースではこいつを履く. やはりこれまでに走ったことのない時間で走るのだ. 薄いのでびしびしぐいぐい走りたい. 勝負なのだ. 膝が壊れることもある. それを賭けてのレースなのだ. 手首に巻く2キロのバンドを買った. それをつけて明日から走る. 効率を上げるのだ. これまでと同じ時間同じ距離走りながらも効果をあげる. アンクルパワーも復活させた. 本番は3月の荒川. まだ調整期間ではない. 根性はもちろんだが、冷静に確実にパワーアップを計る. 黄色い宇宙の種の年律動の月22日. 1月31日. ふふふふふ.ふふふふふふふ. くくく.(^^ゞ くくくくくくくくく(^^ゞ 3時間46秒.(ネットタイム.)自己新ね.またまた自己新. ついに追いつめた. 3時間.あと1分ないのだ. 2002年の3時間2分47秒を越えた. 4年若返った.51にして限界を超えたのだ.実に喜ばしいことだ. 実に. 今回はペースメーカについた. 最初の2キロからついた. だからついていくことだけを考えた.館山はアップダウンが多い.そこでペースが乱れる.というかわからなくなる.それがペースメーカーがいれば、問題はなくなるのだ. だがこのペースが微妙に速い. 5km. 21分50秒. 10km. 42分44秒. 15km. 1時間3分26秒. 20km. 1時間24分19秒. 中間点. 1時間28分54秒. 25km. 1時間45分21秒. 30km. 2時間6分43秒. 35km. 2時間28分26秒. 40km. 2時間50分12秒. ゴール. 3時間1分7秒.(グロス) 特に25km、30kmは1分ほど早い. これは僕の限界を超えていたと思った.サブ3は自己の限界を超える速さで走らなくてはならないのだが、それを超えていた. ギリギリセーフの走りをしなくてはならないのだ. 250メートルほど後ろを走ってもいい速さなのだ.そこで微妙に落とした. 少しずつ離れていく. その分楽になっていくのだが、しかし不安が膨れていく. このまま離れたままになっていくのではないか. これも微妙な話だった.ついていけばつぶれるという不安.つかなければそのまま置いていかれるという不安. 結局追い上げた. これはきつかった.結局本来のペースより早く走らなければならなかったからだ.ひたすら集団を見つめた.腕振りと腰のひねりに意識を集中した. 腰をひねればストライドが伸びる.同じピッチでも距離を縮めることができる. 10センチ、15センチと追いつめられる. 勝負どころだと思った. 35km地点で追いついた.ほっとした.快挙だと思った. 集団は20kmでは100人以上いた.それが25kmで半分減り、30kmで20人前後.35kmでは8人. どんどん減っていく.まさにサバイバルだ. 35kmで追いついた時は嬉しかった. これでいけると思った. 40km. 海岸に出た. ここでいつも風が吹く. 追い風、上から押さえつける風、巻き込む風. だが今回風はなかった. いけると思った. だが足がきていた.後3キロという辺りからふくらはぎが痛くなっていた. パンパンに堅くなっている. 着地したあとのけりができない.足は流れるだけだ. チョコチョコとピッチで稼ぐしかないのだが、それも限界にきていた. 動かないのだ足が. だが後2km. ここからどんどん集団が遠ざかっていく. これはむごい. キツイ. 待ってなどくれない. 冷たいのだ. ペースメーカーに声の一つもかけてもらえればついていけるのに、とも思った.弱さがでる. どんどん8人が小さくなっていく. 最後に取り残される.最後の最後で見捨てられた. そんな感じだった. 足は完全に動かない. 立ち止った.1,2,3,4,5,6、と数えながら、屈伸を続けた.最初は曲げるまでに20秒ほどかかった. 後の40秒屈伸を繰り返す. 1人、2人、3人、と抜かされる. 60を数えてから走り出す. 何とか動く. だが体が斜めに流れていく.右車線に曲がっていく. 顔をしかめ、あごは上がり、腕が体に巻きつく. どうであれなんであれあとわずかなのだから、走りつづけなければならない. もう立ち止れない. 時計がピッと鳴った.1時の時報だ. これでサブ3は消えた. これでまたどこかで挑戦できる.とも思った. だがラストはスパートして終らなければならない.それがレースでの決め事だ. もっと応援してくれ、もっと声をかけてくれ、と思う. そしたらラストスパートがかけられる. 顔をしかめていかにも苦しそうな50過ぎのおっさんには誰も声をかけてはくれないか. しかしそれでも右からも左からも声はかかるのだ. ラスト50メートルほどだったがピッチを上げた. くたくたでゴール. 3,4分棒立ちのまま突っ立っていた. ほかに動きようがなかった. だがそれにしても、自己の限界を超えた走りではあったのだ. 40から走り始めて11年.最高な走りはしたのだ. あと46秒. 3月荒川. 2月のトレーニングが勝負だ. スピードをつける. スピードに耐えられる足を作る. |