マラソン日記    20064.14.30

4月4日

 

`4分ほどで、12kmを走った。

ハムストリングスの痛みでず。

これは朗報。

 

もしかしたらやれるかもしれない。

明日から長いのは怖いので、短いやつ、10kmを連続して走る。

あと10日ある。

足を臨戦体制に持っていく。

 

45日。

 

午前中雨。

そこで帰ってから夜、1時間走る。

気合が戻ってきた。

毎日走るのだ。

足をその気にさせる。

 

47日。

今日も午前と夜走った。

夜は11時から12時。

真夜中の公園を走る。

誰もいない。

こんな酔狂なことしてる奴はいない。

 

これまでこんなことした事もない。

あせっているのだ。

走行距離がない。

相変わらずハムストリングスは傷む。

だから長い距離は走れない。

20kmを走るためには、10km10kmと分けるしかない。

だから真夜中走る。

 

吉と出るか凶と出るか。

 

49

30`ジョっグ。

3時間を走った。途中ペースを`4分、5分と変えながら走った。

 

ハムの痛みはなかった。

何とかやれるような気はするのだ。

だが、走った後に痛みは出る。

霞ヶ浦、雨は降ってほしくない。

日も照ってほしくない。

 

冷えれば足に来る。

暑くても足に来る。

 

ぎりぎりで走るのだ。

コンディションは最良のものであってほしい。

414日。

午前10km。真夜中10km

相変わらずハムストリングス痛い。

足を伸ばすとちくりと痛む。

一歩一歩痛む。

怖い。

だが、といって、ダッシュしても、急に止まってもより痛むということはない。

またさっき真夜中、ラスト坂をびくびくでトップスピードで駆け登ったが、痛みは出なかった。

慣れる痛みなのか。

いや、最初慣れても、30km過ぎると一気に出て、刺し込み刺し込みで走れなくなるよなことになるのでは。

 

不安、不安。

 

ただ確実にいえることは、この2週間、ほぼ4日で1本、ゼノールぬりまくっているのに、痛みは少しも減っていないということだ。

 

確かに治ってはいない。

だがそう強く思ってもよくない。

そう思っている限り痛みはなくならないのかもしれない。

直るという思念を送る。

ハムに送る。

 

霞ヶ浦が今年最後なのだ。

後悔したくない。

 

勇気を持って、スタートラインに立ち、スタートを切る。

 

昼と真夜中2回走っているのだ。

半端はやっていない。

 

4月16日。

 

2時間59分23秒!!

 

苦節11年。

ようやく実現できた。

いないだろ今時、11年かける奴。

ゴール直後、泣いたね。

涙、出た。

ゴール後時計見て2の数字が出てるの確かめると、来た来た、じわっと来て、涙が出てきた。

もちろん周りは人だらけ。

すぐに堪えたが、やはり泣けるものなのだ。

 

 5−− 22”38

10−− 21”20

15−− 21”00

20−− 21”17

25−− 21”15

30−− 20”05

35−− 20”41

40−− 21”06

ラスト− 09”09

 

トータル

 

2時間59分23秒!!

 

朝から予感はあった。

まず自然に4時に目が覚めた。だから寝過ごしたかと思った。起きても眠くはなかった。

外へ出ていつもの犬に挨拶すると、いつもはまるで無視する犬がこっちを向いて尻尾を振りながら、明らかに笑顔でほえてくれた。

 

トイレも順調に終えた。

スタートの位置も、スタートラインから10メートルほど下がっただけの所で、スタート直後も問題なく普通に走れた。普通に走れるまで15分以上かかり、その間、右に出たり左に回ったり、止まったり、スピードアップしたりの荒川とは大違いだった。

さらに雨が降りそうで降らなかった。

降っても熱くなった体を覚ましてくれる感じで、ありがたかった。

 

さらに風がなかった。

日差しも強くなかった。

 

気温、6,6℃、湿度78%、北東の風1.5m。とあるが、これが僕のベストコンディションなのだろうか。

 

とにかく今回は右のハムストリングスが問題だった。だから今回は初めての試み、トクホンダッシュを持って走った(まだこのネーミングだったのだ)。

結局1本使い切った。最初からずっとハムには吹き付けていた。ほかのところも痛みが出始めたらすぐにシュッとした。

それがよかったのか、足は最後までもった。

 

だが今回はっきりとわかったことがあった。

走りの奥義とでも言えることかもしれない(ふふふ)。

 

つまり足に負担をかけないで走るために必要なことは、コンパクトは動きとバランス、そして脱力ということなのだ。

 

まず、地面を親指で蹴った後、すぐに脱力することを心がけた。そして、足が後ろに自然に流れ回転し前に向かうときに力を入れる。足が回転しているときの半分は流す感じで走ってみたのだ。

だからバランスが大事になる。体の中心線をまっすぐにし、重心が揺れないようにしないと、脱力の後の足がきれいに前へ戻っていかない。また動きをコンパクトにしないと、体がぶれる。

 

蹴った後、脱力。

足が戻ったら力を入れる。

 

蹴って、脱力、腰のひねりとともに、足を前に押し出し、着地、蹴り、脱力。

 

これを延々と続けるのだ。

 

この結果、ハムの痛みは出なかった。

また前回館山で40kmで出たふくらはぎの痛みもなかったのだ。全然硬くなってもいない。

 

それにしても、10km、20kmはサブ3ペースより1分以上遅れていた。ここで上げたかったが怖かった。せめて落とさないようにと気をつけた。

だが後半になるとペースを落とさないようにするためには実質ペースを上げる感覚で走らないとだめだ。

脚力もスタミナもスピードも落ちているのだからしょうがない。ペースを上げてちょうど、なのだ。だがいつグサッとくるか怖かった。来たらお終い。怖かった。

 

だが、30キロを過ぎて2時間8分とサブ3ペースに戻っていたときは驚き、うれしかった。

上げてちょうどと思っていたのが、本当にペースが上がっていたのだ。うれしかった。やったーと思った。

だがここでぐっと堪えた。

2キロメートル堪えた。

2km堪えて、あと10kmという所で、勝負に出た。

今年最後のレース。

しかも今回は9月の稲毛海浜10マイル、11月の成田POPハーフ、12月の関東10マイル、1月の館山フル。

全部自己新を出している。

2月3月は練習ができなかったが、蓄積はあるし、4月には1日2度の練習、真夜中も走った。

後は悔いのないレース。

あと10km

潰れてもいい。

きっちりそう思った。

ここからは勇気だと思った。

だが脱力を心掛けた。

ここが肝心なところだ。

 

30kmから40kmの10km4146秒でいっている。`410秒でいっているのだ。一番早い。

えらい!えらい!あんたは、えらい!

実際、ここはハードボイルドでいった。次々と無表情に先行ランナーを抜き去り、無慈悲に彼らをあとに残して走り去った。

 

問題のあと2km

ふくらはぎもハムも痛まなかったが、息が上がった。

吸うたびにヒーヒーいい始めた。みっともなかった。

周りからは声援が飛んだが、しかしみっともなかった。

だがどうしようもないのだ。苦しいのだ。

 

さらにバランスも崩れていく。

脱力もできない。

体がぶれ、あごが上がる。胸が突き出、前のめりになる。

時計は怖くて見れない。

だがそれよりもできるだけ、前へ前へと進むことだ。

時計を見ても見なくても、時間の経ち様は同じだ。

それよりも走り切ることだと思った。

 

それでも競技場に入る前一瞬、腕時計を見た。58という数字が見えた。

泣きたくなった。

ゴールはすぐそこだ。

ここで3時間を切れないで終わったら、何のためのこれまでか。

 

そう思うと悲鳴のような声が出てしまった。

みっともなかった。

だが残り全部の力を出した。

完全に腕と足が合っていない。

目の前で腕がひらひら揺れている。

足が後ろに置いていかれている。

もう強引に体を持っていくだけだった。

両肩を降り体を引きずった。

 

ゴール直前ゴールに置いてある大時計を見た。

59という数字が確かにあった。

ゴール後腕時計を見た。

5933秒。

本当か。

 

うしろで、「ここまでがサブ3です。」

とアナウンスがあった。

間違いない。

入った。

3時間以内に入った。ゴールに入り込んだ。

 

ここで、来たんだな、じわっと。

そして涙も出たわな。

 

 

 

こんな時は、体は疲れていない。

そのあとジョッグで普通にダウンもできたし、階段も平気で登れた。

 

もちろん悲しいことはある。

誰もゴールでぼくを待つ人はいない。

このことを話す相手もいない。

お袋にはメールを送ったが、サブ3って何、だもん。

 

昔一緒に走ったことのある子に伝えたかったが、もう卒業して2年経ってるし。

聞いてほしいけどな。

 

 

まあ、親父にはありがとうといった。

結構病床から、がんばれメールをいつも送ってくれたからだ。走っている時もペースが落ちそうになった時には励みになった。

まあ、生徒には嫌がられるが自慢自慢で話を聞いてもらおう。

 

だがあと1回はもっと普通に3時間を切りたい。

今回のはぎりぎりもいいところだ。

 

トクホンダッシュも持たず、ヒーヒーもいわず、ゴールする。でないと本物ではない。

そう思う。

 

とはいえ、ひとつの目標は達成した。

いや、11年越しの夢の実現だ。

 

つぎは、富士山。

富士山だって、足りないのは17秒だけなのだ。

12時に頂上に着けばオーケーなのが、着いたのが1217秒。

それで記録なし。

 

こいつを今度こそぎゃふんといわせてやる。

誰が見ても、考えても、そうだろう。

 

明日から練習開始だ。

 

419日。

走った。

筋肉痛はない。

あれほど心配だった、ハムもどうということはない。

一体あれはなんだったのだろう。

走れる時は全部の器官が完璧に過不足なく動くから、ダメージにもならないのだろう。

不思議なものだ。