マラソン日記 2006.4.1−4.30 4月4日 `4分ほどで、12kmを走った。 ハムストリングスの痛みでず。 これは朗報。 もしかしたらやれるかもしれない。 明日から長いのは怖いので、短いやつ、10kmを連続して走る。 あと10日ある。 足を臨戦体制に持っていく。 4月5日。 午前中雨。 そこで帰ってから夜、1時間走る。 気合が戻ってきた。 毎日走るのだ。 足をその気にさせる。 4月7日。 今日も午前と夜走った。 夜は11時から12時。 真夜中の公園を走る。 誰もいない。 こんな酔狂なことしてる奴はいない。 これまでこんなことした事もない。 あせっているのだ。 走行距離がない。 相変わらずハムストリングスは傷む。 だから長い距離は走れない。 20kmを走るためには、10km、10kmと分けるしかない。 だから真夜中走る。 吉と出るか凶と出るか。 4月9日 30`ジョっグ。 3時間を走った。途中ペースを`4分、5分と変えながら走った。 ハムの痛みはなかった。 何とかやれるような気はするのだ。 だが、走った後に痛みは出る。 霞ヶ浦、雨は降ってほしくない。 日も照ってほしくない。 冷えれば足に来る。 暑くても足に来る。 ぎりぎりで走るのだ。 コンディションは最良のものであってほしい。 4月14日。 午前10km。真夜中10km。 相変わらずハムストリングス痛い。 足を伸ばすとちくりと痛む。 一歩一歩痛む。 怖い。 だが、といって、ダッシュしても、急に止まってもより痛むということはない。 またさっき真夜中、ラスト坂をびくびくでトップスピードで駆け登ったが、痛みは出なかった。 慣れる痛みなのか。 いや、最初慣れても、30km過ぎると一気に出て、刺し込み刺し込みで走れなくなるよなことになるのでは。 不安、不安。 ただ確実にいえることは、この2週間、ほぼ4日で1本、ゼノールぬりまくっているのに、痛みは少しも減っていないということだ。 確かに治ってはいない。 だがそう強く思ってもよくない。 そう思っている限り痛みはなくならないのかもしれない。 直るという思念を送る。 ハムに送る。 霞ヶ浦が今年最後なのだ。 後悔したくない。 勇気を持って、スタートラインに立ち、スタートを切る。 昼と真夜中2回走っているのだ。 半端はやっていない。 4月16日。 2時間59分23秒!! 苦節11年。 ようやく実現できた。 いないだろ今時、11年かける奴。 ゴール直後、泣いたね。 涙、出た。 ゴール後時計見て2の数字が出てるの確かめると、来た来た、じわっと来て、涙が出てきた。 もちろん周りは人だらけ。 すぐに堪えたが、やはり泣けるものなのだ。 5−− 22”38 10−− 21”20 15−− 21”00 20−− 21”17 25−− 21”15 30−− 20”05 35−− 20”41 40−− 21”06 ラスト− 09”09 トータル 2時間59分23秒!! 朝から予感はあった。 まず自然に4時に目が覚めた。だから寝過ごしたかと思った。起きても眠くはなかった。 外へ出ていつもの犬に挨拶すると、いつもはまるで無視する犬がこっちを向いて尻尾を振りながら、明らかに笑顔でほえてくれた。 トイレも順調に終えた。 スタートの位置も、スタートラインから10メートルほど下がっただけの所で、スタート直後も問題なく普通に走れた。普通に走れるまで15分以上かかり、その間、右に出たり左に回ったり、止まったり、スピードアップしたりの荒川とは大違いだった。 さらに雨が降りそうで降らなかった。 降っても熱くなった体を覚ましてくれる感じで、ありがたかった。 さらに風がなかった。 日差しも強くなかった。 気温、6,6℃、湿度78%、北東の風1.5m。とあるが、これが僕のベストコンディションなのだろうか。 とにかく今回は右のハムストリングスが問題だった。だから今回は初めての試み、トクホンダッシュを持って走った(まだこのネーミングだったのだ)。 結局1本使い切った。最初からずっとハムには吹き付けていた。ほかのところも痛みが出始めたらすぐにシュッとした。 それがよかったのか、足は最後までもった。 だが今回はっきりとわかったことがあった。 走りの奥義とでも言えることかもしれない(ふふふ)。 つまり足に負担をかけないで走るために必要なことは、コンパクトは動きとバランス、そして脱力ということなのだ。 まず、地面を親指で蹴った後、すぐに脱力することを心がけた。そして、足が後ろに自然に流れ回転し前に向かうときに力を入れる。足が回転しているときの半分は流す感じで走ってみたのだ。 だからバランスが大事になる。体の中心線をまっすぐにし、重心が揺れないようにしないと、脱力の後の足がきれいに前へ戻っていかない。また動きをコンパクトにしないと、体がぶれる。 蹴った後、脱力。 足が戻ったら力を入れる。 蹴って、脱力、腰のひねりとともに、足を前に押し出し、着地、蹴り、脱力。 これを延々と続けるのだ。 この結果、ハムの痛みは出なかった。 また前回館山で40kmで出たふくらはぎの痛みもなかったのだ。全然硬くなってもいない。 それにしても、10km、20kmはサブ3ペースより1分以上遅れていた。ここで上げたかったが怖かった。せめて落とさないようにと気をつけた。 だが後半になるとペースを落とさないようにするためには実質ペースを上げる感覚で走らないとだめだ。 脚力もスタミナもスピードも落ちているのだからしょうがない。ペースを上げてちょうど、なのだ。だがいつグサッとくるか怖かった。来たらお終い。怖かった。 だが、30キロを過ぎて2時間8分とサブ3ペースに戻っていたときは驚き、うれしかった。 上げてちょうどと思っていたのが、本当にペースが上がっていたのだ。うれしかった。やったーと思った。 だがここでぐっと堪えた。 2キロメートル堪えた。 2km堪えて、あと10kmという所で、勝負に出た。 今年最後のレース。 しかも今回は9月の稲毛海浜10マイル、11月の成田POPハーフ、12月の関東10マイル、1月の館山フル。 全部自己新を出している。 2月3月は練習ができなかったが、蓄積はあるし、4月には1日2度の練習、真夜中も走った。 後は悔いのないレース。 あと10km。 潰れてもいい。 きっちりそう思った。 ここからは勇気だと思った。 だが脱力を心掛けた。 ここが肝心なところだ。 30kmから40kmの10kmは41分46秒でいっている。`4分10秒でいっているのだ。一番早い。 えらい!えらい!あんたは、えらい! 実際、ここはハードボイルドでいった。次々と無表情に先行ランナーを抜き去り、無慈悲に彼らをあとに残して走り去った。 問題のあと2km。 ふくらはぎもハムも痛まなかったが、息が上がった。 吸うたびにヒーヒーいい始めた。みっともなかった。 周りからは声援が飛んだが、しかしみっともなかった。 だがどうしようもないのだ。苦しいのだ。 さらにバランスも崩れていく。 脱力もできない。 体がぶれ、あごが上がる。胸が突き出、前のめりになる。 時計は怖くて見れない。 だがそれよりもできるだけ、前へ前へと進むことだ。 時計を見ても見なくても、時間の経ち様は同じだ。 それよりも走り切ることだと思った。 それでも競技場に入る前一瞬、腕時計を見た。58という数字が見えた。 泣きたくなった。 ゴールはすぐそこだ。 ここで3時間を切れないで終わったら、何のためのこれまでか。 そう思うと悲鳴のような声が出てしまった。 みっともなかった。 だが残り全部の力を出した。 完全に腕と足が合っていない。 目の前で腕がひらひら揺れている。 足が後ろに置いていかれている。 もう強引に体を持っていくだけだった。 両肩を降り体を引きずった。 ゴール直前ゴールに置いてある大時計を見た。 59という数字が確かにあった。 ゴール後腕時計を見た。 59分33秒。 本当か。 うしろで、「ここまでがサブ3です。」 とアナウンスがあった。 間違いない。 入った。 3時間以内に入った。ゴールに入り込んだ。 ここで、来たんだな、じわっと。 そして涙も出たわな。 こんな時は、体は疲れていない。 そのあとジョッグで普通にダウンもできたし、階段も平気で登れた。 もちろん悲しいことはある。 誰もゴールでぼくを待つ人はいない。 このことを話す相手もいない。 お袋にはメールを送ったが、サブ3って何、だもん。 昔一緒に走ったことのある子に伝えたかったが、もう卒業して2年経ってるし。 聞いてほしいけどな。 まあ、親父にはありがとうといった。 結構病床から、がんばれメールをいつも送ってくれたからだ。走っている時もペースが落ちそうになった時には励みになった。 まあ、生徒には嫌がられるが自慢自慢で話を聞いてもらおう。 だがあと1回はもっと普通に3時間を切りたい。 今回のはぎりぎりもいいところだ。 トクホンダッシュも持たず、ヒーヒーもいわず、ゴールする。でないと本物ではない。 そう思う。 とはいえ、ひとつの目標は達成した。 いや、11年越しの夢の実現だ。 つぎは、富士山。 富士山だって、足りないのは1分7秒だけなのだ。 12時に頂上に着けばオーケーなのが、着いたのが12時1分7秒。 それで記録なし。 こいつを今度こそぎゃふんといわせてやる。 誰が見ても、考えても、そうだろう。 明日から練習開始だ。 4月19日。 走った。 筋肉痛はない。 あれほど心配だった、ハムもどうということはない。 一体あれはなんだったのだろう。 走れる時は全部の器官が完璧に過不足なく動くから、ダメージにもならないのだろう。 不思議なものだ。 |