マラソン日記  2006.3.1−30

黄色い宇宙の種の年太陽の月2日。

3月8日

 

疲れた。

10時半に走りに出るつもりだったが、なんか出そびれた。

いい天気なのに。

眠い。

 

結局2月走行距離は203km。

親父の看病で走れなかった。通夜葬式、告別式と忙しく、時間が取れなかった。とはいえ、通夜の日の午前中は走った。

 

こんないい日に、死んでいく人もいる。

 

そう思いながら走った。

 

今月もまだ30kmしか走っていない。8日だから80km、50km足りない。

これを上げていく。

19日が荒川だ。

日曜日には少しきつめで30kmを走る。

体を走りモードに戻さないとダメだ。

2月は休養の月と考える。

これから上げていく。

今日はもういい。

無理して出て、気持ちすり減らすより、今日はサボって、明日その分プラスしよう。

やっぱ疲れているのだ。

 

黄色い宇宙の種の年太陽の月6日。

3月12日。

 

困った。疲れている。

2月に父親の看病で10日間全く走れなかったこと、夜も眠れなかったこと、

平常に戻ったのが、今週の月曜日からということ。

全然体の切れが悪い。

重い。走っていてもすぐ息が上がる。

五体のバランスが滅茶苦茶。

重い。

 

どうする。

このまま19日の荒川にでるか。

それとも、1週間余裕を持って、佐倉を目指すか。

 

キツイ。

荒川の方が記録は出やすい。ペースメーカーもつくし、フラットだ。

佐倉はコースが曲がるし、坂もある。特にラスト2キロ、ゴールを見ながら遠ざかっていくのがしんどい。

さらに、競技場に入る直前の坂がまたキツイ。

まともなコースではないのだ。

 

佐倉でサブ3はつらい。

といって、このままでは荒川で走り切る自信もない。

 

これはどうだ。

荒川は走る。

だが30km地点でダメだと見切れたら、あとは佐倉の為の練習に切り替える。

あっという間に切り替える。

佐倉に支障のないよう切り替える。

佐倉への練習へと切り替える。

 

これでどうだ。

いいのではないか。

とりあえず狙う。荒川で狙う。本気で狙う。

だが30km地点で、だめなら荒川は翌週の佐倉へのトレに切り替える。

ビシッと切り替える。

 

これでどうだ。

いいはずだ。

いいはずだろう。

 

3月12日

 

3時間、森をフリーラン。

3時間の中で、`6分ジョッグ.`4分レースペース.。

00m×10.50mダッシュ、坂上り、階段上り、と続け、ラスト30分は`4分ペースで締めた。

 

かなり走れた。

最初は体が重く、切れもなく、呼吸も苦しかったが、後半動くようになった.

悪くはないと思う.

またダンベルで上半身を鍛えている.

体の切れが悪いのは、看病中の睡眠不足と、じっと部屋にこもっていたからだ。だからここで体に活を入れなければならない。5kgのダンベルを筋肉痛で腕が上がらなくなるほど、繰り返す.

緊急だ、しょうがない。

 

 

3月15日.

 

とはいえ、やっぱ、辛い.重い.

と言って佐倉というのも怖い.

佐倉はコースが悪いのだ.

サブ3を狙うなら、1週間早くても、荒川だろう.

後がないと集中すれば、道も開かれるはずだ.

 

3月19日

 

荒川マラソン.

2月からの3週間のブランクはやはり痛かった.

全然走れなかった.

3時間19分.

 

まず折り返しは、1時間33分.

このうちの2分はスタートしてから6kmは人が多過ぎ、全く身動きできなかった為.

大体全く遅い女子がうじゃうじゃいて、さらに1000番以内のゼッケンなのにやたら遅い男子もうじゃうじゃいて、どうにも前に出られない.`5分を超えたのだ.

 

これはどうにかして欲しい.

おかしいだろう、大体が.

 

イライラした.

だがしょうがないのだ.こればかしは。

後半上げるつもりであえて押さえて走っている、と考えた結果の走りだと思おうとした.

 

だが問題は後半だった.

折り返しから風が向かい風になるのは分っていたが、今回はちょっと限度を超えていた.

風が吹きまくるのだ.

それがずっと続く.(この風で総武線も京葉線も都内の各電車も止まった。冗談じゃないぜ。)

 

風は止まらない.

一気に足にきた.

3週間のブランクだ.

動かない.痛い。

いつもは痛まない、右足の付け根の前。

ここが痛んだ。

足が前に出ない。

これは決定的だった。

このまま痛んだら来週に支障が出る。

 

で、33kmでやめた.諦めた.

止まった.あっさりと止まった。来週のためだ!

ストレッチ.

じっくりやった.5分、6分、7分……

 

ここで疲れを残したくなかったからだ.

来週は佐倉.

佐倉があるのだ.

佐倉で狙う。

サブ3を狙う。

 

そう思った。

無理はしたくなかった。

それでそこからは無理せず、ちょこちょこ走った。

どんどん抜かれていく。

だが実際しょうがない。

足が痛むし重い。

 

あと5km。

表示が出た。

 

ここで、ぐわっと、気持ちが起きた。

いくらなんでも、こんなちょこちょこ走っているのも、腹立たしい。みっともない。

みんな殆ど歩いているに等しい速度。その中に一緒になって走っている。これは屈辱。

俺はあんたらとは格が違うんだ。

3時間46秒の記録持ってんだ。

冗談じゃねぇ!

 

という、嫌らしい心根が出て、一気にスパート。

 

ここからは1秒に2,3人を追い抜きながら、ゴール。

怒涛のゴボウ抜きだった。

 

だったらもっと他の走り方があっただろうが、という気もしたし、俺ってやっぱやな奴だなという気も十分したが、最後の5kmはきちっと走れた。

 

これはこれで、走りということだけから見れば、良かった。

さて問題は来週の佐倉だ。

足は痛い。重い。

今回はいつもより入念に走ったあとのクールダウンをしっかりした。

だがあと1週間どうもって行けばいいのか。

分らない。

 

そりゃそうだろ、中1週間でフルを走るなんて、そうはないはずだ。

この1週間どうすごすのか。

とりあえず今日は、風呂でマッサージ、そのあと、ゼノーツ塗りまくりしかないだろう。

だがその後は。

不安。

 

黄色い宇宙の種の年太陽の月16日。

3月22日。

 

これは難しい。

足は重い。階段を普通に登れない。

当たり前だ。3日前にフルを走ったのだから。だがそれを元に戻さなければならないのだ。

月、火、水と走っていない。

代わりに風呂でマッサージ。風呂は最近入っていない。ずっとシャワーだ。

それを止めて風呂に入り、マッサージして、ゼノ-ル。

 

とにかく疲労回復を図る。

筋肉を元に戻す。その為には走ったりせず、筋肉を休ませ、ほぐす。

あと木、金、土。

これからはストレッチとジョッグ。

一体中1週間でフルなど走れるのだろうか。

それも自己ベスト狙いで。

 

黄色い宇宙の種の年太陽の月17日

3月23日

 

雨。

ストレッチのみ。

 

日曜日。走れるのか。

足は重い。

階段を登れば分かる。

すっと登れないのだ。足の疲れが階段を登り終えたあとも、しばらく残る。

果たしてこれで日曜フル走れるのか。

 

切れた筋肉が再生していくイメージを。

さらに再生した筋肉が強化されていくイメージを。

 

黄色い宇宙の種の年太陽の月19日

3月25日。

 

ダメ。

右足裏、ハムストリングスというところか。痛い。差し込む。歩いていて痛い。

 

4年前、成田ハーフで痛めた所。

鋭利な幅広の刃物をすっと肉に差し込まれ、そのまま何回も刃物を前後に動かし続ける。肉が裂かれ続ける。

 

左足一本で走った。

その時痛めた所だ。

そこが痛い。

この1週間じっとして、じっとして、痛みが引くのを待った。

だがダメ。

 

痛い。

ここは、冷静に、待つ。この痛みが引くのを待つ。

そして、あとは、来月16日、霞ケ浦に賭ける。

 

だいたい中6日で、連続してフルを走るというのが無謀。

ここは当たり前の線を押していく。

霞ケ浦の前にきちっと300km以上を走る。

 

だから明日は、LSDの3時間をしっかり走る。

そうでなければ佐倉棄権の意味がなくなる。

 

ホントにむずかしい。

素人がフルで3時間を切るというのは実に微妙で、むずかしい。

 

黄色い宇宙の種の年太陽の月

3月26日。

 

やはり痛む。

これはしょうがない。

 

それにしても、体重が増えている。60s。

食っているのだ。

満腹にならないと気がすまない。

ストレスを解消しているのだろう。

食って飲んで。

 

気持ちが晴れていないのだ。

 

黄色い宇宙の種の年太陽の月

3月31日

 

右足裏、ハムストリングス.

ちくちくと痛む.

痛みが定着した感じだ.

 

霞ケ浦.ゼッケン、届いた.

これからだ.

クールに対処する.