マラソン日記 2005.7.1−31 7月10日。 父親の見舞いで練習時間がとれない。 173段階段走も一度は時間として2時間やり続けたかったのだが、できるとすれば来週の日曜日。しかし富士登山競争本番5日前。 疲れが残るだけだ。 結局十分なトレーニングなしで臨む事になる。 しょうがない。 夜寝る前にスクワットを600回、800回、1000回、とやっているが、それも3回だけだ。 これを書いた後やればいいのだろうが、その気が起きない。 暑いのだ。 暑いからやらないというのがそもそも既に負けているが、うだるような暑さで、プラス眠い。頭が痛い。 だから、書いたら寝る。 父の体の回復はもう無理だとしても、幸福な晩年を頂上の神社で祈願することを目指しての走りにしたい。 体重が減らない。62,5前後。 食べてないぞ。 夜など、そばに、さんまの缶詰、豆腐。それだけ。 でも知らなかったのだ。体重はたくさん食べるから増えるのではないらしい。摂取カロリーが消費カロリーより多ければ増えていくのだそうだ。 食べてなくても高カロリーの日本酒を飲んでいれば体重は増えていく。 知らなかった。 これはしょうがないな。 酒は減らせない。 体重もこのままだろう。 しょうがない。 青い水晶の嵐の年宇宙の月19日 7月15日。 体重が61.8sになった。 走ったあとは60s代になる。 減っている。 そりゃそうだろう。 朝は玄米、夜はそばだ。 あとはにんじん、カブの浅漬け。 ジャガイモを電子レンジでチンしてマヨネーズ。 さんまといわしの缶詰。 これしか食べていないのだ。 そろそろ減ってもいい頃だろう。 酒だって控えている。 ちょっと体が締まって、いい感じになったような気がする。 それにしても結局今年も満足な練習はできなかった。 去年より階段でのトレーニングは早めに始めたが、回数が今ひとつだった。 とはいえ今日階段×10をやったが、先月よりかかなり簡単に登れた。 太ももの張りが減り、最後のブロックも最初と同じ調子で登れた。 それなりに進化はしているのだろう。しかし絶対量が足りない。 淡々と走るしかないだろう。 ただ前半、ロード部から飛ばしていこう。 頂上を目指すのではなく、八合目を目指す。 でないと頂上へは進めないのだ。 話にならない。 とにかく八合目に時間内にたどり着く。 あとは運だ。 頂上から親父に携帯で電話をする。 これだ。 富士山からの眺めを話してやる。 青い水晶の嵐の年宇宙の月22日。 7月18日 ここに来て体重が落ちてきている。 日曜日は炎天下3時間の練習の後、瞬間最小体重が59.8sになった。 今日だって、朝うんこを出し切ったあとの体重は60.6s。 さっきだって60.7だ。 当初の目的の60s代が達成されつつある。 といって要するに食べていないのだ。だからこれがスタミナ減に繋がっていればマイナスだ。 だが、玄米とろろ卵納豆メカブ煮干胡麻ご飯は続けている。 江戸時代の飛脚は玄米のおにぎりで江戸大坂間を突っ走ったという。 何も肉を食わなくてもスタミナは玄米でつくのだ。 となれば間違ってはいないはずだ。 でも今日はえらく疲れた。足も体も重い重い。 昨日の炎天下の練習が筋肉にかなりのダメージを負わせたのだ。 ということで考えられる今できる処置として、つまり今有効だと思われる安く手に入れられるサプリメントを考え、ブドウ糖、もろみ酢を買った。300円と、800円。 緊急の疲労回復にはいいはずだ。 これを今日から4日間、摂る。 期待などせず、淡々と走る。 8合目勝負で走る。 青い水晶の嵐の年宇宙の月23日。 7月19日 膝が重い。腰が重い。いや腰は痛い。 それで今日は練習休み。 となると明日は横浜に行かなくてはならないから明日も休み。 あさっては午前中に仕事に出なくてはならないからこれも休み。 となると練習は3日連続でのお休み。 まぁしょうがない。 ストレッチだけはしておく。 筋肉をほぐす。 関節を柔らかくする。 それしかできない。 しょうがないわな。 富士吉田市役所 7:30 中ノ茶屋 8:10 馬返し 8:30 五合目・佐藤小屋 9:35 六合目・救護所 10:00 七合目・富士一館 10:30 鳥居荘−東洋館−太子館−蓬莱間 白雲荘−烏帽子岩霊場 八合目・富士山ホテル 11:25 頂上 12:00 こんな感じか。 青い水晶の嵐の年宇宙の月24日。 7月20日。 頂上から親父に電話すると約束した。 とにかく八合目勝負だ。 八合目をクリアーできればあと30分ちょっとふんばればいいだけだ。 七合目からは鳥居荘、東洋館、太子館、蓬莱館、白雲荘、烏帽子岩霊場、富士山ホテルを目印に登る。 登るのだ。 青い水晶の嵐の年宇宙の月26日。 7月22日。 富士登山競走。 八合目でアウト。 中ノ茶屋 8:10 ⇒ 8:07 馬返し 8:30 ⇒ 8:39 五合目・佐藤小屋 9:35 ⇒ 9:57 六合目・救護所 10:00 七合目・富士一館 10:30 鳥居荘−東洋館−太子館−蓬莱間 白雲荘−烏帽子岩霊場 八合目・富士山ホテル 11:25 12:03 中ノ茶屋まではよかった。 アスファルトの道、淡々と走った。予定よりも3分早かった。ぐんぐん抜いていった。過去5回にはなかったことだ。 結局それがオーバーペースだった。 それにそもそもだらだら坂は苦手だったのだ。それがよくわかった。 心に来るのだ。じわじわと太腿とふくらはぎの張りが筋肉の芯に浸透しやがて神経が麻痺し足が棒になる。するとそれがすぐ気持ちに反応する。気力が萎えてしまう。堪えが効かない。心がポキッと折れるのだ。やっちまうな、と思った2,3分後ふあっと立ち止ってしまう。うずくまってしまう。あっという間だ。 そして心の中では言い訳がぐるぐると駆け巡る。 「だいたい大会参加は考えてみればなんと1年ぶりだ。 去年から仕事が忙しくて練習も満足にできていない。 それに6月からはオヤジの調子が良くなく、さらに練習の時間が取れなくなった。さらにさらに富士登山競走はフルともハーフとも10kmとも違う。 実に特殊なレースだ。 特別なトレーニングが必要になる。 そして今回練習の時間が絶対的に不足した。 これでまっとうなレースができるはずがない。…………」 中ノ茶屋から馬返しは完璧に歩いた。ふて腐れて歩いた。 どうせ俺は負け犬。 実際そうだ。 仕事だって、私生活だって、負けてばかしだ。 今日だってこんなレース、俺にふさわしい。 五合目で予定を20分オーバー。 この時点で頂上はもちろん、八合目も無理とわかった。 五合目で帰ろうと決めた。水を何杯も飲み、座り込んだ。足がほあっと楽になった。腰を伸ばした。ほっとする。 五合目からはすっと帰れるだろう。八合目や頂上からの下山道とは違う。舗装道路だ。バスも来ているだろう。バッグも届いているはずだ。 帰りは新宿かどっかで飲もう。昼間から飲むのだ。ふて腐れて飲んだくれるのだ。 帰ろうとした。 実際5,6メートルそっちの道を歩いた。 帰る人もいたが、迷わず登っていく人もいる。 すっと体が登山道に続く階段に向かった。 行ける所まで行こうと走っていた。 風が冷たく心地良かった。 陽の光は強かったが、冷たい風がえらく気持ち良かった。 火山灰のずぶずぶ足が沈むコースもそれほど苦にならなかった。 わりと平気にイーブンペースで上がっていく。 急な岩場も足でグイグイ押していける。 五合目で休んだからか。 それともだらだら坂よりも階段状の坂が合っているのか。 抜いていく。 足はいい調子なのだ。 七合目に着いた。 ここに下山道がある。 八合目に向かってもあと5分で八合目、関門制限の時刻になる。 八合目にも下山道があるが、八合目まではここから1時間はかかる。 あと5分で関門は締め切られる。ならここで降りたっていい。登る理由はないのだ。ここまででいいだろう。 その時自分でもおっと思うほどいい響きの手が鳴った。 両手を叩くぱちんという音とともにぼくの体が登っていった。 さすがに七合目から八合目は急な岩場の連続。チェーンを使い、四つん這いになり、それでもイーブンペースで進めた。 どんどん抜いていく。それなりに力ある走りになっているのだ。 五合目と七合目でやめようと思い、しかしそれを意志の力ではなく、むしろ体の思いで乗り越えることができた。 それが嬉しかった。 ある意味体はまだめげていないのだ。 負けてはいない。 体に任せておけばいいのだ。頭の思いが問題を悪くする。要はどう体の思いを知るかということだ。 それが大事なことだ。 今日は今日なりにいい走りだったと思う。 この5年間気がつかなかったが、八合目に烏帽子岩神社という神社があった。 そこでオヤジの長寿を祈願した。 そんなことができたのも、良かった。 写メールで親父に送った。 御礼のメールが来た。 青い水晶の嵐の年時間をはずした日 7月25日。 昨日走った。 金曜日富士山、土曜日は地震で電車で9時間かけて実家へ。それで走れず。 日曜日帰って夜走った。 筋肉痛なし。 膝の痛みも腰の痛みもない。むしろ平坦な道なのでいつもより速いペースで走れる。腿の上がりもストライドも地面の蹴りも力強い。 いつも思うのだ。 だったら本番でもっと走れないのかと。 いつも気持ちなのだ。 体は大丈夫なのだが先に心が折れる。 情けないことだ。 本当に情けない。 これは一体どうすればいい。どうすればいいのだ。 |