マラソン日記       2005.11.1−30

黄色い宇宙の種の年自己存在の月20日

11月6日

 

ふふふ.

ふふふふふふ.

やったね、やったね.

やりすぎたね.

自己ベスト.

 

2001年.         1時間27分.

2003年. 1時間26分48秒.

2005年. 1時間23分19秒.

 

19分30秒. 19分27秒. 19分51秒. 20分8秒. 4分23秒.

 

5`のラップだ.

 

さすがに後半落ちた.

後半怖かったのだ.2年前も4年前も、右太腿裏がつった.というより肉離れ。

右足が使えなくなった.片足ぴょんぴょん飛びながらのゴールだった.

 

今回もその兆候はあった.

もともとハーフはスピード勝負のレースだ.

フルと違ってすっ飛ばしてどこまでもつかだ.

 

そういう練習はふだんなかなかできない。

テンション最高にまで上げないとダメだからだ.普段そういう練習はよほどの

根性据えてない限りできない.

となると本番一発、の勝負になる.

となると普段使っていない筋肉総動員になり、筋肉びっくりしてつったり、肉離れになったりする.

 

今回は1週間前に、かなり追い込んだ走りをしたことと、2ヶ月連続300kmを達成したことで、堪えきることができた.

 

とはいえ、ラスト5km、一気にスパートすることはできなかった.ただひたすらバランス、バランスを考えての走りだった.

少しでもバランスが崩れ、両足、両腕、腰、背中、かかる負荷のバランスが崩れたら、その崩れが右足太腿裏に集中し、出る.そしてつる。あるいは肉離れ.

そこでとにかく慎重に慎重にのラスト5kmだった.

 

とはいえ、3分以上縮めているのだ.

4年前に戻った.

4年若返った.

50歳代で5位だ.総合でも50位以内だろう.

また賞状をもらった.今度は小さな楯ももらった. うふ.

 

今年これではフルにも期待できるのではないか.

だがそのためには今度のつくば行く前に、30kmの本気走.あるいは4時間のLSDが必要だろう.

というか、来週の日曜日に30km本気走、次の日曜に4時間LSD.

23日の勤労感謝の日で完全休養.

これが最低限の練習ではないか.

 

やろう.

黄色い宇宙の種の年倍音の月2日

11月16日.

 

今月も現在172km.このままいけば月間300km達成は堅い.

27日のつくばは3時間5分前後を狙いたい.

いきなり自己ベストはないだろう.

3月の佐倉、荒川、で狙う.

,10,11、と確実に月300kmを走りこみ、12月は忙しいのでやや落とし、1月でまた300kmを回復し、館山でまた5分以内.そして3月、佐倉か、荒川で3時間を切る.

こんな感じだ.

 

黄色い宇宙の種の年倍音の月6日.

11月20日.

 

13日の日曜日は昭和の森での千葉県中学駅伝を見ながらの4時間走.

所々並走した。

真剣なまなざしで走る顔は男の子も女の子も美しかった.

今日も九十九里への4時間走.

ゆっくりと走った.

6日の成田ハーフのあと、やはり右太腿裏が痛み、そこで27日の筑波が大丈夫かどうかを計るため、ゆっくり4時間を走ってみた。これで痛みが出ればア筑波は棄権.でなければ出場、そしていいトレーニングになる.

結果、痛みは出なかった.

むしろ足が軽くなった.

月、火、水と休み、木金10kmジョッグ、土で1km、4分を5本で、活を入れる.

 

こんな感じか.

 

黄色い宇宙の種の年倍音の月11日

11月25日.

それなりにいい調子で来ていたと思っていたが、風邪.

のどが痛い.

しかも喉に痰.

声が出ない.

痰を出そうとして、痰が喉に詰まっていきなり5秒ほど呼吸困難に.

あせった.

お正月お持ちを喉に詰まらせて死んでしまうお年寄りが分かった.

これはやばい.

死にきれんだろ.

 

熱はないが、今も体がだるい.

何とか治し、スターとラインに立ちたい.

今季最初のフルマラソン.

 

黄色い宇宙の種の年倍音の月12日

11月26日

 

最低.

最悪.

悪寒、震えている.

最低!

 

 

黄色い宇宙の種の年倍音の月13日

11月27日.

 

それでも5時に目が覚めた.体はやる気なのだ.

といってそのとたんに悪寒とせき.痰がからむ.

あきらめた.ここでがんばるのは、違う.

寝ようと思った.それが正しい.

からだもまだだるい.

 

 

8時ごろ起きた.

これでもうどうにもならない.

 

寒い.

そこで酒をレンジで熱燗にして2合ほど飲んだ.

そして、寝た.

 

11時ごろ目が覚めた.

また酒を飲んで、寝た.

 

 

1時ごろ起きた.

だいぶいい感じになっていた.

起きた.

熱いうどんを食った.

これでだいぶ元に戻った.

そこでもう一度酒を飲んで寝ることにした.

これで完治だろうと思った.

ところが寝られない.

外はいい天気だ.カーテンの下の木洩れ日が暖かい.

何となくストレッチや屈伸運動をしてみる.

軽いのだ.

嬉しい.

背中が広々と伸びていて気持ちがいい.

 

ところで、問題が起きていたのだ.

月間300km、3ヶ月の件だ.

9月10月と達成していて、現在、238km.

今日42.195km走って、アップとダウンとて、50km.

たして288km.そのあと12キロ、残り3日でどうとでもなる.

と思っていた.

それが50kmが無くなったのだ.

それが頭にあった.

いくか.

ということで、でた.

 

やっぱり軽いのだ.とはいえこれでだからレースに出てもよかったのでは、とは思わなかった.昨日は家から駅までの10分間ふらふら歩いていたのだから.

 

ゆっくりとバランスをとって、体をほぐしながら走る.

暖かな日のもとで、ほぐれて、とけて、ゆるゆると心地いい.

2時間走った.

22kmとした.

これであと40kmとなった.

 

帰って快気祝いのビールと刺身.

もともと今日は筑波までの電車賃だのなんので5000円出費は覚悟していたので、いつもは閉店間近の半額セールでしか買わない刺身をそのままの値段で買って、5時から晩飯にした.

 

 

ところが10時過ぎてまた気がついたのだ.

あと40km.

残りは3日.

となればあと13,13,14km.これがぎりぎりの線となる.

けっこうキツイ.平日なのだ.

 

 

そこでけっこう酒も入っていたのだが、いくことにした.

10kmコース.

 

10時半、家を出た.

実は一つ気になっていたことがあった.

高橋尚子の家だ.

おととい生徒から情報が入った.生徒の友だちの家に高橋尚子が入っていると言うのだ.地図を書いてもらった.

それ以前にも情報が入っていて地図を書いてもらっていたのだが、地図をかくのが下手な子で、まるで分からなかった.

だがそいつはきちっと方向も距離もかけていてほぼピンポイントで分かった.

それを確かめにも行きたかったのだ.

 

実は昼間にも行ってみた.

そして確かにあった.

だが人気なまるでなく、たぶんここはとりあえずの場所で、普段はボルダ−か

エアロビクスセンターに泊まっているのだろうと思っていたのだ.

だがまぁもう一度夜見に行くのも、それはそれで野次馬としては正しい行動だろうと思い行ってみた.

 

部屋には電気がついていて、カーテンの向こうで一瞬人影が動いた.というわけでもなかったが、人は住んでいたのだ.

 

まあいつも走っている10kmコースの途中なのだ.

会えるかもしれない.

会ってどうなるというわけでもないが、世界の高橋だ.励みにはなる.

 

何も咲かない寒い日は

 

          下へ下へと根を伸ばせ

 

やがて大きな花が咲く

 

これは2000年3月の言葉だ.時計が止まる3年前だ.

ただ者ではない.

大したもんだ.