マラソン日記   2003.7.1−7.31

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月5日.

7月1日.

 

雨中.

173階段×10.

このままこのまま.

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月7日.

7月3日.

 

173階段×11

このままこのまま.

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月8日.

7月4日.

 

173階段×5

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月9日.

7月5日.

 

173階段×10

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月10日.

7月6日.

 

173階段×25

 

2週間前、3回から始めて今日25回.

見事な進化だ.しかも最後はダッシュで駆け上った.

オーケー.

来週からは面談で時間が食われる.早寝早起きで時間を作ろう.

でないとせっかく慣れ始めたトレーニングが無駄になる.

 

瞬間最低体重  59.6Km.

トレーニング後の汗を出し切った空腹時では60Kgを割る.

だが食事をするとまた61sを越す.

あと少し.

常時60キロを割るように.

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月12日。

7月8日。

 

173階段×10

面談で忙しい。

だから早く起き、走る。寝る時間を削る。

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月13日。

7月9日。

 

173階段×10

疲れる。

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月14日。

 

173階段×10

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月16日。

 

173階段×10

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月17日。

 

173階段×25!

 

二度目の25回。日が照っていたらアウトだったろう。雨が降ってくれればと思ったが小雨。良かった。

1回が3分だから25回だと1時間15分。

これは回数的にうんざりする。

15回を越えると足は慣れるので、あとはどれだけ淡々と続けていくかになる。

 

来週も25回をやる。

これでどうなのだろう。どれほどの練習になっているのか。

去年はスクワット、スクワットと騒いでいたが、今年は階段だ。

確かに最後の階段のブロックでは足が棒。登り終えたらかくかくになっている。それなりに負荷は与えているつもりだ。だがどう考えても富士山の場合は、本番と同じ負荷を練習ではかけられない。山と平地の違いもある。本番は練習の2倍、3倍は辛いのだ。どれだけ練習をしても安心はできないし、それにだいたいそれほどの練習をしているわけでもない。

 

だが今回はできる練習はやっているつもりだ。

ほぼ毎日階段に向かっている。雨の日も風の日も、面談がある日は早寝早起きをして時間を作っている。

とりあえずはここまではこれでオーケーとしよう。

だがあと10日。

×10を×15にする事は必要だろう。

そして来週は×30.これで行こう。

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月19日。

7月15日。

 

173階段×10

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月20日。

173階段×10

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月21日。

 

173階段×10

 

やってるぜ。

ほんとに良くやってるゼ。

で、どんな結果出るのだろう。

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月22日。

7月18日。

 

173階段×10

 

最後の1ブロックの疲れは以前と変わりない。

膝が上がらず、登ったあとは足はカクカク。

ということは慣れてない。進歩してない。

 

疲れているのか。

もうあと1週間。

このまま行くしかない。

日曜日は30回を目指す。

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月23日。

 

173階段×10

続いてるだろ-が。

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月24日。

7月20日。

 

173階段×25回。

疲れてる。

階段登りほぼ1ヶ月続けているが、足が慣れるということがない。

前と同じように足が棒状態。

これは疲れを抜かなければならない。今日はそれでも25回やったのだから、明日から3日間は休もう。

 

今日は富士登山競争の準備をした。

とくにかわりはない。いつものフルと同じだ。ただ今回は山頂から両親に写メールをしたい。

できれば五合目、6合目と送りたいが、時間との勝負、それはできない。せめて頂上からライブで送りたいのだ。

 

予定ラップ。

 

中の茶屋         8時10分。

馬返し           8時半。

五合目           9時半。

六合目、佐藤小屋    10時。

七合目、東洋館     10時半。

八合目          11時15分。    

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月26日。

7月22日。

 

まずい。

普通に普通の階段を登るだけで、膝の重さが感じられる。

疲れが溜まっている証拠だ。

月曜日、火曜日、水曜日、木曜日。幾らなんでも4日休めば抜けるだろう。

いまさら鍛えてもしょうがない。

全部休んでやる。

 

今年こそけじめつけてやる。

 

赤い惑星の月の年 宇宙の月13月4日。

7月24日。

 

いよいよだ。

既に、緊張している!

赤い惑星の月の年 時間をはずした日。

7月25日。

 

富士登山競走。

 

 

中の茶屋         8時10分。    ⇒   8時9分。

馬返し           8時半。      ⇒  8時36分。

五合目           9時半。      ⇒  9時39分

六合目、佐藤小屋    10時。       ⇒

七合目、東洋館     10時半。      ⇒

八合目          11時15分。    ⇒  11時27分。

頂上            11時59分。   ⇒  12時1分7秒。

 

8時出発 3時30分富士吉田市役所着。

 

さすがに長い。だが今回は写メールで親に東京だの、三鷹だの、立川、高尾、大月、富士急行線沿線、市役所、宿、富士山と送りまくったので、けっこう忙しかった。こんなのもあっていいはずだ。

 

4月に申し込んでいたので、宿は市役所近くと思っていたが、歩けば30分。

遠い。結局朝は車で送ってはくれたのだが、早めの申し込みにはそれなりのメリットがあっていいはずだ。

 

女将さんはいい人だった。

「今日は会社どうしたの?休んだのね。好きなのね走るのが。あんなてっぺんまで走るのがどこがいんだろね。まっしっかり食べなさい。ご飯たくさん炊いてあるからね。」

 

みんなニコニコして聞いている。たいていこんなとき話し好きの人がいて、対応するのだが、みんな静かにニコニコしているだけ。ちょっとあせるが、別に女将さん気にする風でもなく、バタバタ動き回るのでホッとする。

 

夜はいつも眠れない。

勉強合宿でも最後まで起きている。人のいびきや、遠くの波の音を最後まで聞いている。今回も国道沿いなので、どうせ眠れないと思っていたが、相部屋の2人はこれまた静かな人たちでいびきもかかず、ホッとした。

だが車の音に耳栓をし、今回こそはと思ったが、やはり気が高ぶっていたのか、寝たのは起きる3時45分の1時間前。

 

3時45分起床。

5時食事だからこれくらいだろうと思ったが、誰も起きていない。ぼくの場合はとにかくうんこだ。こいつをしっかり出さないとレース中でとなるとアウト、命取りだ。早く起きて、一番遅くまで宿にいて出す。これが作戦なのだ。

シャワーを浴びたり、ジョッグしたり、ストレッチしたりとうんこの出を良くする。

富士山は見えなかった。薄曇りの中、あるべき場所に富士はいない。

これは心配だった。一昨年はスタート地点で、五合目から雨のため、頂上コースは中止、五合目までとします。と衝撃のアナウンス。

頼むぞ富士山。出てきてくれよ。

宿の人はもつを思うよ。だいじょうぶだよ。たぶん。たぶんだよ。

と言ってくれたが、心配だった。

 

何とかうんこは出たようだ。あとは市役所に行って、もう一度。

 

市役所は相変わらずの人人人。

3100人の参加らしい。これが多いのか少ないのか。

富士山を走って登るが面白そうだから、という理由で4時間半を切るためにわざわざ宿とってまで来はしないだろう。それなりにそれなりの思いがあるのだろう。

とはいえ、時間をはずした祝祭の日に、自己浄化のために来ている人などはあまりいないはずだ。

 

大会挨拶で、今回は久々の良コンディション。去年は完走率39%でしたが、今回は過去最高の完走率を期待します。

とあった。

 

確かに日が照らず、雨が降らなければありがたい.

日が照ると一気にスタミナが消耗していく。集中力も消えていく。こらえ性がなく、すぐ歩いてしまう。雨が降れば筋肉が固まり、足が出なくなる。足が滑る。薄曇りで風がない。これがベストだ。

 

中の茶屋。予定通り。だがこの地点でも抜かれていく。

予定通りなので、そのままにしていくが、今思えばここで一緒に着いていけば、1分7秒は引っくり返す事ができていたのかもしれない。

だが暑かった。汗がでまくる。

そして確かに坂は苦手なのだ。

岩場を登るのはいいのだが、スロープはどうも太腿にくる。前傾しすぎなのか、時々体を起こすと腰も太腿も楽になる。

上体を地面と垂直にして走るのがいいのか、前傾するべきなのか、それを交互にするのか、坂の登り方は課題だ。

今回は塩を含んでみた。初めてだ。これは塩を舐める舌の場所がポイントだ。後々までしょっぱいのが残って、気になった。確か舌には味を感じる様々なポイントがあったはずだ。

 

それにしても給水所では水、バナナ、スポーツドリンク、砂糖、塩、アンパン、と色々置いてくれてありがたかった。とくに水は十分量もあり感謝だった。

 

5合目まだはやや遅れ気味ではあったが、10分ほどの遅れだったのでだいじょうぶだろうと思った。このあたりが難しい。五合目の関門は10時。現在9時39分。まだ20分あるのだから、だいじょうぶだろうと思うのだが、このあたりの感覚がつかめない。

五合目を越え林が消え、ざくざくの火山岩のコースになる。

周りは霧で景色は悪い。時々冷たい霧が体を包む。

 

今回は頂上で写メールをするので携帯持参なのだが、携帯は湿気に弱い、濡れたらおしまいと聞いていたので、タッパに入れ、ビニール袋に入れ、さらに真空の玄米の入っていた袋に入れウエストポーチには防水スプレーを一缶かけた。ここまでやれば雨が降ろうが、嵐になろうが問題ないだろう。たぶん。

 

ここからは6合目、7合目、8合目がどこだか分からなくなる。

登り口に合わせて幾つもあるのだが、これは大きく看板を立てて、「6合目、山頂までおよそ何分。」「7合目、山頂までおよそ何分」と示してほしい。

今回は攻略ビデオを買ってみたが、それにも時間がない。

インターネットで調べたが、6合目7合目が殆どないのだ。だいたい30分毎と考えていいのだろうが、どこが6合目7合目なのかが分からない。

 

何時に通過すればいいのが、はっきりしていればずいぶんと走りかたが違ってくるのだが。

それにしても6合目から7合目にかけてのザクザクコースは辛い。

無粋な壁に沿って黙々と歩くのだ。まるで自分が奴隷にでもなったような気がする。いや自分は奴隷だ。だから立ち止まらずひたすら歩かなければならない。奴隷に自由はないのだ。

そんな事も考えながらひたすら歩いた。

そう言えばここまで1度も立ち止まっていない。5合目以前でも1度も歩いていない。これはこれまでにないことだった。これは進化だ。老化に反比例して体は強化されている。と思っていいだろう。

日が照らず、雨も降らず、風も吹いていない。

というだけではないと思いたい。だって173階段登ったもんな。何回もな。

 

ここでは山歩きだ。足を逆ハの字にしてスタンプを山に押すつもり出歩く。腰を両足の真ん中に置く。

淡々と歩くのだ。

 

6合目で降りてくるランナーとすれ違った。

「だめだこの時間じゃ」

 

これは悪魔のささやきだった。

確かに既に微妙な時間だった。そして事実そうだった。

だが腹が立ったのも事実だった。

転がり込んでやる。と思った。そんな風に思えたのが嬉しかった。

まだまだガッツあるじゃないか。50過ぎて失業してもこれならダイジョブと思った。それも寂しいが。

岩場岩場は両手を使う。つまり四つん這いだ。この方が楽だし、安全だ。鎖が使える所もしっかり両手で体を引き上げる。足に負担をかけないようにする。

 

やたらフ〜フ〜ヒ〜ヒ〜言いながら登る人と並んだ。

今にも死にそうなのだ。気になってしょうがない。時々あ〜〜と言う。

だいじょぶかよと思うのだが、ずっとぼくの前を行く。落ちてこない。だったらもっと静かに登れよと思うのだが、死にそうな声はずっと続く。

ふと気付くとその声が聞こえない。前にはいない。大丈夫だろうか、どこかで蹲っているのではないか、と心配するが、ダイジョブなのだああいうのは。

だが今度は、特別な呼吸法なのか、ヒュ〜〜〜〜〜、ヒュ〜〜〜〜〜〜ヒュ〜〜〜〜〜〜〜と鋭い音が響き渡ってくる。海に潜るんじゃないんだから、と思うが、工夫してるんだみんなそれぞれ、と感心する。それにしてもこれじゃこっちのペースが乱れる、と思い、抜こうか下がろうかと考えていたが、ぐんぐんと岩を越えていって見えなくなった。あの呼吸法がいいとも思えないが、自分の体をコントロールする方法なのだろう。自分の体への意識ができなくなったら、あとはバラバラに崩れていくだけだ。

 

8合目11時27分。

あと33分。これがアウトなのかまだオーケーなのかが分からない。

他のランナーも無理だ、大丈夫だと半々だ。

ここは堪えるしかない。

8合目の山小屋ではこのままで行けば大丈夫だ、ぎりぎりセーフ。

と言われた。

だが8合目からは40分とどこかにあった。

とにかく急ぐ事にした。

ここからもどこが頂上か分からない。大きな看板がここにもほしい。

見上げてあと1000m、800m、500m、200m、とあればいいのだが。

 

 

時計を見る。

11時50分。

たとえだめでも頂上へはいける。去年、一昨年、とだめだった。今回は頂上でゆっくりできるはずだ。今年はラーメンでも食おうか、なんかお土産があったほうが、生徒にでも。

とにかく最後まで手を抜かず淡々と行こう、淡々とだと、思った時だ。

「あと5分!」

 

頭上から聞こえた。

まだ行ける。頑張れ頑張れ、と登り口の角々に立つ人が言い始める。

オイオイ、いきなり言うなよ。声の主を探した。まだはっきりと頂上がどこだか分からない。ただずらりと横に人が並んでいるのが見える。あそこが頂上なのか、右に左に坂を5曲がりほどか。

届くのか。

冗談じゃないぞ、だから看板を立てろと言ってるのだ。

 

これは淡々とはしていられない。

最後は必死こくしかなくなった。もう4分だ。これであそこまでいけるのか。

しょうがない。こうなればあと4分は死ぬ気モードだ。

岩場と階段。

ゴクリかスパイダーマンのように、四つん這いになり、ハッハハッハハッハいいながら登る。足の感覚がなくなる。こんな時はあきらめたらだめだ。意外といけるものだ。こんな時の時間はけっこうあるものなのだ。

そう思いながら這い上がる這い上がる。

 

「あと1分。」

カウントダウンが始まる。

階段の端に左指を突き指する。イタイイタイ。折れてはいない。

唾が飲めずたら―と落ちる。

みんな見てるだろ―な。

疲れて上が見えない。このままゴールに気がつけば入っているのか。転がり込んでいるのか。

 

 

だが「時間で〜す。」と言う声がしても、まだ目の前に段は続いていた。

 

ゴール。

大時計を見ると4時間31分7秒。

1分7秒だ。

これはしかし来年へのリベンジを示唆しているか、それとも好コンディションでのたまたまのプレゼントなのか。

 

悔しかった。

既に頂上ではラーメン食ってたり、記念写真とってたり、みんなにこにこ顔だ。

腹が立つ。

実際これが5分10分遅れではあきらめも着いてのゴールだろうが、5分、4分、ましてや1分2分遅れのランナーにとってはこの光景はテメ〜ら何うまそうにラーメン食ってだよ、ニコニコ何がうれしんだよ!となる。

なるよな、これは。

 

まあ、しかし自分が蒔いた種。自業自得。身から出た錆、誰に何を言っても始まらない。

頂上の鳥居に行ってそれを写メール。

横浜に送る。送れるのだ。大し。たものだ。ついでに両親にかけるが電源を切っているか、電波の届かない所にいるとJフォン。いろよな両親。

固定にかけ直し、今頂上にいること、1分7秒で完走できなかったことを留守電に入れるが、まるで声が出ない。これだと聞いて両親心配するかなと思ったが、下山途中でもう1度かければいいだろうと思って降りる。ラーメンは食べる気にはならなかった。

それにしてもこの鳥居、どうも良くない。

形として縦に長すぎる。それに真ん中の鉤が不吉だ。

首でもぶら下げそうだ。

 

富士登山競走は下山があるのだ。登れば降りなければならないが、これが辛い。2時間はかかる。

だが今回は一歩一歩が楽だった。

だったらもっと登りを頑張ればとも思うが、あれだけ頑張った後だから今が爽快なのだろうと思った。

やっぱ来年また来るのだろうなと思いながら降りた。

帰りは辛かった。富士急行、JR、普通から快速と接続がうまく行き、飯を食う暇がなくなった。電車の中でせめて大福でも思ったが、リュックの中の下の方にあり、ごそごそすること事ができなかった。結局家に着く9時まで何も食べず。

これは応えた。

12時から9時まで、ポカリだけ。しかも体は汗だらけ、風呂風呂、飯飯、時々切れそうになった。

 

そう言えば聞くともなしに聞いていれば、他のランナーはレース後はみんな連れ立って焼肉、ビール。

こっちも帰ったらと思ったが、節約節約。

貧乏なのだ。

 

まあ、でも、良かった。良かった。