マラソン日記 20023.1331

 

33日.日曜日.

45km.    あと255km

 

佐倉マラソン.3時間611秒.

 

まただめだった.悔しいね.

 

5キロ−2239秒.10キロ−4431秒. 15キロ−1時間646秒.

20キロ−1時間2849秒  30キロ−2時間1252

35キロ−2時間3455

ゴール−3時間611

 

 

寒かった.

という事で、合羽を着て走った.ランニングランパンが正装だが、そうも言ってられない.ダイソーで100円で河童買った.30キロ過ぎで、合羽投げ捨ててゴールのつもりだったが、最後まで着て走った.

正解だろう.寒さを感じなかった.

 

後半は飛ばした.誰にも抜かれなかった.ガンガン抜いた.

であればだ.

 

最初からもっと飛ばしていく.

それがポイントではないか.

 

後半つぶれるのが怖いから押さえる.

押さえた分、それが取り返せない分として最後まで残る.

 

今日だって後半は走れた走れた.

月間300キロを続けたおかげだ.

 

 

だったら次はもっと前半から3時間を切れるペースで走り始める.

それができるかできないかなのだ.

 

疲れた.

 

 

 

1月の館山ではゴール後ぶっ倒れて、係員にテントに運び込まれそうになっ

 

たが、今回は動けた.帰りの電車への階段も普通に歩けた.

 

これは嬉しい.

 

実に嬉しい.

 

次の荒川へ希望が持てる.走りこみ走りこみ走りこみ.

 

3時間を切るには月300キロ.

 

これに尽きる.

 

全く尽きる.

 

疲れた.疲れた.寝る.

 

3月6日.水曜日.

 

10km.   あと245km.

 

「先生何回やっても3時間切れないのかわいそうだね.

 

いつもの陸上少女に言われた.

むっときたが、事実そうなのだ.

「あのね、いい事教えてあげるね.こうすれば速くなるから.

じっとこっちを見て言う.アドバイスする気だ.

 

「試走するの.一度同じ距離を本番と同じで走るの.

私いつもそうやってるよ。」

 

ウ〜〜ん、確かにそれは言える.

フルの試走、それも本番と同じにというのは今までした事がない.

 

いつもレースでは、練習よりも速いペースで押していく無理でつぶれていく.

 

だが本番と同じにというのはきついのだ.

確かに同じにというのは必要だ.

だかやっぱ体持つか.こっちは年だぜ.

 

それとも練習でならダメージはそれほどでないのか.

でもそれほどでなければ練習にならなくなるのか.

 

荒川までにはもう日がない.

終わって次の霞ケ浦までのどこかでやってみるか.

 

本番と同じ試走.

 

37.木曜日.

5km.  240km.

 

 

38.金曜日.

1km.   225km.

 

疲れているのに目が覚める.

このごろずっと2時過ぎに寝て7時に目が覚める.

もったいないから起きる.

 

カーテンを引いた瞬間の太陽の光が全然違うのだ.

くわっと太陽光線が体をリセットする.

だから起きる.

そのかわり2時から3時ごろはどうにも眠くてつらい.

 

「先生花粉症?目が真っ赤だよ」

 

あら.

 

39.土曜日.

15km.    210km.

 

312日。火曜日。

 

15km。  195km

 

313日。水曜日。

 

1km。  18km

 

314日。金曜日。

 

15km。 170km

 

315日。土曜日。

 

15km。 155km

今日は昭和の森で富士通が練習をしていた。

同じコースで、張り合う。

張り合っても仕方が無いが、おじさんも頑張っているところを見せようと、突如心臓破りの坂×10本を行う。

ひーひー言いながら坂を登る。

相手は普通のスピードで走ってるので、坂で追い越せる。どうだ!という気になり嬉しい。

何だあのおっさんとみんな思ってるのだろうが、それでも嬉しい。

 

ついでに2本余計に走ってしまった。

 

316日。日曜日。

22km。 133km

 

荒川まであと1週間。

今日は`4分以内で1時間半走をした。

まだ佐倉の疲れが残っているのだろう。切れが無い。筋肉が粘ついている。

まどろこしい。疲れる。

 

荒川はこれまで5回走って3回棄権している。

この時期佐倉の疲れが残っているのと、荒川のコースがスタートラインに戻ってそこが30キロ、あと10キロ走らなければならないというのが合わない。

 

しかしそれは気持ちの切り替えで済むことだし、佐倉を練習、荒川を本番と考えれば、佐倉の疲れで走れないといういい訳の気持ちも消えるはず。

 

しかし遠いのだ。荒川は。9時スタートというのがしんどい。

 

3月19日。火曜日。

 

10km。  123km

 

今日は10キロを通して走れなかった。

突然がったと体が止まる。

疲れてる。

 

320日。水曜日。

 

8km。   115km

 

今日はゆっくり走る。

子供バンドとたけしのオールナイトニッポン聞きながら。

 

321日。木曜日。

 

1日寝てた。

 

322日。金曜日。

 

だるい。

がストレッチと軽く5km

 

323日。土曜日。

 

何もしない和歌にもいかないので、とりあえず3キロ。

天気の良いのが救い。

 

324日。日曜日。

 

荒川は遠い。

522分始発で行く。3時に起きた。いつもなら寝る時間だ。

 

行き方は色々あるが、基本的に浮間舟渡(うきまふなどだっけ。)か蓮根のどちらを選ぶ。

浮間舟渡は一度駅の清算で行列ができ20分かかりあせったことがあった。バスが出ているがこのバスもけっこう少ない。

 

そこで蓮根からいく。東京、水道橋、蓮根。

7時半会場着。

 

駅の中でずっとストレッチをやる。

乗客が少なかったからだが、恥ずかしいといえば恥ずかしい。

しかしみんな寝てるか新聞読んでるかだし、一人ぐらい車内で気合いれてストレッチやってたからって誰も気にはしてないはずだ。

人は他人の事など気にしない。

これはしかし大事なのだ。

 

体硬いまま走ると最初の20キロまでで、足の付け根がいたみ足が出なくなりそれがそのまま致命傷となる。いつもより速いペースで走っているからだ。

 

さすがに12千人出場、スタートライン超えるまで2分前後かかった。

ここが今のところポイントなのだ。

 

実はまだ正式タイムがわからない。

時計は途中で壊れた(!)頭きて投げ捨てようとしたがもったいないので最後まで持って走った。

バンドが生徒と相撲した時に切れて、持って走ってたのだ。

 

ゴールの時計では3分前後だった。必死のラストスパートでよく覚えていないのだ。

スタートの足踏み状態を引けば3時間は切れてないだろうがかなり迫れたはず。

結果は今日の夕方(っていつだ!)ホームページを待たなければならない。

 

30キロまでを落ち着いてつなぐ。

つなぐのだ。

丁寧に丁寧に繋ぐ。

 

自己新を狙っているわけだから、どのポイントでも時間は上回っていなければならない。それがあせりになる。

 

1キロ、415秒。

5キロ、21分15秒。

 

これで2時間5920秒。

 

ギリギリなのだ。

 

5キロごとでチェックを入れるが、厳しい。22分を越える。

といってペースを上げてしまうと後半での足の痛みに負けてしまう。足が上がらない、出ない、どうしようもなくなる。それが怖い。怖いのだ。

 

だから前半は押さえる。だが中間点で1時間35分以内であれば後半で追い上げられる。

後半、特に30キロを過ぎたら狂ったように走るからだ。

 

呼吸は正常にできなくなり、ひ〜ひ〜音を立てる。

体はどっちかに傾く。傾きながら大きく揺れる。

足を引きずり、両腕はその足を動かそうと力が入りガチガチの不自然な動きになる。

 

「あのおっさんきばっとるの〜」

 

誰もがそう思うみっともない走りになるのだ。

しかししょうがない。それをやると後半が前半より上がるのだ。

 

今回もそれで30キロまでいけた。

意外と落ちていかない。

 

32キロ地点で後ろから長身の若い人に抜かれた。

かなりしっかりした走りで前へ前へと進んでいった。

 

これについていこうと思った。

真後ろに着いた。

背中のランニングの左右に揺れる肩甲骨をじっと見ながら走った。

つらい気をそらす為だ。

付かれた方はいやだったろう。

ぴったり小さいのがはっは言いながら付いてくるのだから。

時々右、左とコースを変えたが、ぴったりくっついた。

 

おかげで36キロ、第2折り返し地点まで付いていけた。

かわりにその若いのは折り返し前でずるずる落ちていった。ペースが狂ったのだろう。すれ違った時にらんでた。

 

あと5キロからは無茶苦茶走りだ。

 

あごが上がり、体が傾き、腕を大げさに振り体をねじって、無理やり体を前へ持っていく。しかもひ〜ひ〜とうるさい。

 

ここでもう足が上がらないので、ピッチをひたすら上げた。チョコチョコ走りだ。

腕もコマ目に振る。

 

ゴール前。

ここで走りを変える。

ストライドを延ばし、ひ〜ひ〜をやめ。あごを引き、体をまっすくにし、視線を前にしっかりと向け、スパートをかける。

 

写真をとられるからだ。

こんな時にもカッコは気にしなければならない。

 

 

 

終わってからしばらくみんなの走りを見てた。

さすがにランナーの波は途切れない。

どこまでも続く。

 

みんな必死だ。真摯だ。真剣な顔が続く。

延々と続く。

 

老いも若きも男も女もだ。

ああ、これが日本人の顔か。

と思う。

まだまだ日本も大丈夫かと思う。

 

だが同時に、家に帰って仕事場に行ったら、数字を誤魔化したり、嘘をついたり、人を傷つけたりもしているのだろうか。

とも思った。

 

真摯な顔で真摯に人を騙し、傷つける。

 

何もこんな時にこんな事を考えることもないと思ったが、責任を取らない、嘘をつく。

そんな事が鈴木、加藤、辻本と続いているからだろうか、ふと考えてしまった。

 

 

責任を取らない。

正しさという感覚を持たない。

目の前の物質的な要求にのみ応えていこうとする。

あれがほしいこれがほしい。

 

それが戦後日本の仕組みとして作られた。

そこに行き方の倫理はない。

そして良いも悪いも戦前の生き方の倫理を持っていた人が世代交代で消え、その後の物質要求偏重主義の中で育った人々が親になった時、この国で悲劇が始まる。

 

 

物をたくさん持つことに価値があると単純に信ずる人々。

そのための勉強、努力。

彼らには想像力はない。人の心を思いやれない。

そんな人々が親になる。

 

子供は生き方を知らずに育っていくのだ。

親へのなり方を知らずに親になった親に育てられた子供たち。

 

刺すだろう、虐めるだろう、自殺するだろう、売春もするだろう。

 

子供は100%親と時代の鏡だ。

彼らに責任はない。

 

責任と正しさをいい加減にしてきた大人に100%の責任がある。

 

 

 

さて、一体タイムがいくつだ。

 

   3時間324秒。

 

う〜〜〜ん、これって正味のタイム?

 

足踏み上体が2分近くはあったはずだ。

といってたとえそうだとしても3時間は切れていないのだが。

しかし152秒が切れている可能性はある。

となれば自己新。自己の限界突破。

こだわるよなやっぱ。

 

328日。金曜日。

 

10km

走っている時にはなかった右足首表側の痛み。

走れない。初めての場所だ。

 

329日。土曜日。

 

10km

右膝に電気がガッと走るような痛み。

治す走り。

330日。日曜日。

 

10km

何とか痛み引いていく。

 

さていよいよ421日今シーズンのラストラン。

111分。

33日。6分。

324日。3分。

 

ここまで来たらサブ3だろう。

いよいよだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラスト5キロはもうそれどころではなくなった。