2001.2.1〜2.28            マラソン日記

 

1月31日。

 

あれだけ痛かった足,引き摺り引き摺り,4時間かかった。

走ってる時はもう足どうかなるんじゃないかと思ってたのに,2日経った今日は,もう普通に走れる。

 

だったらもっと本番で普通に走れなかったのかよ。

回復力あると考えるのか?

2週間ぐらい走れもしない,歩けない,寝込んで死にそう,でいいから,本番で足もってくれよ。

 

何かそれ悲しいね。

でも確かに日曜日にはあれが限界だった。

あれ以上はダメだったよ。

そう,回復力があるということで,ありがたがろう。3月佐倉。

 

3月で3時間。

切る!

 

 

2月3日。

今度は日曜ごとに長いのを走る。

3時間走か30キロ走。

 

そして,スクワット。

これだろう。

 

1日200回。最低200回。テレビ見ながら,メルマガ見ながら,スピッツ聞きながら,できるだろう。

200回毎日はできるだろう。

できれば朝昼晩,200×3で600.に持っていく。

1日200回。→ 1日400回。→ 600回。

 

第1週は200回。

第2週は400回。

第3週は600回。

第4週も600回。

 

これで絶対に違うはず。

 

とりあえず明日3時間走。

今日もこのあとスクワット200回。

 

24

4時から7時。3時間。約30キロ。

そして帰ってきてから,スクワット,200回。

 

たいしたもんだろう。1週間前,地獄の4時間。

 

今日,それほど辛くもなかった。

いやむしろいい感じ。

軽いのだ。

蹴ったあと,一瞬に宙に体が浮く。

その体を右足と左足が順々に受け取る。

 

体の重さをまず右足が受け止める。

,,背骨。脳天に重さが向かったあと,逆に帰っていく。

左足が次にその重さを受け継ぐ。

それが次々と続く。

 

軽いのだ。

 

でも前もそうだった。

だから今度は長いのを入れる。

入れている。かえってまずは200回。200回では少ない。とりあえず今日は200.来週は400.

さ来週に600.

 

でもけっこう体もできてきたか。今こうしてワープロ打っている。そこそこタフにもなっている。

 

34日。佐倉。今度こそ3時間。

今度こそだ。

 

211日 日曜日。

 

風邪をひいた。風邪は自分の体の調整を行うきっかけにはいい病気だ。

走れないから走らないで,じっとしていると,結構体が疲れているのに,気付かされる。

 

考えれば110キロを毎日走ろうと思っているわけだから,疲れなくもない。

 

日曜日,今日は休みだという気があると,2時から5時くらいまではただひたすら眠くなる。

普段の日もそうだが,授業前であれば,気を入れてるので,さほど眠気も続かない。

日曜日はただ寝てしまうのだ。

あっという間に寝てしまう。

疲れてるのだなと我ながら思う。

 

スクワット。200回だがなかなか難しい。しかしここで風邪がどうのもない。

34日。

ここしかないだろう。本当に切りたい。それは限界を超えること。体力の低下に対し,限界を超える。

普通であればできないこと。

だからやりたい。

もしかしたら,来週,昭和の森のロード出るかもしれない。出たい。当日申し込み可だから,当日決める。

ただ寒い中,いきなりトップスピードで一気。

結構きついのだ。

でも出たい。ここで体しゃきっとさせる。これも手か?

 

212日 月曜日

 

休みの日は誰とも話さない。一言もない。ちょっと酒飲んで,酔っ払った気持ちで,一人でスピッツを歌う。

悲しくもあり,寂しくもあり,虚しくもあり,しかしじゃあそばに誰かいて,それで楽しくなるとも思えない。

 

気を使うだけだ。

人からよく思われたい,悪く思われたくない。

それがまずある。だからサービスをする。

いなくなると,一人になると,ホッとする。

 

一人がいい。

そう思う。

今はそうだろう。でもこれが老いて,一人のままだとどうなるかとも思う。

 

一人で走る。誰かと走る。

 

一人で走る。何かと通じ合いつつ走る。それは錯覚かもしれない。自分の中のストッパーが外れ,通じるべき場所と通じ合う。直接流れる。直接往復する。命の流れが滞ることなく,さらさらと流れる。

それが何かを知識として僕に教えてくれる事がなかったとしても,心の重荷を消し,ストレスを解消し,生きていく方向の正しさを感じさせてくれる,正しく感じさせてくれる,正しく思わせてくれる。

走っている間,自分の正しさを感じさせてくれる。

生きていていいと思わせてくれる。さらに人が人として生きていていいと思わせてくれる。

人は人として生きていていいのか。今すぐ,これまでの責任をとって,すぐに死ぬべきなのか。

生命の循環の輪を人間だけが破る。

人間はここでその責任をとって,死ぬ。それが21世紀でのまず人間が行う務め。

 

死に絶えること。

人が人として行うまず最初の仕事。

もちろん全員ができることではない。

何分のいくつかが,代表として死を選ぶ。実際死んでいるのだ。自殺者の増加。17歳。14歳。

小学生の自殺。

 

僕?

死ねない。

死んで行った者の無念を残ったものに伝える。

死んでいったものの無念。

悲しさ。

苛立ち。

 

叫びながら死んでいった。

死にたくなく死んでいく。絶対に死にたくなく,死んでいく。

無念であり,残念である。

それを伝える者。

 

2月25日 日曜日

先々週は風邪,先週は母親との進級面談。

,全然走れず。

今度は3月4日の佐倉。スクワットととも思ったが,なかなかできない。いつものことだ。

しかしとりあえず先々週の日曜日,先週,今日と,長いのは走った。3時間走。30キロにはなってるだろう。

 

あと1週間。やれる。切れる時はえっと思うように切れる。

今日は靴を洗った。

風呂でゴシゴシ。

 

細かい土の粒子がこぼれていく。お湯に流されていく。この靴で支えてもらっている。

といって,昔の靴はもっと良かった。ハリマヤ。靴裏のゴムがのっぺり一枚ではなかった。小さな赤いゴムのたこの吸盤の一つ一つが全部独立していた。だから着地,移動,キックの際の力の入れ様の全てが実感できた。左右の揺れや前後の力の入れ具合の1,2センチの力の移動が全部足の裏で感じられたのだ。

 

それが今はない。今のシューズは1枚だ。全体で前に,横に,後ろに動く。5cmとか20cmで動くのだ。

何か悲しい。

もちろんエリート選手達は特注で自分の足に合った靴を作ってもらえるのだろうが,パンピーには無理というものか。

今日はスクワット200もやったぞ。今週はさほど仕事もきつくはない。

どうなるか。

 

 

2月28日。

出る時は出るのだ。

あれって感じで記録は出るのだ。

ずいぶんこの6年がんばったのだから,出る時はこんな時。風邪や仕事で十分走りこめなくて,今回は無理だよなと,と思うような時にでる。記録は出るのだ。こんな時にね。

 

であればいいのだが。

しかしさっき,テレビ見ながら1時間,スクワットやった。正味最低40分として,最低,3秒に1回としても,1分20回。40かければ800回。

少なくとも800回はやったはずだ。結構すごい?

別に痛くも重くもない。これはいい兆候か。

 

いつも足が潰れる。上がらない,動かない。足の付け根が焼きごて当てられたようになる。それはスクワットで鍛えられる。そう思ってのトレーニングだか,十分ではなかった。

 

あと1分52秒。

 

こういったことにこだわる。

それで気持ちを支える。

なんかそう意識して思わないと最近気持ち支えられない。

時々ふっと気持ち抜ける。

この年で独りは辛いという事か。

1分52秒にこだわる。意味もなくこだわる。

きっちりとこだわる。

がんばろうな。