【風に消えた一族 〜序章〜】


 

 
   僕の生まれた所は、神奈川県三浦市 東京から早足で約12時間くらいで
  着くところで生まれました。
   母親の話によると、三浦半島の先端に城ヶ島という島がありますが、その
  島にかかる橋の下に落ちていたとのことらしいのですが、くわしいことは
  解りません。ただ 戸籍上 この親の子になってます。(^^;

   今、NHKの大河ドラマでは「北条時宗」を放送してますが、源頼朝が鎌
  倉幕府をつくのに おおきな役割を果たしておきながら 二度にわたり
  北条氏に破れ滅亡した一族 三浦一族がいました。
   水軍を持っていた三浦一族は 平家打倒に壇ノ浦で闘ったのではないかと
  言われています。

   この不運の一族 三浦一族について 聞いて下さい。
  三浦、横須賀 三浦半島に住んでいる人で 三浦一族について研究している
  民間の研究者は割とおおく 地域雑誌で 「三浦半島の文化」という小冊誌
  に 三浦一族の特集が出ていました。

   では、三浦一族ですが、
  治承4年(1180年)8月26日 三浦一族の拠点 衣笠城(神奈川県横
  須賀市)で平家の軍勢に攻撃された。
   大将の三浦義明は、「われひとり城郭に残留」と言い張り残る。
   一族は 衣笠城を脱出し、衣笠城の近くの川から船を出し、千葉、房総へ
  と進めた。

   その頃、源頼朝、頼ちゃんは石橋山 現在の小田原方面で平家と闘ってい
  たが破れ 頼朝も船で真鶴、岩浦から房総に向かっていた。
   海上で 三浦義明の子三浦義澄と会う。

   義澄は 船上の頼朝を見つけ声をかける。
  「頼ちゃん、どないしたん?」
   すると 頼朝は
  「あかん (平家に)負けてしもうたがな・・・」
   と力なく言った。
   しかし ここで戦友と会って 少し元気を取り戻した頼朝は、安房房総に
   行って体力をつけ 戦力も三浦一族である三浦党、千葉常胤が味方になり、
   三浦の敵だった 畠山重忠、川越重頼のダブルしげちゃんズも味方に
   なり いざ 鎌倉へ向かったのが、同4年10月16日のことだった。。。


                          つづく    2001.04.05