【自由について】


 


     自由とは、心の解放である。                                         

     パンドラの筺を開けるとありとあらゆる化け物が出てくると言う。その化け物
    魑魅魍魎(ちみもうりょう)の最後に希望が出てくるのだけども、なぜ最後に
    希望がでてくるのか 言ってみればトリですが、なにも最後にでてこなくても
    最初からでてこいよ、おまえは。みたいな・・・
    感じがあるわけですよ。そんなに偉いんかおまえはみたいな・・・。

      だってそうでしょ、最初からでていれば魑魅魍魎見なくて済んだだろうし、
    途中ででていれば、それなりに安心できるってもんだ。手の平を上にして指を
    5本とも気持ち曲げて 鼻の下に持ってきて上に向かって てやんでぃっ!。
    それなのに、ああそれなのに、あなたはいつも、いつもかどうかは知らない
    けど最後にでてくるのね。なんで?なんでなの?なんでなんでなんでなんでじゃ。

       それはね、
     1.借金取りに追われてたから
     2.眠かったから
     3.順番がそういうふうに決まっていたから
     4.魑魅魍魎が怖かったから
     5.話を聞いてなかったから
     6.バブル経済が崩壊したから
     7.株が暴落したから
     8.意地をはってたから、〜素直になれなくて〜
     9.電車賃がなかったから
    10.最近疲れが溜まってたから
    11.二日酔いだったから
    12.仕事が忙しかったから
    13.その他もろもろの諸事情

     という理由はいろいろ考えられるだろうが、パンドラの筺だろうがチンドン
    屋の鐘だろうが、そんなもの実際にあるかどうかも解らないものに腹をたてて
    も しょうがないわけで、かと言って笑うのも変だし、まじめに語るのはおこ
    がましいし、あ〜 どうしたものかのぉぉぉぉ。

     さて、どうでもいい話はこの辺にしときまして、本題に入りたいと思います。
    えっ 今までのって本題に関係ないの?とお思いのあなた、ふっふっふっ、
    へっへっへ、ぽっぽっぽっ 鳩ぽっぽ 豆が嫌いか嫌いじゃないか 好き嫌い
    するんじゃありません、ほら お食べ 食べろ、食べねってのか この ほら
    食ってみろ この うっ くっ おらおらおら・・・。

     失礼しました 話が横道にそれました、元に戻します。
    幕末の勤王の志士、長州の高杉晋作は「おもしろき無き世をおもしろく」と言
    って時代を駆け抜けました。混乱した時代でも自分次第でいくらでも面白く
    できると言っているのです。高杉は 長州だ薩摩だと言ってる時代にも自由を
    感じてた1人なのです。

     身体の拘束イコ−ル不自由と考えるのは、はさみが紙を切る道具としか使い
    道が無いと考えるのに似てはいないでしょうか。体の拘束されていても、不自
    由と感じない人なんかいないと思うかもしれませんが、本人がそれを望んで
    いれば、それは不自由とは感じないのではないでしょうか。

     ほとんどの人は幸せになりたいと思っているのでしょうが、僕は不幸になっ
    てもいいから自分の考えで生きていきたい。他人の言葉に耳を傾けないのでは
    なくて人の意見は聞きますが、決定権は自分で持っていきたいのです。
    どんなに得なことでも 自分がやりたくないことはやらないがそれで貧乏に
    なっても、心を無くした金持ちよりも十分だ。
     でも何億くれるとかだったら・・・。この辺 微妙(^^;。

     尾崎豊は「鉄を食え 飢えた狼よ、死んでも豚には食いつくな・・・」と歌っ
    ている。尾崎豊が言ってた鉄って何だったんだろう、僕は熱烈な尾崎ファン
    じゃないから尾崎ファンの人に聞いてみたいけど、この歌の鉄ってなんだと思
    いますかと、豚って、何のことを言っていると思いますか?って聞いたみたい。
    ただ、コンサ−トとかは行かなかったけど、車の中ではよく聞きました。

     山田かまちと言う人がいました。去年の夏上野の美術館で「山田かまち展」
    にいってきました。 http://www.sankei.co.jp/event/kamachi/kamachi.html
    山田かまちは群馬県高崎市に生まれ 幼い時から画才を発揮し、水彩画、パ
    ステル、デッサンなど約1,000点を制作。そのほかにもノートに記された絵や詩
    は18冊分にもなり、中学にはいると作曲や演奏など、音楽活動にも熱中、ビー
    トルズをはじめとするロックミュージックに傾注するが1977年、高校1年の夏、
    愛用のエレキギターの練習中に感電し、不慮の死をとげました。享年17歳。

     かまちの絵は、まるで行き場の無い龍が出口を求めて右往左往してるような
    気がしました。かまちのノ−トはその年代の子が誰でも思うような もっと羽
    ばたきたいのだけどその方法がわからないでイライラしてる感じです。今にも
    爆発しそうな自分を押さえきれないといった感じなのです。

     尾崎豊にしても 山田かまちにしても何も縛られていないと思うのに、罠に
    かかってで動きのとれなくなった熊みたいに、苦しんでいるようだ。社会に世
    間に自分自身に縛られているのだろうか。
     十代や二十代の若者も どこか息苦しそうだ。

     自分の望むもの。それが何なのか解れば きっと自由になれるのだと思う。
    さまざま社会の制約の中で自由なんて無いというなら、575の17文字の俳
    句や57577の31文字の短歌は なぜあんなにいろいろな俳句や歌が生ま
    れるのか ♪は1オクタ−ブ8音という限りのある音の中で毎年毎年多くの曲
    が生まれている 絵はどうだろうか 画家は限りある画材の色に落胆すること
    なく書き続ける。

     この人達は そこに不自由を感じていない。
    今言ってるのは 客観的自由なのかもしれないが、絶対的にこれが自由だと言
    うものが もしあるとするならば、なんでもできて何でも手にはいり、どこへ
    でも行けるのが自由ならこんなに苦痛に満ちたものは無いと思う。
    なぜなら、なんでもできるなら、スポ−ツをやるのか音楽をやるのか絵を書
    くのか文学にふれるのか何かの研究をやるのか、どれ一つとってもその中で
    また選ぶとなると とんでもなく迷うでしょう。
     一つ選ぶとあとのことは出来なくなるのだから、あとのできない事が無数に
    広がるのである。
    全部やればいいのだろうけど、体は一つしかない。

     現実には そんな自由は不可能だけど、一つでも それが自分のやりたい
    ことなら1人でも自分の好きな人なら、一カ所でも自分の行きたかった所なら
    満足だ。これを僕は 自由と呼ぶ。

     この自由を捕まえるために、いくつかの化け物に出会うかもしれないが、
    最後に希望でなく自由がでてくれればいいじゃないかと思う。
    パンドラの筺の最後が 希望なのは パンドラの筺っていうのは人の心のことを
    言ってるんだと思った。魑魅魍魎は 心の不安とか迷いとか絶望とかの事を言って
    るのだとしたら 希望が出てくれば不安とか絶望は出ない 出ないから希望がある
    のだし・・・だから パンドラの筺は心とか人の感情だと思ったのでした。

     心の解放されれば 自由とか自由じゃないとか言うこと自体 どうでもよくなる
    のだと思うけど、あえて言えば 心の自由 精神の自由 感情の自由 無意識の自
    由が自由だと言うことにしておきましょう。とりあえず・・・
    無意識の自由とは、無意識・・・つまり寝ているときに見る夢は なんでもでき
    るし何でも手にはいり どこへでも行けます。ほんとの自由だ。(^^;
    でも いづれ目がさめます。現実に戻ります。
     だから、心の自由 決めつけないでいろいろな物事をいろいろな角度から考えら
    れたら自由に近づくかなと思う。


     今回の自由については 山田かまちの「山田かまちのノ−ト」を読んで自由に
    ついて考えたことを書きました。

     来週は もしかしたら 休むかもしれません。
     もう少し この文章とギャグをどうにかしようと思うので。
     ・・・・・ ごめんなさい 読んでくれてるかた・・・・・ 



                          2001.01.11
                            神奈川県横須賀市
                                 クロベ