【大切なのはイメ−ジ】


 

 
   なぜ人間は二本足で歩けるのでしょう。
  それは・・・ 根性があるからです。(^^;
  根性というと 普通はできないけど強い意志をもって成し遂げる・・・そんな
  意味にとらわれるかもしれませんが、ここでいう根性とは、それをずっと
  ソフトにしたと思って下さいって なんのこっちゃ。。。

   普段 われわれは意識せず つまりことさら歩こうと思って歩いているわけで
  もなく、足を動かそうと思って歩いている訳でもありません。転ぼうと思っても
  転べるわけでもなく、転びたくないと思う時があるからこそ転んでしまうという
  わけで、つまり 身をすててこそ浮かぶ瀬もあり・・・。
   ますます 解らなくなっていく・・・。

   自転車に乗れるようになるまでは、何回か転ぶと思いますが、一度乗れてしま
  うと今度は乗れなかったように下手に乗ることができなくなる。なんでだろう。
   乗るようになるには乗れるようになりたいと思う意識が必要だが、乗れてしま
  ったあとは その乗りたいと思う意識は無意識に入ったときではないだろうか。

   字が綺麗に書きたいと思う人は多いと思うけど、字を書くことはだれにでも
  できるのに それが形の良い字が みみずが盲腸になったような字を書くかは
  人それぞれだ。筆字はきれいに書けるのに ペン字だとめちゃめちゃになる人を
  知っているけど、筆字の場合 ちゃんと手本を見て書くのに対し、ペン字は
  手本になるようなものが無い場合がほとんどだ。

   手本の字を見る。頭の中で字の形が思い浮かぶでしょ、その浮かんだ字と
  同じような字を意識して書くから形の良い字が書けるのではないだろうか。
  だから 絵の場合 同じ風景画でも 見た物のイメ−ジが人によって違うから
  同じ絵は2枚と出ないのではないだろうか。

   器械体操の場合、逆立ちは体操をやってる人なら誰でもできるのに、普通の
  人には難しいのは 逆立ちしたときのかっこうが思い浮かばないからでは
  ないだろうか。歩いている人は いつどこでも見ることができるが 逆立ちを
  した人をみる機会は 普通に歩いているだけの人を見るよりは確実に少ない
  はずだ。

   それと 自分にはできない と思ってしまうからだろう。
   もしかしたら 自分にもできるかもしれない。 もしかしたら、、、これが
  思い違いであろうがなかろうが できるかもしれないと まず思えるかどうか
  ってことは 生きるうえでかなり重要ではないだろうか。
   よく 挑戦してみることは なにもしないよりは絶対いい、やらないで後悔
  するよりは やってから後悔したい というセリフを聞いたことがある。

   それが 挑戦しないで 後込みしてしまうのは、失敗したときのことが
  成功したときより イメ−ジが沸きやすいからではないか。失敗したときに
  友達の言うこと 親の言うこと 恋人の言いたいことがすぐ 頭に浮かぶ人は
  乱暴なようだけど、その人達から暫く 離れることをお勧めします。

   その人達に悪意はないのだろうけど、仮に あなたのやろうとしていることが
  対したことではなくて どう考えたって意味がないことであっても、その後の
  挑戦していく違う挑戦目標が全部 悪い、又は意味が無いことなんて 断じて
  言い切れないことは明らかです。だから 一番恐いのは それによって意欲が
  無くなってしまうことです。だから 否定的な考えの人達からは 離れることを
  お勧めします。

   それもこれもあれもどれも みぃ〜んな 最初は意識してやろうと頑張るけど
  それが無意識の状態にまで入ればしめたものです。なんでかっていうと、
  無意識の状態でやってるから 本人は頑張ってるつもりがなく、したがって
  気が付いたら 自分の想像以上の成果が得られるのである。

   と言うようなことを アメリカのナポレオン・ヒルってちゅう人が「思考は現
  実化する」っていう本の中で言っていた。
   眠りながら成功するの マ−フィ−もイメ−ジの大切さを言っている。
   だから 僕も いい考えだと納得して実践しているのだが、今の所、
  イメ−ジと妄想の違いがわからない。。。


   2001.06.14
    横須賀市・クロベ