【引きこもり】


 



   ゲ−ムをしているとき 後ろからああでもないこうでもないと言われ続け
  あげくの果てに 下手だなぁ と言われたことはありませんか。
   むかつきません?
   後ろで何か言ってる人のとおりゲ−ムをしたとしたら、誰がゲ−ムをやって
  いるのかわからなくなるでしょ、そしてゲ−ムに勝とうが負けようがどうでも
  いいと思うようになっていくはずだ。

   引きこもりに対する周りの考えは、甘えとか怠け者として捉えているようで
  す。
   朝日新聞学芸部記者の塩倉裕氏の「引きこもる若者たち」という本の中で
  71才の男性から
   「人と生きたいなら、己が自立することこそ先だろう。友人が多いか少ない
   かは些小のこと。他に共感を求めることに汲々とするのは甘えである。」
  と言っている。

   この男性が言っている甘えとは、人に依存することを言っているのだと思う
  けど、人に依存しないで生きようとしたとき、それを妨害していたのが身近な
  大人だとは思わないのだろうか。
   躾とか教育とか指導とか あらゆる言葉で行動を制限してきて あれだけ
  教えたのにできないのは本人のやる気のせいだと言うけど、言われたとおり
  やってきてできないからといって そんな風に言われたら もう何もしたく
  なくなるのは当然ではないだろうか。

   ことごとく自分のやることを否定されてきた人が 引きこもりになったと
  したら、引きこもりの人に 外にも面白いことがあるから出て見ようよとか
  とにかく なんかやってみようよとか言うのは、かえって逆効果ではないだ
  ろうか。
   あれをやっちゃいけない、これをやってはいけないと言われて、最後に
  自分で引きこもりを選んだとしたら、それさえも止めろと言われたら 後は
  ほんとに死ぬしか無くなってしまうのではないか。

   ところが、自分で決めた引きこもりも やってしまった後は 他にやること
  が見つからず何もしないで生きていく。本人が一番傷ついてどうしたらよい
  かが解らないみたいだ。

   森田療法の故森田正馬(もりたまさたけ)先生は、赤面症の人は赤面する
  しながら人との関わりあいの中から直していくのが良いと言っています。
   引きこもりの人も 他人との関わることが恐くて引きこもりになってる人は
  恐いと思いながらも 少しづつ人との関わりを増やしていくのがいいと思う
  けど、これも難しいことだ。

   こんなような本はたくさん出てる。だけど 何が難しいかって 少しづつ
  の少しはどの程度なのか 自分はこのぐらいと思っていても他人はそんなの
  やったうちに入らないとか言うんじゃないかとか、関わりってなんなのか。
   この状態を抜け出すためにする人との関わり合いは 野球の好きなひとが
  野球好きの人と関わり合いを持つのとは意味が違う気がする。
   関わりを持つためのものが無いから、あえて言うとしたら 引きこもりで
  悩んでいるから引きこもりについて考えている人と会うのことで関わり合い
  をもつことになるというのも悪くはないと言えるだろうか。

   他人の職業の大変さは解らない人は多いけど、他人の苦しみが解るには
  同じ苦しみをした人しか解らないのだろうか。
   目の見えない人に、今日の空の青さを教えるのは難しいけど 無理では
  無いはずである。たとえば 音によって 今日のそらはこんな色だよって
  晴れたらCメジャ− 曇りはAマイナ− 雨なら ・・・ な感じで
  伝えてあげるのはどうでしょうか。

   つまり、経験の無いことも 理解してあげようってことを言いたかった
  わけで・・・。


        2001.06.07
          神奈川県・クロベ