【自分を愛せる人が他人を愛する】




  早稲田大学教授の加藤諦三さんの本に、「自分を愛せる人が他人を愛する」   
 と書いてあった。本のタイトルは忘れた。このあと、いろいろ書いてあったけど、
 今 思い出せるのは その一行だけで、なぜか頭に残ってるのである。

  この言葉の意味を考えてみました。
 毎度のことながら、そんなことじゃね−よとか思っても読んでくれれば、それは
 それで いいです。読まれなくても 自分の考えの整理整頓みたいな書き込み
 なので読まれなくてもいいです。でもどっちかツ−ト 読んでくれれば嬉しいに
 決まってます。じゃあ 最初から読んでね と言えばいいじゃないかと思うで
 しょ、そこはそれ ここはあれ、それはそれ そそらそらそら、うさぎのダンス。
  話が 先に進まない・・・。

  前置き、つまりプロロ−グが長くなりました、ごめんしてください。
 なに!? 許さないってか!? ふん いいんだいいんだ、1人でかってに遊ぶ
 もん、、、とかバカなことを書いてないで ほんとに 先に進めます。

  最初に 自分を愛するって どういうことなのか。
 人を愛するって どういうことなのか・・・。ポっ。(愛という字に顔が・・。)
 ちょっと 言葉を換えて 信じるという言葉の方がわかりやすいかもしれない。
 「自分を信じられる人が他人を信じられる」
 こっちの方が 自分には思い当たることがある。

  たとえば、車の運転で自分の運転を信じられる つまり規則正しく、信号は赤
 でちゃんと止まり、前の車が急ブレ−キを踏んでも 止まれる車間距離を取って
 いるから事故は起こさないと思っているから安心して運転できる。安心というよ
 りも、いつ事故を起こすという不安がないから運転中も他のこと考えられる。

  つまり自分でさえ、こういう風に運転できるのだから周りの車も旨い下手の
 多少の違いはあっても 事故に気をつけて走っているのだろうということを
 無意識に感じて走っている。
  自分は事故を起こさないように走っている人が他人も事故を起こさないように
 走っているということが解るのではないでしょうか。

  自分がスリだと、人が大勢いるところに行くと自分の財布を取られないよう
 気をつける。スリじゃない人は そんな人は自分の近くにいるとは思わないから
 不用心になるみたいな感じ・・・かな。

  最近 不倫とかテレビを賑わしているが、いつか現在不倫中っていう人が
 絶対にばれないと言っていた。俺は絶対バレルと思うのに。
 人に迷惑かけるわけでは無いから いいじゃないかと言う人がいるけど、
 こんなに堂々 やってますみたいに言われると、そのテレビを見た人は、人を
 信じることができなくなっていくのではないだろうか。だんだんと。
 それとも 自分は違うと思えるのだろうか。

  一度 疑い出したら、そうでなかったと証明っできるまで 妄想が
 頭の中を「秋の大運動会」が始まるのです。
 みんながみんな そうではない というのは 頭では解っているのです。が、
 頭で解っていても どうしようもないこと やめられないことは 腐るほど
 あるのを知っていますでしょ。
  一度疑心暗鬼になったら 仕事など手につかなくなるのに。

  自分を愛せるとは、自分の愛せる部分を探すことができるということで
 自分の愛すべき物を探せる人は 他人の人の愛すべき所を探し出せると言う
 ことなのだろうか。

  テ−マとしては 奈良の大仏なみに 重いテ−マだった。
  次回は 横須賀市在住の○○さんなみの テ−マにしようと思う。
  軽いテ−マというわけでは無い。重いと思う、たぶん・・・。


                    2001.03.22
                    神奈川県横須賀市・クロベ