ヨーゼフ・ボイスの言葉 4

Joseph Beuys

ボイスはこう言った。

『完成されたものは美ではない』

これはただ単に、作品が未完成である事を美であると言っているのではない。


ボイスが何度も強調しているように、『優れた芸術は常に社会的』だ。
これは、芸術は社会の中に置かれてはじめてその意味を持つと言う事だ。

ただし、注意しなければならないのは、この場合の“社会”とは、2人以上の人間の集合を表している。
つまり見る人が、たったひとりだったとしても、すぐれた芸術は成立する。
子供が描いた絵を母親に見せるだけでも、それは優れた芸術になる。
作品を挟んで、そこに人間が2人以上いれば良い。

ぼくは“社会から認められなければ芸術ではない”とは思わない。
だが、“芸術は社会の中に置かれるべきだ”とは思う。


ではなぜ「完成されたものは美ではない」のか。
芸術とは作品を通して、他者と“対話”する事だ。

作品は常に、それを見る人がその作品を完成させる“余地”を残しておかなくてはならない。
つまり“美”とは、他者との“対話”の中ではじめて成立するものだ。

つまりボイスが言いたかった事は、「“美”は作品の中に宿ってはいけない」ということだ。

ボイスはいつも自分の作品の事を『くそ彫刻』と呼んでいた。
これは、人間がつくり出したものが、人間を差し置いて価値をつくり出す事、を否定したかったからだ。
作品に“美”を感じた“その人”に価値があるので、“その作品”に価値があるのではない、ということ。
(作る人も、見る人もその点で“等価値”になる)

日本人は比較的作品の完成度にこだわってしまって、他人の入り込む“余地”をなくしてしまう。つまり、モノローグ(独り言)になりがちだ。


これは当然、自戒の意味も入っている。

1998年4月12日