《ブルさんから盟友・陽ちゃんへのメッセージ1》

【福永陽一郎還暦記念コンサート 陽ちゃんといっしょ】
〔1986年9月13日(土) 新宿厚生年金会館大ホール〕
このコンサートのプログラム『お祝いのことば』から

『おめでとう陽ちゃん』

声楽家・評論家
畑中良輔

陽ちゃん、赤いチャンチャンコおめでとう!

次第に《アカチャン》に還って行くのでしょうか。からだの不調も何のその、病気のほうが、陽ちゃんの情熱の前にタジタジとなって退散して行くようです。火よりも熱い陽ちゃんの音楽に対する情熱の烈しさは、ただただ驚嘆あるのみです。どこからあのような生命力が噴き出るのでしょう。
 昨年の「アイーダ」で、まさに仰天。「ウィリアム・テル」の日本初演は逃してしまい本当に残念でしたが、独唱者は言うに及ばず、オーケストラ・合唱・舞台にかかわるすべての人達を完全に掌握するだけでも、ぼくなんかには気が遠くなりそうですが、その眼くばりのしたたかさ、音楽へのゆるぎない確信から来る陽ちゃんの棒のすべてから、すばらしい音楽が創られたのです。「ヴェルディがこの藤沢に来てくれたらどんなに喜んだろうな」って思ったことでした。
 陽ちゃんとは長いつき合いになりますが、意外と会う機会は少なく、《四連》《六連》の時くらいが、ゆっくり話せる時でしょうか。しかしいろんな雑誌に書いているあの独特の毒気とウィットに富んだ文章を読んでは陽ちゃんの健在を祝しているのです。博覧強記のひと、そして何より実践のひと陽ちゃんか。このカンレキというひとつのふしめを通って、更に円熟した仕事をして欲しいと、心から願っています。円熟すれば、体のほうもふくらみ、シワもなくなって、まんまるくなることでしょう。
 何?シワのない陽ちゃん、まんまるい陽ちゃんじゃ陽ちゃんじゃないって?
 ナルホド。マ、ともあれ頑張れ陽ちゃん!


なお、このコンサートの総合司会は畑中良輔氏が務められ、ユーモア溢れる軽妙な進行であった。 プログラムの半ばにあった「A HAPPY TALK 陽ちゃんといっしょ」でも、北村協一氏とのスリーショットで楽しいトークの時間があった。
 ブルさんと陽ちゃんの強い友情と協ちゃんを加えた3人の"絆"を実感した次第です。


《ブルさんから盟友・陽ちゃんへのメッセージ2》

【藤沢市民オペラ「椿姫」】
〔1988年10月 朝日新聞「音楽」〕

『心合わせた見事な熱演〜裏方の苦労にじむ舞台〜』

畑中良輔・音楽評論家

前回の「アイーダ」から三年。今回は藤沢市民会館二十周年記念公演としての「椿姫」である。通算十一回目の公演に当たる。
 市民、県民のつくホールは多々あるが、この会館ほど≪市民の館≫という言葉を実感させてくれるところはない。市民の場としての藤沢市民会館が果たして来た多くの仕事のうち、ひときわ注目を浴びているのがオペラである。オペラというものがその町の顔であり、誇りであるという。日本ではまだ特異の文化状況の中にあって、この町は文化の一極集中化に対する自治体としてのアンチテーゼを打ち出し、享受から創造への途(みち)を拓いて来たのである。
 藤沢市はアマチュアとはいえ、プロ並みの実力を蓄えつつある市民交響楽団と湘南コール・グリューン、湘南市民コール、藤沢男声合唱団などのすぐれた合唱団をもっている。オペラにとってオーケストラと合唱、これらを十全に生かすホール、そしてその頂点に立つ有能な指導者が必要なことは言うまでもないが、藤沢市にこれだけの要件がそろったというのは"さいわい"という偶然的な言葉だけでは不十分であろう。これらを根付かせ育てようとする自治体としての会館側の"熱意"がその原動力なのだと思われる。
 今回も成功的な「椿姫」だった。その成功はこれらをよく統率、音楽的に導いた指揮者福永陽一郎に負うところが大きい。不備の点を数え立てればいくらでも出て来るだろうが、全員心を合わせてのヴェルディが熱くならぬはずがない。オケ、コーラス、そしてソリストたち、全力を出し切った。弦(殊に高弦群)に情感がにじんで来たのは進歩。管のセクションはこの点コントロールがいまひとつ(あわてて休符など見落とさぬよう)。
 第二幕一場のヴィオレッタとアルフレードの別れには、ありったけの情熱のたぎりが歌にもオケにも溢(あふ)れ、聴く者の心をゆさぶった。これに対し第三幕の前奏曲のパセティックな音楽づくりなど福永ならではの音楽をきかせた。ヴィオレッタの瑠璃佐l子の哀愁(美しい!)、錦織健のアルフレードのひたむきな若さ(オペラの新しい星!)、ジェルモンの工藤博の老練(少し力みすぎたか)ほか何れも好演。人間の愛のかたちを描いて鈴木敬介の新鮮な劇的指導は、挫折を通して昇華する苦しみが伝わる。
 おどろいたのは第二幕第一場から第二場への転換の速さ。この舞台機構でまさに奇蹟が起ったとしか思えない。裏方たちの必死な作業力に惜しみない拍手を!(1日・所見)


福永陽一郎Memorial